第101話 白と赤 〈3〉
文字数 2,930文字
「着いたぞ、ここだ!」
「――」
疾駆していた馬の手綱を緩める二人。
そこは左京二条大路に面した堀川院――かつて堀川天皇の里内裏 だった由緒ある場所である。
西に堀川、東には西洞院川が流れ、左獄 にも近い。勿論、大内裏 にも。
既に空は白んでいる。それ故、松明 の灯りがなくともはっきりと見ることが出来た。築地塀の前にばら撒かれ、降り注がれた血痕……血穢。
「どうだ、おまえならわかるか? これは獣のソレか? それとも人間だろうか?」
「人間だな。残念ながら」
橋下 の陰陽師は薄く笑って検非遺使の顔を見た。乗馬の際、空を飛んでいた白烏 がいつの間にか肩に戻っている。
「6回目と言ったな? 過去5回の血穢の撒かれた場所は記録しているのだろうな、成澄 ?」
「勿論だ。おい」
成澄はその場を警護していた衛士の中から史生 を呼んだ。 ※書記官、記録係
差し出された紙片を読み上げる。
「1回目、中御門富小路 、参議・藤原宗忠 殿の屋敷前。2回目、正親町東京院 、俗に言う土御門亭 だな。3回目が土御門烏丸内裏 で、4回目、左京二条三坊十五町、大炊殿 。5回目が二条殿 ――何だ? 何をしている?」
有雪 が懐から取り出した半紙になにやら書き付けているのを覗き込む。
日頃、東 の市 で行き交う都人を捕まえては胡散臭い護法や呪 いの札など書いて売りつけているこの橋下の陰陽師、こうして常時、筆記用具を持ち歩いているのだ。
「ふむ、大まかだが――」
有雪は字ではなく図解――地図として、今、検非違使が読み上げた場所を記していた。
描き込んだそれを確認して悪罵した。
「くそっ! なんてこった!」
「???」
自分の描いた紙片を陰陽師は突き出して成澄に訊く。
「おい、判官 、これを、どう思う?」 ※判官=検非遺使尉 の別称
紙片には左側に四角く内裏の場所を示し、その横に六つの丸印が記されている。丸印にはそれぞれ一から六まで順不同に数字が入れてあった。それらの右側の縦線は鴨川を表している。
「いや。俺にはさっぱり……」
「だろうな。では、これはどうだ?」
新たに有雪は別の紙にすらすら書き記した。
今度は人の裸の足痕が七つ。漢字の〈己〉を横にした形で続いている。
「? ダメだ、こちらも全くわからぬ」
「これは兎歩 さ」
「うほ?」
「兎の歩と書く」
「ほう! 兎が歩いたのか? その足跡か、これが?」
大いに驚倒する検非遺使尉だった。
「凄いな! 俺は今日まで京師 の内 で兎など見たことはないぞ!」
有雪はポリポリと頬を掻いた。
「おまえくらい物を知らないとむしろ爽やかだな!」
「ハハハ……そりゃどうも!」
「誉めてはおらぬ」
噛んで含めるように巷 の陰陽師は説明した。
「いいか、〈卯 〉は古代中国の夏王朝の始祖の名だ。その偉大な聖王の歩き方を真似た呪法がこれさ。道教では〈三歩九跡法〉、吾が陰陽道では〈九星反閇 〉とも呼ぶ」
「へえ?」
「卯 王はな、中国を隈 なく歩いて偉大な功績をあげた。だが、その過酷な道程の結果、足を曳きずるような独特の歩き方になった。神仙思想と煉丹術の理論書である《抱朴子 にそう書いてある」
「なるほどな! だが、その王様の歩き方を〝呪法〟と呼ぶのはどうしてだ?」
「いつからかこの賢明な卯王の歩行方を用いれば身を護り安全を保障すると信じられるようになった。その結果〈呪 い〉として踏襲されるようになったと言うわけさ。ほら、もう一度見てみろ。そういうことを聞いた後で眺めると、この歩行図、何か に見えてくるだろう?」
「――」
精悍な目元を細めて検非違使は友の掲げる半紙を凝視した。
ややあって、叫んだ。
「北斗七星!」
「大正解」
有雪は半紙を御幣のようにヒラヒラさせた。
「秘術を唱えながら、この独特な足捌 きで力強く足踏みをし、それによって悪星を踏み破って吉意を呼び込むのだ」
「だがよ、この北斗七星の卯歩とやら、最初のおまえの絵地図とはちょっと形が違うぞ?」
「おまえにしてはいいところに気づいたな」
「――」
「喜べ。今度は誉めている」
有雪は先ほど描いた歩行図をひっくり返して最初のそれと並べた。
「では――こうしたらどうだ?」
「あ!」
今度こそ形がピッタリ一致した。
「そうさ! 兎歩を逆に踏んでいる のだ! しかも、血穢でそれを行ったというのはよほどの悪意――邪の願い――呪 をかけたということだ!」
「げげっ!」
「これについて佳樹 はおまえに何も言わなかったのか?」
「いや、何も。今初めて聞いた」
「……あいつめ」
有雪はばら撒かれた血穢に目を落として唇を噛んだ。
あいつ だとて、この血穢の――〈逆落 としの卯歩〉の意味をとっくに読み取っていたはず。
これを行なった不善の輩 の〈真意〉、そしてその〈対処法〉を突き止めるまで己一人の胸に収めて置くつもりだったのだな? 全てを自分で引っ被って?
いかにもおまえらしい。
だから、あんな目に合うのだ。呪返しを一身に浴びた……?
