第53話 眠り姫 〈10〉
文字数 3,298文字
いよいよ〈追儺 の祭祀〉当日である。
陽が落ちるのを待って、それは開始された。
綺羅綺羅しい装束に身を包んだ双子の田楽師。
それぞれ得意の楽器、編木子 と鼓を携えている。
片や、〈廂 の間〉入り口近くに控える二人の陰陽師と検非遺使。
今日ばかりは三人とも黒衣を纏っている。
三人の周囲には注連縄 が張り巡らされ、足元には五行相克図、五芒星、俗に言う晴明桔梗印。
こうすることで姫には三人の姿は見えない、と布留芳樹は言う。
逆に、田楽師たちには目立ってもらわなければならない。
観察の結果、姫は〈半覚醒〉の状態が一番危険がないことがわかっているので、姫の目を開かせ、誘い出して玉を見せよう、という手順である。
そして、玉に心奪われた時、その一瞬が勝負だ。
「準備はいいな? よし!」
布留の合図とともに、編木子が鳴り、鼓が激しく打ち鳴らされた。
つい、黒衣の三人ですら目を奪われるほどの、艶やかな田楽舞いが始まった。
「──」
御帳台で姫もムックリと起き上がる。
賑やかな田楽の響き。
美しい田楽師たちの舞踏。
パッチリと目を見開き、吸い寄せられるように姫はやって来た。
うっとりと双子の所作に見入っている。
「それ!」
懐から五つの玉を取り出して、結界の外に並べる帝の陰陽師。
「?」
田楽舞いから姫はそちらへ目を転じた。
既に〈桃の矢〉は弓に番えてある。
後は、姫が玉に近づく、その須臾 の旬 を待つのみ。
だが──
姫は全く無関心だった。
チラと目をやっただけで、すぐ田楽師の方へ視線を戻す。
そのまま、田楽舞いへと真っすぐ突き進んで行く。
「これは──」
「ど、どうしたのだ?」
「姫は玉に興味を示さないぞ?」
「つ!」
間違えた ?
「では、これらの〈玉〉は、姫の求める〈たま〉ではなかったのか?」
流石に布留も動転した。額に汗が滲んでいる。
「これからどうする?」
成澄は歯を食いしばって質した。
「姫は双子たちの方へ向かっているぞ? このままではあいつらが危険だ!」
「どけ!」
立ち上がったのは有雪だった。
すばやく懐から何か──籠だ──掴み出すと、振って開けた。
途端に、パパパパッと飛び散る光……
暮れ始めた周囲の薄闇に明滅する光……
「蛍か!」
「?」
姫は足を止めて、飛び交う光に見入った。
「なるほど!」
蔵人所陰陽師は頷いた。
「うまいぞ!あれら も確かに〈玉〉じゃ!」
橋下の陰陽師、頷き返して一言。
「念には念を入れて 、万事抜かりなきよう 準備する。
これぞ、我等陰陽師の職 なり!」
「あれは──」
一方、田楽師の兄は口惜しそうに呟いた。
「夕べ、俺が獲って来たものじゃ!」
飛び交い始めていると聞いて、成澄を誘って蔵馬山の小川に蛍狩りへ行った狂乱丸。
今宵は蚊帳の中に放して楽しもうと思っていたのに。
「クソッ、それを勝手に持ち出しやがって、あの似非陰陽師め!」
とはいえ、これは功を奏した。
今、姫は、小さな光る玉を捉えようと夢中だ。
さあ、次こそ、検非遺使の出番である。
二人の陰陽師は声を揃えて叫んだ。
「やれ!」
「成澄!」
「承知!」
だが……!
充分に引き絞って放たれた破邪の〈桃の矢〉は、宙を切って、壁に当たって、落ちた。
ポスッ。
なんとも形容し難い、嫌な音。
その場にいた一同が最も聞きたくなかった、虚しい音。
その密やかな音が響き渡った刹那、あれほど艶やかに燦ざめいていた田楽の調べも途切れた。
「外した 、だと?」
この俺が?
