第50話 眠り姫 〈7〉
文字数 2,141文字
「ついている って──」
思わず毒づく成澄だった。
「ほんっと、ついているだけ だな、おい!」
全く手を貸そうとしない有雪。
腹を括って一人で姫を抱え上げた成澄である。
「何、おまえの方が腕力があるのだから、姫を運ぶのはおまえがやって当然だろう?」
動じることなく有雪は返した。
「大丈夫、取り込まれて意識を失いそうになったら、その時は、俺が手を引っ張ってやるよ。
ほら、狂乱丸の代わりにさ?」
「断る!」
御帳台へは三、四歩の距離だった。
それなのに三百歩のように感じる。
ままよ、有雪が先に立ち、歩き出した。
「ウッ?」
姫を腕に抱いて一歩足を踏み出した途端、早くも周囲が暗転した。
だが──
先を行く有雪の周囲だけ、ほんのりと闇に浮いて見える。
宛ら、有雪自身が光を放っているようだ。
(ほう? こりゃ、そう馬鹿にしたものでもないな? 橋下の陰陽師め……)
こうして、陰陽師を灯 として、
自身が岩になったように思えるほど重い体を一歩一歩、引きずるようにして成澄は進んだ。
遂に御帳台に辿り着いた。
静かに姫を下ろす。
「ふう」
安心したのも、束の間、うっそりと姫の手が伸びて、蛮絵の袖を引いた。
「うわ?」
「いかん!」
飛びついて、姫の手に手を重ねる有雪。
「放せ、姫! 連れて行ったところで、こいつは面白みのない男だぞ!」
「この期に及んで……おまえ、それを……言うか?
場違いも甚だしい……」
言った検非遺使の方も、場違いの、これ以上ないくらい爽やかな笑顔だった。
「俺はいいから……おまえだけでも戻れ。このままでは……共倒れ……」
姫の上に覆い被さるようにして成澄は意識を失った。
「置いて行くだと? そんなことした日には、俺が狂乱丸にイビリ殺されるわ! クソッ!」
なんとか成澄の体を自分の方へ引き起こすものの、姫の小さな手は外せない。
万力のごとく、信じられない強さでガッチリと握られている。
その姫の手に直接重ねた有雪の手にも凍えるような冷気が這い昇って来た。
「い、息が、詰まる……」
もはや、ここまでか──
なんてこった! 二人もついていながらこれかよ?
〈帝の陰陽師〉は、この俺たちの有様をみて嘲笑うだろうな?
有雪がチラとそんなことを思った時、一陣の風が過 ぎった。
温かい、日だまりのような、獣の匂い。
「?」
その匂いを有雪は嫌いではなかった。
が、姫の手が震えだした。
駆け抜ける群れ──
「ギャッ!」
叫んで、姫が手を放した反動で、成澄ごと有雪は地面に転倒してしまった。
「た、助けろ!」
駆け抜ける犬の群れの殿 にいた猟師に呼びかける。
「またかよ? 手のかかる奴じゃ!」
軽々と検非遺使を肩に担ぎ上げ、有雪を引き起こすと、猟師は歩き出した。
「いい場所だな。ここは何処じゃ? 紀州か? 吉野か?」
後を追いながら問う有雪。
笠から僅かに見えるその男の顔は笑っているように見えた。
再度、有雪は尋ねた。
「……あれから、おまえはどうしていた?」
「いろんなことがあったさ。おまえは?」
「まあ、おれもじゃ。
だが──おまえ が猟師をやっているとは思わなかったぞ」
「厳密には〈猟師〉ではない。俺は〈犬飼〉さ」
「?」
「知らぬか? 狩りでは勿論だが、武士が増えた昨今では白磨 やら犬追物 やらと、神事や競技に 犬は引っ張りだこさ!
それも、ただ犬であればいい、というわけには行かない。
強壮で賢く、見た目も美しい俺の犬は大層な人気じゃ!」
有雪は納得して笑った。
「まあ、おまえなら──犬を育てるのは得意だろうよ? 犬と育ったんだから」
「そうだった。懐かしいな」
犬飼も頷いて笑った。その後で顎を引き締めた。
「だが、昔語りをするには俺たちは若すぎるぞ?」
「その通りだな」
拳を作って犬飼は陰陽師の肩の当たりをドンと叩いた。
「俺たちの人生はまだまだこれからじゃ!」
「まだまだ、か?」
まだまだ……
これから……
「気がついたか?」
覗き込んでいるのは検非遺使だった。
「心配したんだぞ?
