第33話 鳥の痕 〈8〉

文字数 3,010文字

 そこは一条戻り橋の橋の下。肩を寄せ合うように並んでいる掘っ立て小屋の一つが(にお)の住処だった。
 だが、驚くには当たらない。天涯孤独の歩き巫女ならこんなものだろう。
 勿論、小屋の中には誰もいなかった。
 一間きりの狭い室内。薄い夜具は隅にきちんと畳んである。衣類を入れた葛籠(つづら)が一つ、食器を伏せた小さな膳、そして、ひっくり返った鳥籠──
「良かった!」
 狂乱丸が叫んだ。弱ってはいるが中の小鳥はちゃんと生きていた。
婆沙(ばさら)、綺麗な水を汲んで来い!」
「これは何だ?」
 小屋の入口で陰陽師の声がした。戸の代わりに下げた(むしろ)の前に草の束が置いてある。
「〈(まじな)い〉の類ではないのか? 一応、巫女なんだから」
 兄に命じられるまま水を汲んで戻って来た婆沙丸が通りしな、見下ろして言った。
「いや、こんな〈呪い〉は聞いたことがない」
 首を振る有雪に、婆沙丸、少々皮肉っぽい口調で、
「おまえが知らないだけかも。おまえは仲間内でも半端者と見倣(みな)されているんだろ?」
「何だと?」
「それは鳥の餌だ。俺は神前の鳥占いの屋台で同じものを見た」
 この場は狂乱丸が決着をつけた。
多分、(とび)丸が届けたのだろう。草は青々している。つまり、今朝摘んだものだ。籠の鳥は生きていたし、となれば鳰は姿を消してからさほど時間は経っていないはず……
「今朝の草を取り入れていないと言うことは、多分、いなくなったのは昨日から今日の朝までの間だ。だとしたら──」
 まだ一縷の望みはある、と狂乱丸は思った。
「とにかく、成澄に知らせるんだ! 検非遺使の力が必要だ!」
「そして──まずは鳥飼いを押さえる必要があるぞ!」
 戸口で草の束を凝視したまま有雪が叫んだ。
「そいつが関わっているに違いない! そうでなくとも、何かしら事情を知っていよう」
「それは俺達でやる。おまえ(・・・)はもっとやるべきことがあるだろう?」
「?」
 いつになく真摯な口調で狂乱丸は橋下の陰陽師に言った。
「おまえは今こそ、歩き巫女が持ち込んだ謎の文様を読み解かなければならない」
 全てはそこから始まったのだ。
 全ての答えはそこにある。
 きっぱりと兄の田楽師は言い切った。
「もし、あの娘に万一のことがあったら、それはおまえの責任だぞ、有雪。だって、最初から歩き巫女はおまえを頼って……おまえに助けを求めてやってきたんだから……!」


 一条堀川の田楽屋敷。
 歩き巫女の住処から取って返した有雪は文様を写し取った三枚の紙片を座敷に並べると覆い被さるようにしてその前に蹲った。流石に居心地が悪いらしく白い烏はすぐに横の床へ飛び降りてしまった。
 一方、田楽師兄弟は検非遺使・中原成澄の元へ走った。事情を聞いた成澄、(うちぎ)被衣(かづき)姿の迦陵丸を同僚の検非違使に託すと、即、黒馬を拍車して件の神社へ向かった。
 石段の下に屋台は出ていた。朝の内に狂乱丸が鳥たちを放してしまったので鳥籠は片付けられて、一つもぶら下がってはいなかったが。
「おまえが鳥飼いの鳶丸か? 聞きたいことがある。使庁まで来てもらうぞ!」
「──」
 その場で鳥飼いは確保することができた。


