第17話 双子嫌い 〈5〉

文字数 5,008文字

「……間違いではないのか?」
 思わず懐疑の言葉が成澄の口を突いて出た。
 今、三人は、有雪の烏が門前で狂乱丸の持仏を見つけたという屋敷を遠巻きにして佇んでいる。
 そこは一町家を誇る豪邸。
ここに(・・・)今現在、誰が住んでいるか俺は知っているぞ。いや、検非遺使なら全員知っている。法橋寛誉(ほっきょうかんよ)殿だ。この屋敷は元々は大殿──前関白の藤原忠実殿の所有だった。それを近年、忠実殿直々に法橋殿に譲り渡されたと聞く」
「法橋と言えば僧の最高位、僧綱の一員ですよね? しかも、寛誉様とは──ひょっとして、広隆寺の、あの寛誉様でしょうか?」
 南都出身の仏師だけあって天衣(てんね)丸が即座に反応した。
「その通り、その寛誉殿さ。寛誉殿はな、ここ最近、忠実殿にいたく可愛がられて……補佐として全ての寺の統制役という重職に就いたのだ。その屋敷だぞ。本当にこんな場所に狂乱丸たちがいるって言うのか? おまえの烏の間違いではないだろうな?」
「フン、場所なんぞで驚いていてどうする?」
 橋下の陰陽師はせせら笑った。
「驚くのはまだ早いわ。この後、双子がやらされることの方がもっと──」
「おい、それはどういう意味だ?」
 凄い形相で検非違使に詰め寄られて流石に有雪も言葉を濁した。
「まあ、俺にも……まだハッキリとは言えぬのだが……」
 夜を待とう、と有雪は提案した。
「何故だ?」
 成澄は殺気立っている。
「おまえの言う通り、ここ(・・)に二人が囚われているなら、それなら、即刻、突入して救い出すまでだ!」
 大刀に手をかけて今しも走り出そうとする成澄。その蛮絵の袖に手を置いて有雪は引き戻した。
「ここに二人がいるのは間違いない。ただ屋敷内の何処にいるか、現段階ではわからないのだぞ。見ろ、この広さだ。突入するは容易だが、探し回っている間に、追い詰められた賊どもに二人が危害を加えられたらどうする? おまえだって、二人を生きたまま(・・・・・)取り戻したいのだろう? 屍体ではなく?」
「ウッ……」
 だからこそ(・・・・・)待て、と言うのだ、といつになく真摯な声で有雪は諭した。
「夜になれば必ず双子は引き出される。それは俺が──この陰陽師が保証する。二人の姿を確認してから動いた方が賢明というものだ」
「──……」
「幸い、二人を狩っ拐った連中は我等がこうも肉迫しているとは思ってなかろう。だから、このまま庭内にでも潜んで……暗くなるのを待とう」
 橋下の陰陽師は更に付け加えるのを忘れなかった。
「二人を眼前で見る、その時こそ(・・・・・)……何もかも明白になるはず。今回の、京師(みやこ)を騒がせた〈双子誘拐〉の本当に意味が、な」


