第59話 鄙の怪異 〈5〉
文字数 2,276文字
昨日の威勢は何処へやら。
渡殿に蹲って震えているのは甥の
「一体何があった?」
「
有雪と成澄が質しても震えているばかりで埒が開かない。
「あわわわわ……」
辛うじて上げた腕、その震える指先が指し示す方向へと進む。
「ウッ?」
「これは──」
陰陽師、検非遺使、犬飼、何れも肝が座っている部類の人間だったが、刹那、息を飲んだ。
そこは当世流行りの〈仏間〉とでも呼ぶべき一室。
特別に作らせたに違いない木彫りの観音像が据え置かれている。
その像前に受領は倒れていた。
拝んでいたのだろうか? 香炉がひっくり返り、供物が散乱していた。
足の折れた経机。
のしかかるように横臥する受領の喉に三本、杭のようなものが打ち込まれている──
苦悶の表情に顔は歪み、捻れた唇からは今しも断末魔の叫びが聞こえてきそうだ。
咄嗟に自分で抜こうと藻掻いたのか? それとも、これは悶絶の名残?
両腕が胸の上で奇妙な格好で絡まっている。
その上に、滝のように降り注いだ血は、半ば乾いていた。
「〈呪詛〉などではない」
低い声で橋下の陰陽師が言った。
「〈呪詛〉などであるものか。これは明らかに、人の手による〈殺人〉だ……!」
「人の手による〈殺人〉なら──」
暫くして、我に返った犬飼が訊いた。
「昨日の段階で、先に亡くなった息子や奥方の死因を詳しく調べていたら、受領の死は防げたかも知れないのか?」
「まあ、それは何とも言えないが」
「おたおたおた」
甥が渡殿を這ってやって来た。腰が抜けて立てないのだ。
泣きながら有雪の白衣に縋りつく。
「お助けください、陰陽師様! これは明らかに〈呪詛〉!
この家は呪われている!
こうして、家中の者、全員、死に絶えてしまったのだから……!」
陰陽師は不敵に笑ってみせた。
「だが、まあ、ある意味これで完結したというわけだ」
「とんでもない!」
甥は首を振って、
「私はどうなります? 私が残っています! 私もこの家の血縁だもの!
ああ、富裕に目が眩んで、少しでも
呆れる成澄。
「おまえ、ドサクサに紛れてとんでもないこと口走ってるぞ?」
「そんなことはこの際どうでもいい! お、お願いします! 一刻も早く〈呪詛〉の元を正して、私を助けてください! お縋りできるのは今や貴方様だけです、高名な都の陰陽師様!」
今度呆れるのは犬飼だった。
「昨日と言ってることが、丸きり違ってますよ、甥御様?」
「そりゃ、自分の命がかかっているとなれば必死にもなりますよ!」
流石に開いた口が塞がらない三人だった。
「お願いします! 金なら、いくらでも出しますから! どうせ伯父上の金だし──」
「……」
「嫌だ! 助けて! 私は伯父上みたいな死に方はしたくない──っ!」
三人の冷たい視線の中で都育ちの甥っ子は独楽のようにクルクル回って泣き叫んだ。
「助けて! 助けて! 誰か──……!」
とうとう甥は興奮極まって失神してしまった。
「どうする?」
足元に伸びている都人を眺めながら、成澄が訊く。
「昨日の言動を考えれば、こんな奴、放って帰ることもできる」
有雪はゆっくりと言った。
「こいつは動転してしまって、すっかり〈呪詛〉と思い込んでいるがよ、さっき言ったように、受領の死は、どう見たって〈殺人〉だ」
「だから?」
犬飼が促した。
「うむ、受領が〈殺人〉なら、では、先の家族の死はそれぞれ何だったのか? どうも引っかかる。
ここはやはり、きっちりと謎を見極めてから都へ帰るべきだな」
幼馴染のこの言葉に大いに満足して犬飼は頷いた。
「おまえなら、そう言うと思ったよ!」
「それによ、この馬鹿な甥っ子から、大金をせしめられそうだし」
検非遺使、今は警護兼弟子の成澄も頷いた。
「……おまえなら、そう言うと思ったよ!」
全く役に立たない甥をよそに、受領・
弔い、と言っても、平安末期のこの頃、定型はまだなかった。
都人ですら鳥辺野等、山へ亡骸を〝捨てる〟のが葬儀だったのだ。
よほど身分の高い貴人は僧を呼んだり、荼毘に処したりしたが。
その貴人でも子供はやはり、山へ捨てた。庶民と違いがあるとしたら、亡骸を錦の袋に入れることくらいである。
幼い娘を亡くした
受領がなくなったことは既に邑中に伝わっているはずなのに、誰一人弔問に訪れる者はいなかった。
皆、〈呪詛〉を恐れているのか、でなければ、よほど嫌われているのだろう。
遅い昼餉の後、最初に死んだ長男の、その死に方について詳細に検分しようということになり三人は川へ出向いた。