第13話 双子嫌い 〈1〉

文字数 3,290文字

「なあ? 婆沙(ばさら)丸? 俺の目はどうかしたのだろうか……」
 耐えかねたように兄は言った。
「ほら、あの八手の葉陰に大層美しい猫がおるが。だが、どうもおかしい。葉っぱより小さく見える。おまえはどうじゃ?」
「むむむ……確かに」
 弟も漆黒の髪を揺らして同意した。
「すわっ! 化け猫なら有雪の出番じゃ! 呼んでくる」
 婆沙丸が屋敷の中へ取って返している間、狂乱丸は用心しながらもゆっくりと繁みの下の猫に近づいて行った。
「おう! これは──」

 肩に白い烏を留まらせた白衣の陰陽師が、昼寝を中断させられて欠伸をしいしい出てきた時、(くだん)の猫は狂乱丸の手の上にあった。
 傍らには童が一人、ピョンピョン跳ねて(わめ)き立てている。
「やい! 返せ! それは俺のだ! 俺がもらったんだからなっ!」
「やれやれ。化け猫とは、それ(・・)か、狂乱丸?」
「すまぬ、有雪。早とちりだった」
「兄者?」
 狂乱丸は手の中の猫を弟の方へ差し出しながら、
「これは作り物じゃ」
 今や兄弟は別の意味で驚きを隠せなかった。
「それにしても──よく出来ている! 大きさ以外(・・・・・)は本物と寸分も変わらないぞ?」
「なまじ我等、目が良いだけに、こうしっかり彫られては、小さくとも生きてるように見えたのじゃ」
 無位無冠の巷の陰陽師・有雪も自分の手に取ってつくづくと眺めながら、
「確かに。よく彫られているな」
「おい、返せったら! それは俺のだからな!」
「わかった、わかった。ところで坊主、これを何処で手に入れた? もらったとか言っておったが?」
 あっち、辻々でいくらでも彫ってくれる兄ちゃんがいるんだ、と言い残すと、せっかく手に入れた自分の玩具を異形の輩に盗られては大変とばかり、童は猫を懐に抱いて一目散に駆け去ってしまった。

 果たして。
 幾つか辻を巡った後で、遂に狂乱丸たちはやたらと子供の声の響く一画へ行き当った。
 輪になって連なった子供たちの真ん中、そんな子供たちともさして歳の違わない少年が器用に小刀を動かしている。
 今しも、その手の内で蝸牛(カタツムリ)が彫りあがった。
 既にもらっている子等は手に手に件の小さい虫を翳して流行歌(はやりうた)など歌ってご機嫌だ。
「舞え、舞え、蝸牛~~」
「舞わぬものならば~~」
「馬の子に食わさせて~ 踏み割らせて~」
「やあ! その蝸牛なら、華の園で~~ 遊べるぞ!」
「!」
 婆沙丸の言葉に少年は手を止めて顔を上げた。
 歳の頃十四、五。眉のキリリと上がった精悍な顔立ちである。
「見事な技じゃ。おまえ、名は何と?」
天衣(てんね)丸。……フン、何が見事なものか」
 少年は彫り上がった蝸牛を待っていた童に投げ与えると腰を上げた。
「今日はこれまでじゃ」
「待て、天衣丸とやら」
 慌てて兄弟は後を追った。
「我等は狂乱・婆沙と言う、見た通りの──田楽師じゃ。良かったら、屋敷まで来ないか? ぜひとも今宵の宴に招待したい……!」