 陽は落ちた。
 有雪が指摘した通り、双子を拐った賊どもは追跡の手がこうまで近くに迫っているとは露ほども思っていないらしい。何の警戒心もなく(しとみ)を開け放し、(にわび)囂囂(ゴウゴウ)と燃え立たせた。
 成澄、有雪、そして、天衣丸の三人は広い庭の築山の繁みに身を潜めて、周囲の様子を見守り続けた。
 屋敷内の何処にも女房や舎人の影は見当たらない。僧衣を纏った僧たちと、屈強な体付きの正体の定かではない水干姿の男たちが二十人ばかりいるだろうか? その誰もがきびきびと立ち働いている。
 やがて、寝殿造りの主殿に護摩壇が設けられた。
 時を同じくして、表門に牛車の止まる音が聞こえた。
 案内役の若い僧に導かれて客人が主殿に入って来た。
 高烏帽子に直垂(ひたたれ)姿、遠目にもわかる貴人の正装である。
 着座したその顔を見て、成澄は驚きの声を上げた。
「あいつ──」
 誰あろう、〈双子拉致犯〉追捕の長・藤原盛房ではないか……!
「怪我は偽りかよ!」
 歯噛みする成澄。片や、有雪は端正な口元を微かに歪めただけだった。
「さあ、これで役者が揃ったな?」
「では、おまえは……ハナから今回の件にあの男(・・・)が絡んでいると読んでいたのか?」
「何度言わせる? 当代一の陰陽師、この有雪様に見通せないものはないわ。そんなことより──いよいよだぞ、見逃すなよ、成澄」
 有雪は声に力を込めた。
「俺の言っているのは盛房なんぞのことじゃない。これから目の前で起こる全てを……しっかりとその双眸で見届けろ……!」
 護摩壇に香が投げ入れたらしく、パッと火の粉が弾けて、主殿の天井高く舞い上がる。
 時を移さず、錦で覆われた本尊と思しき像が屈強な男たちに四隅を支えられて運び込まれた。
 それは護摩壇の背後に(うやうや)しく据え置かれた。
 濛濛(もうもう)と紫炎の(けぶ)る中、黄の衣を纏った僧が進み出て、見たこともない奇妙奇天烈な印を結び始める。
 有雪は振り返って成澄に確認した。
「あれが、法橋寛誉か?」
 錦で覆った像の前、背中をこちらへ向けているので顔は見えなかった。
「多分な。実は、俺とて直々に会ったことはないのだ」
 呪を唱えるその声はくぐもって、思いの他、か細く、成澄たちが潜む築山までは届かなかった。
 三人に聞こえるのは、ただ秋の虫のすざく音ばかり。
 日頃から音曲好きの成澄にとって主殿で繰り広げられている音のない〈行〉は現実感が希薄で、宛ら、異界を覗いているような不可思議な感覚に陥った。
 闇の中、そこだけ禍々しい光に包まれてぽっかり浮き出た別世界。自分たちも虚空に浮かんで覗き込んでいる気がする。或いはまた、あれは壁にかかった曼荼羅で、蠢いて見えるのはこちらの目の錯覚なのかも……
 寒気がして肌が粟立った。
 これ以上、我慢ができない。成澄は傍らの陰陽師の白衣を掴んで揺すぶった。
「何が始まるかと見ていたが──おい、有雪? こんなのはただの〈行〉……貴人好みの密教の修法の類ではないか! この手のものに俺は興味はない。いい機会だ、あそこでこれが行われている間に屋敷に侵入して、双子たちを救い出そう」
「シッ! 今だ、あれを見ろ!」
「?」
 有雪が指差したその先──
 本尊に掛けられていた錦が、今、打ち払われた……! 

 未だかつて、このような像を成澄は目にしたことがなかった。
 それは、得も言われぬほど綺羅綺羅しく、奇妙な像だった。
(……装束は、天族(・・)か?)
 毘沙門天か吉祥天と思しき、あえかな天像が二つ背中合わせにぴったりと重ねられている。
 垂髪は肩から細い腰に零れる長さ。
 透き通った天衣(てんね)は白い肌を蜜のように滑って、乳首、臍の窪み、陰部から太腿……腹脛(ふくらはぎ)、踵へと(したた)り落て行く。
 像の全身を(ふちど)って燦いている珠が瓔珞(ようらく)なのか、それとも、護摩壇で燃える炎に炙られた二天像自身が流す汗なのか判然としない。
 香が投げ入れられるたびに炎の紅蓮の舌は低く高く(うね)って、像のいたる処を隈無く舐めまわす。
 すると陰影も千々に悶えて波打ち、宛ら、二天が光と影に愛撫されて果てることのない天上の喜悦の舞いを舞っているように見えた──