あんまり気持ちよさそうに寝てるからよ。もう二度と目醒めないかと思った」
「いやいや! 昏倒したのはおまえの方だろ?」
有雪は跳ね起きた。
「俺が、それこそ、命懸けで助けてやったんだぞ! 忘れたのか?」
「いや、助けたのは俺だ。伸びてるおまえを、連れ帰ってやってくれと渡された。
それで、俺が背負って、草深い道をなんとか戻って来た」
「……」
「猟師かな? 箕を纏って深く笠を被った、なかなか立派な体躯の男だったが。
誰だ、あいつ? 知り合いか?」
「ああ。昔の──友さ」
「へえ! おまえでも友がいたのだな!」
「だまれ!」
それにしても、と、二人は同時に振り返った。
その視線の先に御帳台はある。
「この〈眠り姫〉、早くなんとかしないことには……」
「このままでは、命がいくつあってもたまったものじゃない……」
思わず毒づく成澄だった。
「ほんっと、
全く手を貸そうとしない有雪。
腹を括って一人で姫を抱え上げた成澄である。
「何、おまえの方が腕力があるのだから、姫を運ぶのはおまえがやって当然だろう?」
動じることなく有雪は返した。
「大丈夫、取り込まれて意識を失いそうになったら、その時は、俺が手を引っ張ってやるよ。
ほら、狂乱丸の代わりにさ?」
「断る!」
御帳台へは三、四歩の距離だった。
それなのに三百歩のように感じる。
ままよ、有雪が先に立ち、歩き出した。
「ウッ?」
姫を腕に抱いて一歩足を踏み出した途端、早くも周囲が暗転した。
だが──
先を行く有雪の周囲だけ、ほんのりと闇に浮いて見える。
宛ら、有雪自身が光を放っているようだ。
(ほう? こりゃ、そう馬鹿にしたものでもないな? 橋下の陰陽師め……)
こうして、陰陽師を
自身が岩になったように思えるほど重い体を一歩一歩、引きずるようにして成澄は進んだ。
遂に御帳台に辿り着いた。
静かに姫を下ろす。
「ふう」
安心したのも、束の間、うっそりと姫の手が伸びて、蛮絵の袖を引いた。
「うわ?」
「いかん!」
飛びついて、姫の手に手を重ねる有雪。
「放せ、姫! 連れて行ったところで、こいつは面白みのない男だぞ!」
「この期に及んで……おまえ、それを……言うか?
場違いも甚だしい……」
言った検非遺使の方も、場違いの、これ以上ないくらい爽やかな笑顔だった。
「俺はいいから……おまえだけでも戻れ。このままでは……共倒れ……」
姫の上に覆い被さるようにして成澄は意識を失った。
「置いて行くだと? そんなことした日には、俺が狂乱丸にイビリ殺されるわ! クソッ!」
なんとか成澄の体を自分の方へ引き起こすものの、姫の小さな手は外せない。
万力のごとく、信じられない強さでガッチリと握られている。
その姫の手に直接重ねた有雪の手にも凍えるような冷気が這い昇って来た。
「い、息が、詰まる……」
もはや、ここまでか──
なんてこった! 二人もついていながらこれかよ?
〈帝の陰陽師〉は、この俺たちの有様をみて嘲笑うだろうな?
有雪がチラとそんなことを思った時、一陣の風が
温かい、日だまりのような、獣の匂い。
「?」
その匂いを有雪は嫌いではなかった。
が、姫の手が震えだした。
駆け抜ける群れ──
「ギャッ!」
叫んで、姫が手を放した反動で、成澄ごと有雪は地面に転倒してしまった。
「た、助けろ!」
駆け抜ける犬の群れの
「またかよ? 手のかかる奴じゃ!」
軽々と検非遺使を肩に担ぎ上げ、有雪を引き起こすと、猟師は歩き出した。
「いい場所だな。ここは何処じゃ? 紀州か? 吉野か?」
後を追いながら問う有雪。
笠から僅かに見えるその男の顔は笑っているように見えた。
再度、有雪は尋ねた。
「……あれから、おまえはどうしていた?」
「いろんなことがあったさ。おまえは?」
「まあ、おれもじゃ。
だが──
「厳密には〈猟師〉ではない。俺は〈犬飼〉さ」
「?」
「知らぬか? 狩りでは勿論だが、武士が増えた昨今では
それも、ただ犬であればいい、というわけには行かない。
強壮で賢く、見た目も美しい俺の犬は大層な人気じゃ!」
有雪は納得して笑った。
「まあ、おまえなら──犬を育てるのは得意だろうよ? 犬と育ったんだから」
「そうだった。懐かしいな」
犬飼も頷いて笑った。その後で顎を引き締めた。
「だが、昔語りをするには俺たちは若すぎるぞ?」
「その通りだな」
拳を作って犬飼は陰陽師の肩の当たりをドンと叩いた。
「俺たちの人生はまだまだこれからじゃ!」
「まだまだ、か?」
まだまだ……
これから……
「気がついたか?」
覗き込んでいるのは検非遺使だった。
「心配したんだぞ?
あんまり気持ちよさそうに寝てるからよ。もう二度と目醒めないかと思った」
「いやいや! 昏倒したのはおまえの方だろ?」
有雪は跳ね起きた。
「俺が、それこそ、命懸けで助けてやったんだぞ! 忘れたのか?」
「いや、助けたのは俺だ。伸びてるおまえを、連れ帰ってやってくれと渡された。
それで、俺が背負って、草深い道をなんとか戻って来た」
「……」
「猟師かな? 箕を纏って深く笠を被った、なかなか立派な体躯の男だったが。
誰だ、あいつ? 知り合いか?」
「ああ。昔の──友さ」
「へえ! おまえでも友がいたのだな!」
「だまれ!」
それにしても、と、二人は同時に振り返った。
その視線の先に御帳台はある。
「この〈眠り姫〉、早くなんとかしないことには……」
「このままでは、命がいくつあってもたまったものじゃない……」