第100話 白と赤 〈2〉

文字数 2,124文字

 夢の中同様、布留(ふる)家の大広間の中央には護摩壇(ごまだん)が焚かれていた。
 だが、その周囲を取り巻くのは麗しき白衣の舞人ではなく黒衣の陰陽師の群れ。
 連綿と蔵人所(くらんどどころ)の陰陽師を排出して来た名家、布留一族である。
 途絶えることなく咒を唱え、印を斬り続ける子弟たち。そして、護摩壇の真ん前に横臥しているのは――
布留佳樹(ふるよしき)!?」
「安心しろ。死んではおらぬ」
 検非遺使尉(けびいしのじょう)が囁いた。
「――まだ(・・)今はな(・・・)
「!?」
 続けてそう言ったのは薄っすらと目を開けた佳樹当人だった。
「佳樹? 驚ろかすなよ? で、どうした? 何があった?」
「それを……せつめいするじかんが……わたしには……もう……ない」
「え?」
「痺れが足から這い登っているらしい」
 帝の陰陽師に変わって成澄(なりずみ)が教える。
薬師(くすし)の診立てでは、口を利けるのもあと僅かだとか。痺れは喉へ、舌へ、目へ至り、やがて脳を冒すだろう」
「だが……そのまえに……おまえに……どうしても、おまえにつたえたい」
「呪返しにあったのか!? おまえほどの術師をこんな目にあわせるとは、一体、何処のどいつじゃ?」
 蒼白の顔に佳樹は微笑を煌かせた。
「さいしょは……おまえかと……うたがったぞ」
 刹那、唖然とする有雪(ありゆき)。この状況で冗談を言うとはよ! 
 とはいえ、すぐに真顔になる。
「ハッ、では、先刻の〈夢〉はおまえが送って(よこ)したのか?」
「とどいたか? よかっ……た」
 頷くと、
「あれが……つたえたかったことだ……だから、あとは……たのむ」
「いや、待て!」
 目を閉じる佳樹に有雪は慌てて取り縋った。
「光景は確かに受け取った。しかし、意味が今ひとつわからぬ。俺が見たのは白い舞人と赤い血だけじゃ」
「それだ……しろと……あか」
 夢の中同様、佳樹の顔が苦痛に歪む。
「おそろしい……いんぼう……ひじゅつが……おこなわれようとして……いる」
 喉を震わせ、荒い呼吸の中で言葉を継いだ。
「とめられるのは……おまえ……だけ……」
「佳樹?」
「佳樹っ!」
 護摩壇の炎が一瞬翳り、兄弟たちが急いで香油を撒き入れた。咒を唱える声が怒涛のように邸に響き渡る――

「……死んだのか?」
「いや」
 強張った顔で問う成澄に有雪は応えた。
「息はしている。だが、もう口は利けぬ」
 鼓動を確かめてから起き直ると、改めて有雪は周囲を見廻した。
「一体何があった? どうして(・・・・)佳樹はこうなったのじゃ? 俺にわかるよう説明してくれ」
 布留家の嫡男らしき一人が進み出た。
 弟と同じ豪奢な黒衣に身を包んでいる。だが、その技量は弟の比ではない。名ばかりの凡庸な陰陽師である。言うまでもなく、現在の布留家の栄誉は傍系出身の佳樹が担っている。彼に代わる陰陽師はこの家には存在しない。
「昨日の夕刻、内裏(だいり)から帰宅するや、門前で倒れたのです。そちら(・・・)、護衛を担当されておられる中原殿と我々とで屋敷に運び入れました。ずっと昏睡状態だったのですが、先刻意識を取り戻して、言った言葉が、貴方を呼べ……」
 
―― ありゆきを……はししたのおんみょうじを ここへ。 

「私どもが知るのはそれだけです」
「護衛を担当していると言ったな、成澄?」
 橋下の陰陽師はギロリと傍らの検非遺使を睨んだ。
おまえたち(・・・・・)、今度はまた何に関わっている?」
「うむ」
 烏帽子(えぼし)に手をやりながら成澄、
「おまえの察するとおり、布留佳樹殿はとある重大な任についていた」
 大きく息を吐いて、
「使庁でも厳重に口封じされている不気味な騒動が続いていてな。それが――」

 この京師(みやこ)方々(ほうぼう)に血穢が撒かれる悪しき行いである。
 明らかに呪詛(じゅそ)(たぐい)と思われる。
 そのことに心を痛めた(みかど)御自ら、直属の陰陽師・布留佳樹に真相を解明するよう勅命を下された。その際、検非遺使尉・中原成澄(なかはらなりずみ)も布留佳樹の身辺警護、及び捜索全般に力を貸すよう命じられた。
 それが一昨日(おととい)のこと。

「それなのに早くもこんな事態になって――」
 言い難そうにまた烏帽子に手をやって検非遺使は告げた。
「実は、今朝、またしても血穢が撒かれた。これで6回目だ。それで――これから、おまえをその現場へ連れて行く。さあ!」
「何故、俺を?」
「聞いてなかったのか? おまえ(・・・)、直々に後を託されたじゃないか! そういうわけで――以後、この任は佳樹に代わっておまえが担当する」
「ばっ、馬鹿を言うな!」
 日頃の秀麗な美貌は何処へやら、目を剥き髪を乱して絶叫する有雪。
「俺は(ちまた)の――橋下(はしした)の陰陽師だ! 帝の陰陽師の仕事などできるかーーー!」
「カーーーーーッ!」
 すかさず反復したのは、言うまでもなく、肩の白烏である。
「カーーー! カーーー! カーーーッ……!」


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