使庁に並びなき弓の名手の、この俺が、かよ……?
中原成澄の衝撃は大きかった。
だが、矢を外した検非遺使だけを責められない。
何故なら、〈眠り姫〉の動きは尋常ではなかったのだ。
蛍を掴み取ろうと、背を丸めるとシャッと飛んだ。
その丸めた背の上を、成澄の放った矢は虚しく飛び去った──
「万事休す……!」
思わず呻く成澄。
「今のは何じゃ?」
姫の目が闇の中で金色に煌めいた。
「今、わらわを射たな?」
姫は黒髪を波立たせて左右を見廻した。
「誰じゃ? 何処にいる?」
幸いというべきか、呪術陣内にいる検非遺使の姿は姫には映らない。
姫の目は田楽師に止まった。
「おまえたちか? 騙したな? 騙して、わらわを狩ろうとしたな?」
「え?」
「お?」
小さな足で、裾を引いて、躙り寄る。
双子の田楽師はその場に腰を落としたまま硬直した。
「馬鹿な真似を……!
おまえたち、わらわを射て、ただで済むと思うなよ?」
「射たのは俺だ! そいつらには手を出すな!」
検非遺使が結界から飛び出した。
「成澄?」
「あのバカ!」
有雪は歯噛みしたが、もう遅い。
姫の目はハッキリと弓箭帯びたその姿を捉えた。
「おまえは──検非遺使? いつからここにおった?」
「さっきから、ずっとだ。そして、この弓で、姫を射て、仕損じた」
大股に室を突っ切って姫の前に立つ。
姫の背丈は黒衣の胸の辺り。身を屈めて成澄は言った。
「なあ? 姫の欲しがっている〈たま〉とは、ひょっとして、魂のことか?
ならば、俺のをくれてやる。だから、そいつら は見逃してやってくれ」
それから、素早く肩越しに振り返って田楽師兄弟に叫んだ。
「今の内に逃げろ、狂乱丸、婆沙丸! できる限り遠くへ駆け去るんだ!」
「あのバカ……」
呪術陣内で繰り返す有雪だった。
だが、検非遺使の気性は嫌と言うほど知っていた。
あの男ならこうするだろう。田楽師たちを見す見す見殺しになどするはずはなかった。
自分の命に 代えても ──
「で? これからどうする? 次の策はあるのか、鱗持ちの帝の陰陽師よ?」
「私は……もうない。おまえはどうだ? 巷の橋下の陰陽師?」
「いや、俺も、流石にさっきので終いじゃ」
「ということは──今度こそ万策尽きたな」
諦観の陰陽師たち。
この場合、この種の性格は如何 なものか。
「後はもう念仏でも唱えるか」
「我等は陰陽師。念仏は僧侶の職 じゃ」
「ところが、俺は寺で育ったから念仏も誦せる……」
「さあ、姫、こっちだ! こっちを見ろ!」
一方、呪術陣の外。
成澄は田楽師から〈眠り姫〉の気を逸らそうと奮闘している。
自分の方へ顔を向かせようと思わず姫の両肩に手を置いて気づいた。
── おや?
〈半覚醒〉と布留佳樹は言っていたが。
確かに、眼前の姫は、近づく人間を夢に引き込む〈完全に眠っている〉時ほど力はないようだ。
つまり、今の姫は、〝人間の有す力〟以上のことはできない?
ならば──
何とかなるかも。腕力ではこちらのほうが強いのだから。
検非遺使の脳裏を刹那、僥倖 が掠めた。
実際、先刻から、肩を抑えられたまま姫は動かなかった。
おとなしく、ジィーッと成澄を見つめている。成澄の瞳を。
俺の何を だって?
甘かった……!
「きれい」
「うあっ?」
姫の爪が成澄の右目を裂いた。
「たまを見つけたぞ! それ、綺麗なたま じゃな?