「で? これからどうしたらいいのだ?」
「……わからん」
「は?」
「これはあくまで目的を成就させる途上の呪に過ぎぬ。これほどの修法を施して成し遂げたいこと――悪意ある連中の〈本願〉は何なのか?」
――― 恐ろしい陰謀……秘術が行われようとしている、有雪よ。
「わかっているのは、このまま放っておいたらとんでもない惨劇に見舞われるということ……」
「だ、だったら、突き止めろよ!」
思わず陰陽師の白衣を掴んで揺さぶる検非違使だった。
「一刻も早く突き止めてくれ、有雪!」
布留佳樹 ――〈帝 の陰陽師〉は真相を突き止めたのだろうか?
だからこそ、凄まじい呪返しにあった?
―― あとは頼む。托せるのはおまえだけだ!
深更、送ってきた夢はおまえが見つけた真相へ至る〈鍵〉なのだな?
有雪は呻 いた。
買いかぶりすぎだぞ、佳樹!
あの光景について、俺は未だにはっきりとはわかっておらぬ。
俺が確認したのは、白い衣に赤い血。そして――
ここに至るまで一度も口に出さなかった恐ろしい事実を、橋下の陰陽師はそっと胸の中で呟いた。
白衣の乙女の 顔は田楽師に 似ていた 。
しかも……あれは、どう見ても兄の方だった。
(狂乱丸!?)
「――」
疾駆していた馬の手綱を緩める二人。
そこは左京二条大路に面した堀川院――かつて堀川天皇の
西に堀川、東には西洞院川が流れ、
既に空は白んでいる。それ故、
「どうだ、おまえならわかるか? これは獣のソレか? それとも人間だろうか?」
「人間だな。残念ながら」
「6回目と言ったな? 過去5回の血穢の撒かれた場所は記録しているのだろうな、
「勿論だ。おい」
成澄はその場を警護していた衛士の中から
差し出された紙片を読み上げる。
「1回目、
日頃、
「ふむ、大まかだが――」
有雪は字ではなく図解――地図として、今、検非違使が読み上げた場所を記していた。
描き込んだそれを確認して悪罵した。
「くそっ! なんてこった!」
「???」
自分の描いた紙片を陰陽師は突き出して成澄に訊く。
「おい、
紙片には左側に四角く内裏の場所を示し、その横に六つの丸印が記されている。丸印にはそれぞれ一から六まで順不同に数字が入れてあった。それらの右側の縦線は鴨川を表している。
「いや。俺にはさっぱり……」
「だろうな。では、これはどうだ?」
新たに有雪は別の紙にすらすら書き記した。
今度は人の裸の足痕が七つ。漢字の〈己〉を横にした形で続いている。
「? ダメだ、こちらも全くわからぬ」
「これは
「うほ?」
「兎の歩と書く」
「ほう! 兎が歩いたのか? その足跡か、これが?」
大いに驚倒する検非遺使尉だった。
「凄いな! 俺は今日まで
有雪はポリポリと頬を掻いた。
「おまえくらい物を知らないとむしろ爽やかだな!」
「ハハハ……そりゃどうも!」
「誉めてはおらぬ」
噛んで含めるように
「いいか、〈
「へえ?」
「
「なるほどな! だが、その王様の歩き方を〝呪法〟と呼ぶのはどうしてだ?」
「いつからかこの賢明な卯王の歩行方を用いれば身を護り安全を保障すると信じられるようになった。その結果〈
「――」
精悍な目元を細めて検非違使は友の掲げる半紙を凝視した。
ややあって、叫んだ。
「北斗七星!」
「大正解」
有雪は半紙を御幣のようにヒラヒラさせた。
「秘術を唱えながら、この独特な足
「だがよ、この北斗七星の卯歩とやら、最初のおまえの絵地図とはちょっと形が違うぞ?」
「おまえにしてはいいところに気づいたな」
「――」
「喜べ。今度は誉めている」
有雪は先ほど描いた歩行図をひっくり返して最初のそれと並べた。
「では――こうしたらどうだ?」
「あ!」
今度こそ形がピッタリ一致した。
「そうさ! 兎歩を
「げげっ!」
「これについて
「いや、何も。今初めて聞いた」
「……あいつめ」
有雪はばら撒かれた血穢に目を落として唇を噛んだ。
これを行なった不善の
いかにもおまえらしい。
だから、あんな目に合うのだ。呪返しを一身に浴びた……?
「で? これからどうしたらいいのだ?」
「……わからん」
「は?」
「これはあくまで目的を成就させる途上の呪に過ぎぬ。これほどの修法を施して成し遂げたいこと――悪意ある連中の〈本願〉は何なのか?」
――― 恐ろしい陰謀……秘術が行われようとしている、有雪よ。
「わかっているのは、このまま放っておいたらとんでもない惨劇に見舞われるということ……」
「だ、だったら、突き止めろよ!」
思わず陰陽師の白衣を掴んで揺さぶる検非違使だった。
「一刻も早く突き止めてくれ、有雪!」
だからこそ、凄まじい呪返しにあった?
―― あとは頼む。托せるのはおまえだけだ!
深更、送ってきた夢はおまえが見つけた真相へ至る〈鍵〉なのだな?
有雪は
買いかぶりすぎだぞ、佳樹!
あの光景について、俺は未だにはっきりとはわかっておらぬ。
俺が確認したのは、白い衣に赤い血。そして――
ここに至るまで一度も口に出さなかった恐ろしい事実を、橋下の陰陽師はそっと胸の中で呟いた。
しかも……あれは、どう見ても兄の方だった。
(狂乱丸!?)