第69話 夏越しの祭り 〈6〉

文字数 4,032文字

「後悔するぞ! こんな真似して!」
「わかったから、とっとと行けよ」
 
あの後、祭りの代役――生贄役――を今度こそ完璧に務めるから、その代わりに友人は解き放つよう邑役たちに交渉した中原成澄だった。
 この地で目にしたことの一切を口外しない、と証文を書いた上で、有雪は解放されることになった。
京師(みやこ)へ帰ったら、婆沙丸や狂乱丸によろしくな。それから――」
 有雪の所持品だと思われていたので、衛門太刀(えもんのたち)は無事返されて、今、陰陽師の背に括りつけられていた。
それ(・・)は形見だと言って狂乱丸にやっていいぞ。但し、俺の最期についてはおまえの弁舌でうまく取り繕ってくれよ?」
「フン。可愛い鄙の娘に篭絡されて、骨抜きになった挙句、無様な死に方をしたとはっきり言ってやるわ!」
 吐き捨てて、橋下の陰陽師は去って行った。


 月下、水田の広がる長閑(のどか)な風景の中を足早に歩みながら有雪は毒づいた。
「クソッ!」
 脳裏に蘇る検非遺使の声。

 ―― おまえの尽力はありがたかったがよ、有雪?
    こうなっては、最早、俺一人(・・・)が助かるだけではダメなのだ。
    郷の人間、()が救済されないことには……

 だから? 自分の命を投げ出すだと? 
 バカもいいところだ!
 俺はおまえとは違う。他人(ひと)のために犠牲になるなんて真っ平だ!
 そんな甘っちょろい考えは烏にでも喰わせてやる!
 その言葉を聞いたかのように、いつの間にか肩に白い烏が舞い戻って来た。
「おまえか? 何処で遊んで来た?」
 記述するまでもないが、この賢い鳥はいつも自在に飛んで災難に巻き込まれたためしがない。今回も牢に放り込まれたのは主人の陰陽師だけである。
「ったく、夜飛ぶ鳥など聞いたことがないぞ!」
 それもこれもあまりにも明るい月夜のせいだろう。
「おや、何だこれは? おまえ、闇を絡め盗って来たのかよ?」
 烏が足に絡めているものに目を止めて苦笑する有雪。
 だが、この後、月の下で陰陽師は暫く動かなかった。
「……」


 その陰陽師が去って、
 朝が来て、昼になり、陽が沈み……
 邪神を祀る郷にまた夜がやって来た。
 満月より数えて一日目。
 妙に明るい月の下で、呪われた夏越しの祭りが再開されようとしている。
 昨夜、有雪を見送って後、成澄は酒――体や神経を麻痺させる薬酒の類――の一切を拒否した。
 女体はもちろんのことである。
 最早二度と、成澄はカサネを近づけようとはしなかった。
 騙されていた前回とは違う。
 今夜の祭祀は自分自身が納得して、自分の意志で受け入れたことなのだ。
 心身とも潔斎して、落ち着いて、その時を待った。


 そして、その時(・・・)が来た。
 白装束も自分で身に纏った。
 介添えも断り、直立して(ぬさ)の祓いをを受け、巫覡(ふげき)に続いて、しっかりした歩調で井戸へと進む。
 これは、前夜は、成澄は知らなかったことだが。
 この祭祀の一部始終は、闇の中、びっしりと丘を埋めた郷の者たちが息を殺して見守っているのだった。
 この地の住民は、皆、自分たちの災厄を祓うために身を捧げる、その年選ばれた美しい男に手を合わせ続けて来たのだ。
 立錐の余地もなく立ち並ぶ群衆を集めながら、なんと静謐な、無音の祭りであろう……!
 と――
 今宵、その何百年と続いて来た静寂が突如、破られた。