わらわはそれが欲しい!」
飛びつくと、馬乗りになり、細い指で爪を立てる。
〝人の力〟で姫は成澄の目を抉り取ろうとした。
「くっ?」
「何じゃ? 逆らうのか? おまえは私に、たまをくれると言うたではないか!」
「──」
真正直な検非遺使は抗うのをやめた。
目を庇っていた両腕をダラリと下げた。
「そうだったな? 約束したんだった。
わかったよ、姫。じゃ、持って行け」
魂を取られるよりはマシかも知れない……
陽が落ちるのを待って、それは開始された。
綺羅綺羅しい装束に身を包んだ双子の田楽師。
それぞれ得意の楽器、
片や、〈
今日ばかりは三人とも黒衣を纏っている。
三人の周囲には
こうすることで姫には三人の姿は見えない、と布留芳樹は言う。
逆に、田楽師たちには目立ってもらわなければならない。
観察の結果、姫は〈半覚醒〉の状態が一番危険がないことがわかっているので、姫の目を開かせ、誘い出して玉を見せよう、という手順である。
そして、玉に心奪われた時、その一瞬が勝負だ。
「準備はいいな? よし!」
布留の合図とともに、編木子が鳴り、鼓が激しく打ち鳴らされた。
つい、黒衣の三人ですら目を奪われるほどの、艶やかな田楽舞いが始まった。
「──」
御帳台で姫もムックリと起き上がる。
賑やかな田楽の響き。
美しい田楽師たちの舞踏。
パッチリと目を見開き、吸い寄せられるように姫はやって来た。
うっとりと双子の所作に見入っている。
「それ!」
懐から五つの玉を取り出して、結界の外に並べる帝の陰陽師。
「?」
田楽舞いから姫はそちらへ目を転じた。
既に〈桃の矢〉は弓に番えてある。
後は、姫が玉に近づく、その
だが──
姫は全く無関心だった。
チラと目をやっただけで、すぐ田楽師の方へ視線を戻す。
そのまま、田楽舞いへと真っすぐ突き進んで行く。
「これは──」
「ど、どうしたのだ?」
「姫は玉に興味を示さないぞ?」
「つ!」
「では、これらの〈玉〉は、姫の求める〈たま〉ではなかったのか?」
流石に布留も動転した。額に汗が滲んでいる。
「これからどうする?」
成澄は歯を食いしばって質した。
「姫は双子たちの方へ向かっているぞ? このままではあいつらが危険だ!」
「どけ!」
立ち上がったのは有雪だった。
すばやく懐から何か──籠だ──掴み出すと、振って開けた。
途端に、パパパパッと飛び散る光……
暮れ始めた周囲の薄闇に明滅する光……
「蛍か!」
「?」
姫は足を止めて、飛び交う光に見入った。
「なるほど!」
蔵人所陰陽師は頷いた。
「うまいぞ!
橋下の陰陽師、頷き返して一言。
「
これぞ、我等陰陽師の
「あれは──」
一方、田楽師の兄は口惜しそうに呟いた。
「夕べ、俺が獲って来たものじゃ!」
飛び交い始めていると聞いて、成澄を誘って蔵馬山の小川に蛍狩りへ行った狂乱丸。
今宵は蚊帳の中に放して楽しもうと思っていたのに。
「クソッ、それを勝手に持ち出しやがって、あの似非陰陽師め!」
とはいえ、これは功を奏した。
今、姫は、小さな光る玉を捉えようと夢中だ。
さあ、次こそ、検非遺使の出番である。
二人の陰陽師は声を揃えて叫んだ。
「やれ!」
「成澄!」
「承知!」
だが……!
充分に引き絞って放たれた破邪の〈桃の矢〉は、宙を切って、壁に当たって、落ちた。
ポスッ。
なんとも形容し難い、嫌な音。
その場にいた一同が最も聞きたくなかった、虚しい音。
その密やかな音が響き渡った刹那、あれほど艶やかに燦ざめいていた田楽の調べも途切れた。
「
この俺が?
使庁に並びなき弓の名手の、この俺が、かよ……?