「どうだ、有雪? 文様は読み取れたか?」
 足音も荒く座敷に入って来た検非遺使尉(けびいしのじょう)
 既に夕刻である。
「鳥飼いの方は、知らぬ、存ぜぬ、で全く埒が開かない」
 続いて双子も入って来た。陰陽師の邪魔をしないよう今の今まで座敷には立ち入らなかった二人だった。迦陵丸は、成澄がいないせいもあって今日は早々に御室(おむろ)へ戻っている。
 三枚の文様から有雪は暗い顔を上げた。
「……鳥飼いは何と言っている?」
「全く身に覚えがないそうだ。巫女に会ったのはあの日、神社前が初めてだし、謎の文様を記した(ふみ)など送ったことはない、と」
「巫女の住処の戸口に置いてあった草については?」
 訊いたのは狂乱丸である。
「ああ、それは自分がやったと認めた。巫女が飼っている鳥のために毎朝、置いていたと言うことだ」
 有雪が形の良い唇を歪める。笑ったのだ。
「親切なことだな。そいつは鳥を買った全ての人(・・・・)に毎朝、草を届けるのか?」
「いや、それについては訊くのを忘れた」
 真顔で答える検非遺使に苛立って有雪、
「別に訊かなくともいいさ! 俺の言いたいのは──やはりその鳥飼いにとって巫女は〝特別〟だということ。だから、絶対、巫女の失踪にはそいつが絡んでいる!」
「うん。毎朝、草を届けていたってことは住処を把握してるってことだものな」
 婆沙丸も納得顔で頷く。
「それなら、いつでも(・・・・)容易に連れ出せる……」
「成澄! 徹底的に鳥飼いに質せ!」
 陰陽師の声には縋るような響きが籠っていた。
「鳰の居場所はそいつが知っているはずなのだ! 俺にこんな文様を読み解かせるより、そっちの方が遥かに手っ取り早いぞ!」
 検非遺使は首を振った。
「徹底的に聞いてだめだったから、ここへ来たのだ」
「死んだのか?」
「いや。だが、暫くは口は利けまい」
 これがこの時代──〈中世〉の真実であり、限界であった。
 追捕した以上、その時点でその者は罪人である。罪人の口を割らせるのに遠慮は要らない。どんな手段を用いようと使庁は許された。現在に伝わる《法曹至要抄》には罪人に〝真実を語らせる為〟の拷問のやり方が詳細に記されている.
「やはりここは、歩き巫女に届けられた例の〈三枚の文様〉の謎を解く以外、手がかりはなさそうだ。で? どうだ、少しはわかったのか?」
「そう急き立てられても──」
 有雪の白皙の額に汗が滲んでいる。
「クソッ! わからぬ! 今度ばかりは……てんで……わからぬのじゃ!」
 弱音を吐くとは、普段尊大なこの男にしては珍しいことである。しかし、その場にいた者は誰一人そんな陰陽師を喜びはしなかった。それは取りも直さず悪い兆候だった。絶望を意味したから。
 やはり有雪は憎たらしい自信家であるべきだ。
「どうも、ハナからこの文様は俺とは相性が合わぬ。〝鳥に絡んだ〟何かだというのはわかるのだが……」
「あーあ、こんなことなら……鳥の足跡の方がマシだったな!」
 ボソッと呟いた弟の言葉に敏感に兄が反応した。
「おい、それはどう言う意味だ、婆沙?」
「うん、だからさ、こんな〈文様〉より──例えば地面にさ、〈鳥の足跡〉でもついてた方がまだ良かったと思ってさ。だって、それなら跡を追って(・・・・・)捜しに行けるじゃないか!」
 もっと深い意味があるのかと期待して損した。狂乱丸は露骨にガッカリした。
「何だ、そんなことか? くだらぬ。おまえはいつだって馬鹿なことを思いつくな?」
「鳥の跡か……」
 一方、成澄はしみじみとした口調で、
「俺はその言葉で思い出したよ」
 検非遺使は涼しい目元を細めた。
「なあ、聞いてくれ、俺は子供の頃よく父上に──」
 悲しいかな、検非遺使は思い出話を最後まで語れなかった。陰陽師の鋭い叫びがそれを遮ったのだ。
「待て──っ!」
 有雪の双眸が煌めいた。
それだ(・・・)! 〈鳥の跡〉! 何てこった……どうして、気づかなかった?」

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