「待て――っ!」


 「あいや、そこまで!」

「な、何だ?」
「何事?」
「我等が神聖な祭祀に乱入するとは……!」

 矢のごとく丘を駆け上がって来た白馬が一騎。
 ヒラリと舞い降りた男も、顔を覆った覆面に至るまで白一色の風体だった。
「この度、この地にて偽りの祝部の教えのままに、供犠を殺して邪神に奉る汚れし行いあると我が卦に出た! 検めさせてもらうぞ!」 ※供犠=生贄
「お、おまえは?」
「何者じゃ?」
「ええい、控えおれ! これは帝の勅旨である!」
 何やら奉書を掲げる謎の男。
「それを伝える勅使の私は、帝の陰陽師・布留佳樹である!」
違う(・・)。有雪だろ、おまえ?)
 覆面をしているとはいえ、成澄にはすぐわかった。
(あいつ、この期に及んで、一体何をする気だ……?)
 一方――
「おお……?」
「帝の……勅使様!」
 流石に、邑長(むらおさ)始め、郷中の邑役全員、帝の玉名に恐れ慄いてその場にひれ伏した。
「ふむ、それでよい」
 改めて咳払いしてから、徐ろに告げる勅使。
「さて、この度、京師(みやこ)は禁裏の祈祷場にて悪い誣告が出た。
 ええと……勅旨の内容を以下、鄙人のおまえたちにもわかりやすい言葉で教えるとだな――
 要するに、おまえたちがこの地で、間違った神(・・・・・)間違った祈り(・・・・・・)を捧げていると、我が日の本の真実の神がお怒りになったのじゃ!」
 更に声を矯めて勅使は言った。
「神はその御不快を誣告によって帝にお告げになった! それで、この私は急遽、その誣告の真相を見極めるため遣わされたのである!」
 ここで、平伏していた邑長、恐る恐る顔を上げた。
「お言葉ですが、勅使様」
「何じゃ? 言うてみよ」
「我らとて先祖代々の長きに渡り、この祭りを引き継いで来ました。それを、いきなり、偽りの神、間違った神と言われても――」
 押し並ぶ邑役たちが次々に訴える。
「いかに帝の勅使様のお言葉とはいえ、簡単に受け入れることはできかねます」
「長年、我らを守ってくださったのは、まさに、この神(・・・)なれば――」
「この祭りには、郷の存亡……我らの生活……命がかかっているのでございますっ!」
 方々で上がる必死の声。
「う、ううむ……」
 一瞬、たじろいだものの、帝の陰陽師(に化けた)有雪は言い放った。
「おまえたちは〈真実の神〉について信じられないというのだな? 
〈真実の神〉よりも〈偽りの神)の方が信頼できると?」
 陰陽師は手を打ち鳴らした。
「よし! ならば、〈真実の神〉の力を、おまえたちのその目にしっかと見せてやろう!
 誣告によれば、この井戸(・・・・)こそ、かつて正しい神に仕えた蘆屋道満なる陰陽師の井戸であるとのこと」
 ここまで聞いていた成澄、思わず顔を顰めた。
(あ、またデマカセを。よせばいいのに……)
「それを長いことおまえたちは邪神の棲家と取り違えた挙句、供犠を捧げ続けるとは愚かなり!」
 勅使(に化けた)有雪の言葉を訝しんだのは成澄だけではないと見える。
 彼方此方で抗議の声が上がった。
「お言葉ですが、勅使様!」
「この井戸は我等が神聖なる井戸!」
「何を根拠にそのようなことを言われるのです?」
 長年信じてきた神の否定はいかに鄙人とはいえ、そう簡単には受け入れられない。しかも――
「しかも、アシヤドウマン?」
「誰ですか? それ?」
「この郷の人間じゃないな?」
「そんな聞いたこともない者の井戸だなどと、馬鹿なことを!」
「え? おまえたち、蘆屋道満を知らぬのか?」
 慌て出したのは有雪である。
「この名を使えばわかりやすいかと思ったのに」
 何だか、おかしな雲行きになりかけた。
「でっきり、そのくらいは知ってるものと。では、安倍晴明はどうじゃ? やはり、こっちにしとくべきだったか?」
「――」
 静まり返る祭人一同。
 よく考えたら……
 そうか! だからこそ(・・・・・)邪神が根付くのだな(・・・・・・・・・)
 遅まきながら有雪は瞠目した。
 自然と向かい合って暮らす鄙の住人たちには縋るべき何者か――具体的な〈神〉が必要だったのだ。
 それを、邪神だの、マヤカシだのと、通りすがりの旅人が簡単に言って切り捨てさせられるほど彼らの信仰は脆弱ではなかった――
 とはいえ、ここで退くわけにはいかない。
 友の命がかかっている。

「コホン、蘆屋道満とは偉大なる陰陽師である。知らぬなら、今から憶えよ」
 
 一同を見回し、厳かな声で有雪は言った。
「ありがたくもこの井戸はその陰陽師の残した井戸である。
 それが証拠に、蘆屋道満が亡くなる際、封印した式神がこの井戸には住み着いている。
 おまえたちが毎年投げ込んで来た供犠を哀れんで、遠い地まで運んでいたのは彼等である」
 有雪は白い袖を振って叫んだ。
「死体が上がらないのはそのためだ! それを、蛇が喰ったなどと世迷言を言い続けるとは!
 井戸の式神も怒り千万である! これ以上悪しき行いを続けるなら、それこそ、かつてないほどの災厄がこの地にもたらされるであろう! ――と、禁裏の祈祷場では誣告が出た」
「し、しかし」
「ええい! まだ言うか! では聞こう。
 おまえたちは、それほど崇め奉るその〈蛇神〉とやらを見たこと(・・・・)があるのか?」
「……」
 静寂が辺りを包んだ。
「だが、私の方は、蘆屋道満が井戸に封じたと言う式神を見せること(・・・・・)ができるぞ!
 よし! どちらの言い分が正しいか――〈真実の神〉はどちらなのか、その目で確かめるが良い!」
 盛大に印を組み、九字を切り、咒文を唱えて……
 橋下の陰陽師、一世一代の技の見せ所である。
「□△#×○▽*+……」
 最後に大音声で一喝した。
「いでよ、式!」

 パパパパパッ……

 火花が散った、と思う間もなく、
 生贄を投げ落とすべく開け放ってあった井戸から跳んで出る美しき童子……!
 
「うわっ!」
「ギャッ?」

 こんな美しい生き物を鄙人たちは生まれて初めて目にしたのである。
 おまけに、一人ではなかった。
 息を継ぐ間もなく、もう一人、しかも瓜二つの式神が出現した。

「おおおおおーーーーっ!」


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