中原成澄の衝撃は大きかった。
だが、矢を外した検非遺使だけを責められない。
何故なら、〈眠り姫〉の動きは尋常ではなかったのだ。
蛍を掴み取ろうと、背を丸めるとシャッと飛んだ。
その丸めた背の上を、成澄の放った矢は虚しく飛び去った──
「万事休す……!」
思わず呻く成澄。
「今のは何じゃ?」
姫の目が闇の中で金色に煌めいた。
「今、わらわを射たな?」
姫は黒髪を波立たせて左右を見廻した。
「誰じゃ? 何処にいる?」
幸いというべきか、呪術陣内にいる検非遺使の姿は姫には映らない。
姫の目は田楽師に止まった。
「おまえたちか? 騙したな? 騙して、わらわを狩ろうとしたな?」
「え?」
「お?」
小さな足で、裾を引いて、躙り寄る。
双子の田楽師はその場に腰を落としたまま硬直した。
「馬鹿な真似を……!
おまえたち、わらわを射て、ただで済むと思うなよ?」
「射たのは俺だ! そいつらには手を出すな!」
検非遺使が結界から飛び出した。
「成澄?」
「あのバカ!」
有雪は歯噛みしたが、もう遅い。
姫の目はハッキリと弓箭帯びたその姿を捉えた。
「おまえは──検非遺使? いつからここにおった?」
「さっきから、ずっとだ。そして、この弓で、姫を射て、仕損じた」
大股に室を突っ切って姫の前に立つ。
姫の背丈は黒衣の胸の辺り。身を屈めて成澄は言った。
「なあ? 姫の欲しがっている〈たま〉とは、ひょっとして、魂のことか?
ならば、俺のをくれてやる。だから、
それから、素早く肩越しに振り返って田楽師兄弟に叫んだ。
「今の内に逃げろ、狂乱丸、婆沙丸! できる限り遠くへ駆け去るんだ!」
「あのバカ……」
呪術陣内で繰り返す有雪だった。
だが、検非遺使の気性は嫌と言うほど知っていた。
あの男ならこうするだろう。田楽師たちを見す見す見殺しになどするはずはなかった。
「で? これからどうする? 次の策はあるのか、鱗持ちの帝の陰陽師よ?」
「私は……もうない。おまえはどうだ? 巷の橋下の陰陽師?」
「いや、俺も、流石にさっきので終いじゃ」
「ということは──今度こそ万策尽きたな」
諦観の陰陽師たち。
この場合、この種の性格は
「後はもう念仏でも唱えるか」
「我等は陰陽師。念仏は僧侶の
「ところが、俺は寺で育ったから念仏も誦せる……」
「さあ、姫、こっちだ! こっちを見ろ!」
一方、呪術陣の外。
成澄は田楽師から〈眠り姫〉の気を逸らそうと奮闘している。
自分の方へ顔を向かせようと思わず姫の両肩に手を置いて気づいた。
── おや?
〈半覚醒〉と布留佳樹は言っていたが。
確かに、眼前の姫は、近づく人間を夢に引き込む〈完全に眠っている〉時ほど力はないようだ。
つまり、今の姫は、〝人間の有す力〟以上のことはできない?
ならば──
何とかなるかも。腕力ではこちらのほうが強いのだから。
検非遺使の脳裏を刹那、
実際、先刻から、肩を抑えられたまま姫は動かなかった。
おとなしく、ジィーッと成澄を見つめている。成澄の瞳を。
俺の
甘かった……!
「きれい」
「うあっ?」
姫の爪が成澄の右目を裂いた。
「たまを見つけたぞ! それ、綺麗な
わらわはそれが欲しい!」
飛びつくと、馬乗りになり、細い指で爪を立てる。
〝人の力〟で姫は成澄の目を抉り取ろうとした。
「くっ?」
「何じゃ? 逆らうのか? おまえは私に、たまをくれると言うたではないか!」
「──」
真正直な検非遺使は抗うのをやめた。
目を庇っていた両腕をダラリと下げた。
「そうだったな? 約束したんだった。
わかったよ、姫。じゃ、持って行け」
魂を取られるよりはマシかも知れない……