「──」
 この世の人間が見てはならないものがそこにあった。
 だが、目を逸らすことができない。
 
 戦慄を呼ぶ妖艶……凄惨極まる欣喜……眩暈を催す耽美……

「あれだ! あれこそが〈双身毘沙門天〉の像なり!」
 橋下の陰陽師、有雪は叫ぶ。
「そして、今、我等が眼前で執り行われている修法こそ、〈双身法〉の秘技である!」
「な……何だ……それは?」
「密教──主に天台宗に伝わる秘密修法よ!」
 築山の闇の中、浄衣の白い袖を閃かせて陰陽師は咆吼した。
「見た通り、二天で一体の態をなす! 両者とも毘沙門天の場合も、また、夫婦(めおと)と伝わる毘沙門天と吉祥天の二身で表す場合もある。が、いづれにせよ背中合わせの双身(・・・・・・・・)を本尊として、これを修法する時、衆生の利福に絶大なる力をもたらすとか……」
 薄く笑った。
「つまり、砕いて言えば、蓄財と出世……現世の利益に(すこぶ)る効験(あらた)かなのだそうだ。あんなに謎めいていて綺羅綺羅しく……結局はそれ(・・)だ、金と力!」
 有雪はひどく怒っているように見えた。
「この神秘を極めて、この現実かよ? ったく、人間という奴は……!」
 橋下の陰陽師は足下の草叢(くさむら)に唾を吐いた。
「まあ、そういう意味じゃあ、あそこにあるあの像は、まさに究極の〈背反〉ではあるな? 二天が背中合わせで一体なのは〈貨幣〉の裏表を意味しているとまで言うからな。何と言う低俗な修法よ!
 尤も──〈双身法〉の像も修法も、現実に目の当たりにしたのは俺としても初めてだ。ずっと昔に禁じられたからな。まさか、こんな外法、実際に修している酔狂な阿呆がいたとは!」
「外法はわかった」
 成澄は美しい立像から歯を食いしばって目を逸らせた。
「だが、何故、〝人〟なのだ? 何故、像に生身の人(・・・・)を用いる?」
 主殿に据え置かれた〈双身毘沙門天〉像こそ、狂乱・婆沙の二人であった。
 
 双子はそこにいた(・・・・・・・・)──

「そりゃ、単にあそこで修している奴の趣味だろ?」
 有雪は再び唾を吐いた。
「いくら秘技とはいえ、〈双身法〉の修法が生身の人間を使うなどと俺の知る限りではありえない。だから──あいつ(・・・)はきっと美しい双子が大好きなのだろうよ。双子たちを弄ぶのが今生の喜びなのさ」
 そこまで言ってから、ちょっと小首を傾げたので、一瞬、陰陽師は草叢の虫の声を聞いているように見えた。
「その上で、俺が推量するに──足が付かぬため、証拠を残さぬためもあろうな?」
 巷の陰陽師の言うには〈像〉だと()として形が残ってしまう。
「やっていることがやっていることだ。万が一、像を押さえられたら、禁止されている秘技を行っている証拠となって言い逃れできない。だが、生身の人間なら……どうだ?」
 傍にいる成澄からも、天衣(てんね)丸からも答えは返ってこない。
 仕方なく有雪は自分で答えを言った。
人間なら(・・・・)、戒めを解いてバラしてしまえば何処にでもいる、何の変哲もない一人の人間に過ぎん。もっと言えば、本当に(・・・)いらなくなった時(・・・・・・・・)だって処分しやすい。流石に道端とは言わないまでも鳥辺野辺りに捨てて来ればそれまでだ。
 だが、異形の像となったらそうは簡単に済まないだろう? 叩き壊すなり、焼却するなり、それ相応の手間がかかる……」
「……いらなくなった時って?」
 ハッとして天衣丸が息を呑んだ。
 成澄も屈強な体を震わせる。
「では、先に拐われた五組の双子たちは……もう?」
 見ろ、と有雪は二人の視線を再び主殿の像へと引き戻した。
「双子をああやって像として用いる際、薬か何ぞで意識を朦朧とさせているに相違ない。一度や二度ならともかく、あんな扱い方されたら身が持ちはしない。五組入り用だったってことは──使えなくなったから(・・・・・・・・・)その都度取り替える、つまり、次が必要になったということではないのか?」
「──」
「おまえたち、検非遺使はずっと、〝双子〟として捜索していたからな。別々に捨てられたら見つけようがない。まして、今日日、鳥辺野は死骸の山だ」
「何という(むご)いことを……!」
 少年仏師は居住まいを正して合掌した。
 検非遺使は今度こそ大刀に手を置いて、
「外道めら! 許さん……!」
 それをまたしても有雪が止めた。黒衣に白衣が重なる。
「止めるな、有雪! 最早、これまでだっ! 俺はこれ以上、我慢がならぬ。こんな悪行……許してなるものかっ!」
「おうよ、俺もそう思う。だからこそ、だ」
 有雪はいかにもこの男らしい妖しげな微笑を浮かべた。
「こんなおぞましい外法はあそこにいる狂乱・婆沙兄弟で最後にせねばな。悪党どもは絶対取り逃がしてはならぬ。そのために……俺に一計がある」
「?」
「我等ならできる。いや」
 言って、橋下の陰陽師は満足げに天衣丸の方を見やった。
我等にしか(・・・・・)できぬこと……」
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