「そうか。おまえさま方は双子か。ふーむ? 天の技には勝てんな! こんなにそっくりに人を作り上げるとは……」
 一条堀川の、通称、田楽屋敷。
 そも、田楽は田植え神事から起こった。
 稲の健やかな成長を祈った儀式が邪を祓う祭りとなり、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の装束、独特の楽器で賑やかに奏す歌や踊りが人気を呼んだ。都大路を埋めて老若男女が熱狂した〈嘉保の大田楽〉〈永長の大田楽〉は今も都人の語り草である。
 法師からなる本座、俗人からなる新座があって、新座を統べる長が初代犬王、この田楽屋敷の主であった。犬王急逝後、跡目を継いだのが狂乱丸なのだ。
 さて、供された膳のものを美味そうに頬張りながら天衣(てんね)丸は(しき)りに頷いている。
「一人でも美しいが、その美しい顔が鏡のごとく生き写しじゃ! 名工と称えられる俺の祖父や父とて同じ像は二つは造れぬ。例えば、観音・勢至(せいし)二対の脇侍仏なども、どうしてもどこか違ってしまうものだ」
 聞けば、天衣丸は南都から流れて来た仏師の息子だと言う。 ※南都=奈良
 都が京に移って以降、仏像の製作も自然、こちらの円派に独占され、向こうは寂れるばかり。修行とは名ばかり、京師を彷徨って鬱々と日を送っているとか。なるほど、少年の質素な装束にも実情が見て取れた。
 だから、俺は仏師には拘らない。もっと良い仕事があればいつでも鞍替えするつもりさ、と言うのを聞いて陰陽師が薄く笑った。
 ひょっとして貴人の出か、と思わせるほど一見麗容なこの男、口を開いた途端、胡散臭くなる。
「フフン。俺の弟子にしてやっても良いぞ。だが、俺の見たところ──口で言っているほど、おまえ仏師を嫌ってはおらぬな? どうだ、図星だろう? 俺には人の本心を見抜く眼力が備わっているのだ」
「眼力などいらぬわ。そんなこと我等にだってわかる」
 狂乱丸が鼻を鳴らした。
「そら、本当に彫ることが嫌いなら、あんな風に道端で一心不乱に彫り続けられるものか!」
「チェッ、掘るのは好きさ。だが、所詮、腕が全ての世界だ。玩具は彫れても仏像となるとそうはいかない」
 天衣丸は暗い目をして椀を持つ己の手を見下ろした。
「俺の手は荒い。祖父や親父に何度怒られてもこればっかりは直せない。手の筋ってものは生まれつき決まっているものだ」
 彩羅錦繍の派手な装束の兄弟に目をやって、おまえ様方も芸を売る田楽師ならそこら辺はわかるだろう、と言う。
「なるほど、俺は早く彫ることも、似せて彫ることも巧みだ。周りの誰にも負けない自信はある。だが──」
 仏師の息子は彫り痕──(のみ)癖の荒さに自ら悩んでいるらしかった。
天衣丸(・・・)とは、仏像の天衣(てんね)……あの襞をどうやっても優雅に、たおやかに彫りきれない俺を茶化して仲間が付けた名なのさ」
 自嘲する如く口を歪めて少年は笑った。
「そんなものかな?」
 田楽師の兄は酒瓶を傾けながら優しく言う。
「おまえの彫った猫や蝸牛を見たが──皆、生きているようで驚いたぞ。あの生き生きした、一瞬の内に命が凝縮したような像は、逆におまえの手の荒さ……激しさから来るのかも知れないじゃないか?」
「その通りだ!」
 弟も頷いて、
「そう自分を卑下するなよ、天衣丸! 荒さや激しさを馴らそうとばかりしないで、一遍素直に、思う存分解き放って(・・・・・)みたらどうだ?」
「え?」
「これは知り合いの検非違使の言葉だが。馬だって荒馬ほど名馬になると言うぞ。その場合、無理やり力を削ぐことばかり考えないで、思いっきり牧を走らせてやるのだそうだ。存分に走らせてやると馬は自分の速さと強さを知る。己の力を知った後でこそ、馬はおとなしく人の言うことを聞くようになるとか」
 いかにも検非違使の言いそうなことではある。
 改めて解説するまでもないが、検非遺使とは都の治安を護る重職である。
 嵯峨帝の御代に設置され、代々左右衛門府より武略軍略に卓越した官人が選抜されて来た。
 警察と司法の両方を司るこの検非遺使、蛮絵と称する獣文様の黒衣を纏って一目でそれと識別できる。
「おまえも〝荒さ〟を制御することだけに囚われないで存分に行く処まで行ったらどうだ? 自由に走らせてやれ! おまえが自分の荒さ、激しさをとことん知り尽くしたら、その果てに……その時こそ乗りこなせる、いや、己の手を使いこなせる(・・・・・・)かも知れんぞ?」
「……そんなこと言われたのは初めてだ。存分に? とことん解き放つ? そうか──」
 天衣丸は真剣に考え込む風であった。
「おい、ところで──その検非遺使(・・・・)とやらはどうした? このところちっとも姿を見ないが?」
 有雪、盃を舐めながら意味深に笑った。
「ハハァ? これは、きっとまた、どこぞの姫君に懸想して通いつめているか……でなければ、何か騒動が持ち上がったな?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み