第58話 鄙の怪異 〈4〉

文字数 3,768文字

 背が高く痩せている。狩衣はそこそこ高雅だが、いかにも装束に着られている印象を与えた。
「そこの! おまえも、舎人失格だぞ!」
 痩せ狩衣は縁の下に控える牛飼いも怒鳴りつけた。
「主人の留守にこんな胡乱な連中を邸に上げるとは……! 
 都だったら即刻、クビじゃ! 使い物にならぬ従者め! これだから鄙人は嫌じゃ!」
「お言葉ですが、私は受領様、直々に頼まれて、遥々都から陰陽師を呼んで来たのですが?」
 礼を尽くして犬飼が言う。
「都とな?」
 若い狩衣は驚いて眉を寄せた。
「ほほう? ではこいつら(・・・・)、都人かよ? とてもそうは見えぬ。薄汚れて貧相だな?」
「そ、それは、長い旅をして来たからです。その上で、時を惜しんで旅装も解かず奥方様の死について調べてもらっていたところです」
「それが、でしゃばった真似というのじゃ。大体、都から来たというのも本当かどうか……」
 疑わしい目つきで狩衣は有雪と成澄を見つめた。
「伯父上、こんな連中に気をお許しになってはいけませんよ。伯父上が富裕なのをいいことに、親切ぶって金銭目当てに擦り寄って来る輩は多いのだから」
「おい! 黙って聞いていれば、無礼な口の利き方だな?」
 流石に我慢できなくなって成澄が前へ出た。
「おや? おまえこそ、何じゃ?」
 狩衣は成澄の片目を覆った顔を繁繁と眺めて口を歪めた。
「陰陽師などにはとても見えぬぞ? 大方(おおかた)、博打の果てに喧嘩でもして片目を潰されたのだろう?」
「な、何だと?」
「図星か? フン、手っ取り早く金を稼ごう思っている似非陰陽師どもめ! 
 鄙に染まった呑気な伯父は騙せても、都育ちのこの私は騙されぬぞ!」
 扇を出して扇ぎながら甥は聞えよがしに言った。
「全く──勝手に他人(ひと)の邸へ上がり込んだ上に、この礼儀をわきまえぬ不遜な態度。ここが都なら検非遺使を呼んでいるところだ」
「面白い、呼んでみろ。検非遺使なら──」
 旅の道中、目立たぬように(こも)に巻いていた〈衛門の太刀〉を握り直す成澄。言わずもがな近衛や検非遺使の証の大刀である。
「都でなくとも……鄙であろうと……即刻駆けつけるぞ!」
「おっと!」
 すかさず袖を引く有雪だった。
『せっかくの俺の計画を初っ端から台無しにしてどうするよ? ここは自重しろ、ナリユキ(・・・・)
『クッ……おまえ、明らかにこの状況を楽しんでるよな?』
 歯噛みする検非遺使を犬飼に預けて、有雪は(あるじ)受領(ずりょう)に向き直った。
 先ずは恭しく頭を下げる。
「血の気の多い弟子で失礼しました。ご挨拶が遅れました。私は有雪と申します。犬飼の幼馴染で、都にて陰陽師を生業にしております。この度は何やらご心配ごとがあると聞きやって来た次第です」
「そのことだが──」
 苦々しい表情で受領の橘資遠(たちばなすけとお)は言う。
「なかったことにしてくれ」
「は?」
「気が変わったのじゃ」
 相次いで息子と妻を亡くし気が動転していた、と主は言うのだ。
 だが、都から甥も駆けつけてくれたので多少は落ち着いた。
「この甥の資賢(すけかた)が言うには、〈呪詛〉などと声高に騒ぐのは却って危険を招く、と」
「その通りです」
 甥の資賢とやら、扇の隙間からジロリと有雪と成澄を睥睨しつつ、
「富裕の伯父上の弱みに漬け込む、タチの悪い、胡散臭い、このような連中の食い物にされては大変ですよ?ここは暫く静かに様子を見てはいかがでしょう? 今日からは私が伯父上のお傍についています。
 どうぞ、お気を強くお持ちになってください」
「おお! それは心強い! やはり身内はありがたいのう……」
「そら、富裕の伯父上もこう言っている。おまえたちは直ちに引き取ってもらおう!」
 宛ら犬の子を追い払うように有雪、成澄、犬飼の三人は縁へと押し出された。
 憮然として渡殿を歩き出した時、背後でまたしても資賢の甲高い叱責の声が響いた。
「こら! そこ! 勝手に邸内に入っているのは誰じゃ?」
「?」
 振り返って見ると、奥方の室の前、高欄の下に少女が立っていた。
「おまえ、いつの間に入り込んだ?」
「あ! お許しを!」
 慌てて駆け寄る牛飼い。
 庇うようにして少女の前に立つと、説明した。
「この子はモモと言って──生まれつき口が聞けないのです。
 何もわからぬ憐れな者故、どうぞ大目に見てやってください。悪さは決していたしませんから」
「口が聞けぬだと? ええい、薄気味悪い! とっとと追い払え!
 そして、二度と敷地内へ入れるんじゃないぞ!」
 ピシリと音がして襖が閉められた。
「……あんな言い方しなくても良かろうによ?」
 成澄が呟いた。
「あの子、俺たちについて来たんじゃないのか? 
 ほら、邑へ入ってからずっと見え隠れしてたろう?」
「モモのこと、気づいていたのか?」
 犬飼が笑った。
「モモは人懐っこくて好奇心旺盛だからなあ! 
 邑にやって来た新顔のおまえたちが気になって仕方ないんだろうな」
「ほう? モモと言うのか。可愛らしい子じゃ」
 有雪が訊く。
「十歳くらいか。口が聞けないって?」 
「うん、さっき飛騨丸が言っていた通りさ。生まれてから一度も口をきいたことがないそうじゃ。
 でも、あの通り可愛らしくて愛嬌があるから邑の皆に好かれている。
 邑人全員で面倒をみているようなものだ。何処へ行っても可愛がられているぞ」
 そこまで言ってから犬飼は苦笑した。
「まあ、今日は相手が悪かったな? あの都から来た甥っ子とやら、ひどい扱いじゃ」
「俺たちにも、な」
 憎憎しげに成澄が言う。
「二言目には、富裕、富裕と連呼して。俺に言わせればあいつ(・・・)が一番胡散臭い。
 これで受領が死ねば、最も得をするのは身内であるあいつではないか!」
 いったん言葉を切って成澄は首を傾げた。
「案外、〈呪詛〉はあの甥っ子がやったのかも知れぬぞ? 
 どう思う? 有雪──おい、師匠よ?」
「……」
 有雪はもう一度振り返って、少女と、その肩を抱くようにして門の方へ歩いて行く牛飼いを暫くじっと見つめていた。

 ── あの娘……



「せっかく遠路遥々来てくれたというのに……嫌な思いをさせて悪かったな?」
 自分の住居で、腰を落ち着けて後、改めて詫びる犬飼だった。

 そこは山裾の一軒家。
 家自体は板張りの簡素な小屋だが、清潔で住み心地は良さそうだった。
 前庭の一画に似たような小屋がもう一つあり、こちらが犬舎とのこと。
 白、黒、赤に、(まだら)、三十匹から四十匹の犬たちが飼われていた。
 また、家の周囲の鈴懸(すずかけ)楊梅(やまもも)の木の下に広々と垣が巡らされていて、犬たちは日昼はそこに放しておく。元気の良いのはこの垣を軽々と飛び越えて山へ遊びに行ってしまうのもいるとか。
 だが、皆、日暮れにはちゃんと帰って来るそうだ。
 勿論、一日に何度か伴走して山を疾駆させる。
 犬飼曰く、これを欠いては〈強壮勇猛〉な犬は育たない。
 ──後世、〈犬飼〉は鷹狩り用の猟犬を飼育する職種に限定されて行く。だが、平安のこの頃は純粋に犬を育てる者をこの名で呼んだ。別に〈犬山〉という呼称もあり、こちらは飼っている犬で自ら猟もする者のことである。

「これでは草臥れ損だな?」
 犬飼の憤懣は中々治まらないようだ。
「俺に縋って来た時は、あの受領、報酬は好きなだけ取らすと言っておったのだ。だからこそ、おまえを呼びに行ったのに……!」
「なんの! 都で鬱屈と過ごしているよりは遥かに面白かったよ! やはり、旅は良い!」
「これ! 師匠の俺より先に答えるなと言ったろう、ナリユキ?」
 成澄を遮った後で、有雪は呵呵笑った。
「だが、思いは、この不肖の弟子と同じじゃ。都では味わえぬ清涼な空気や長閑(のどか)な景色……心が癒されたわ。それに、何より、おまえと再会できたしな、アヤツコ?」
「雪丸……」
「今回はそれで良しとしよう」
「それから、この特製の濁り酒! 悪くない!」
 高々と盃を掲げるナリユキだった。
「こら、ナリユキ! 師匠の言葉を先取りするなったら!」
 こうして夜の耽るまで犬飼手作りの酒を酌み交わす三人だった。



 思う存分、酒を飲み、心地良い眠りを貪っていた三人は早朝、激しく叩かれる表戸の音に夢から引き戻された。
「犬飼殿! 犬飼殿!」
 呼応して犬舎の犬たちも一斉に吠えている。
 その喧しい鳴き声の中、犬飼は戸を開けた。
「何事じゃ?」
「麓の邑から……駆けに駆けて……来ました! 受領様の甥御様に仰せつかって……」
 荒い息で告げる使者。
 これは昨日会った飛騨丸ではない方、もう一人の牛飼い童だった。
「おう、安芸丸かよ? そんなに慌てて、どうした?」
「すぐに来ていただきたいとのことです」
「生憎だな? 胡散臭い俺たちはもう、今日にはここを立つつもりじゃ」
 横から顔を出して有雪が吐き捨てた。
「富裕の受領殿に、そう伝えろ」
「そ、それが……その受領様が亡くなられたのです!」
「何だと?」 

 
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