第31話 鳥の痕 〈6〉

文字数 2,818文字

 かくして──
 完全に臍を曲げてしまった狂乱丸に変わって、今回使庁の囮役は迦陵(かりょう)丸が務めることとなった。
 流石に水干ではまずいので(うちぎ)を纏い小袿(こうちぎ)を羽織る。そうして、怪しい輩の出没しそうな場所に立って(おび)き寄せるのである。勿論、背後に検非違使が潜んでいて、声をかけてきた連中を片っ端から絡め獲って行く……
 だが、どれも不発だった。(さなが)ら、篝火に飛び込む羽虫のごとく男どもは次々捕まったが行方知れずの七人の娘たちに繋がる人物はいなかった。
 それら失敗談の一部始終を婆沙(ばさら)丸は毎日聞く破目になった。
 と言うのも、迦陵丸の着替えを田楽屋敷でしたからだ。
 毎朝、御室(おむろ)仁和寺(にんなじ)からやって来る稚児は一条堀川のその屋敷で水干を袿に代えて成澄と出かけて行く。そして、夕刻、一緒に戻って来ては元の水干に着替えて寺へ帰るのだ。
 このことがどれほど狂乱丸を悩乱させているか──成澄は全く気付いていなかった。
 今や、成澄が(そして、迦陵丸が)いる間は、天岩戸のごとくピッタリと自室の襖を締め切って狂乱丸は一歩も外へ出て来なかった。
 悋気(りんき)心の強過ぎる兄も、鈍い検非遺使も、どっちもどっちだと婆沙丸は呆れ果てていた。
 迦陵丸は迦陵丸でわざと狂乱丸を怒らせている感がある。狂乱丸に敵愾心を燃やして、嫌がることをして挑発しているのだ。
 今や、田楽屋敷は天下の検非遺使の〝首〟を我が物にしようとする美少年たちの合戦の場と化していた。

「……これからどうすればいいのだろう、俺は?」
 囮作戦も四日目を虚しく過ごして、検非遺使・中原成澄が疲れ果てた顔で座敷に入って来た。
「それは何か? いよいよ自分の行く末について俺に占って欲しいと?」
 大の字になって寝ていた陰陽師がニヤニヤして起き上がる。
 昼寝にしろ、この男は何故、自分の室で寝ないんだろう? 一度訊かねば、と思う成澄だった。
 陰陽師は、寝ている間、忠実に枕元で控えていた烏が肩に戻るのを待って言う。
「いいとも! で? 行き詰まっているどっちを占う? 仕事か、恋か。断っておくが俺の〈恋占い〉は高くつくぞ」
「よしてくれ、誰がおまえの占いなんぞに頼るよ」
 慌てて蛮絵の袖を振ってから、ふと思い出した。
「俺のことより──おまえの方(・・・・・)はどうなったんだ? 謎の文様は読み解けたのか?」
「ああ、あれか」
 欠伸を噛み殺して再び寝転がる有雪。バサリ、白い烏がまた羽ばたく。
「解くも解かないも……自分で解決したからもう良いと歩き巫女の方で言って来たのさ。ほら、この前、玄関先で会ったろう? あの時だよ」
 天井を見つめながら思い出す。お礼の酒は美味かった。良い酒であった……
「まあ、元々悪戯以上の代物ではないからな。あんなもの謎でも何でもないさ」
「歩き巫女って、先日の女の人ですか? あの〝鳰鳥〟の?」
 寺に帰る素振りも見せずグズグズと居残っていた稚児も座敷に入って来た。
 成澄の真横に腰を下ろすと、
「謎の文様って、それ、何ですか?」
 有雪は袂を探って入れっぱなしだった紙片を引っ張り出した。それを並べながら、
「鳰が言うには、この図の通りやってみたんだと。一、鳥のたくさん集まる木の処へ行って……二、そこから伸びている道を辿った……」
「辿ったら?」
「神社に行き着いた。その門前には鳥占いの屋台が出ていた」
「へえ?」
 迦陵丸が瞳を耀かす。成澄も引き込まれて先を促した。
「面白いな。で?」
「屋台では鳥を籠に入れて売っていたとさ。その鳥たちを見て巫女は思い当たったそうな」
 三枚目を指しながら有雪は言った。
「この文様はまさしく〝この場所〟を表しているのだ、と。ほら、鳥居があって、御籤(みくじ)箱があって、鳥もいる。後はおまえさんたちも知っている話だ。奇特な貴人が現れて鳥を買って巫女に与えた。放すも良し、持ち帰って飼うも良し……」
 神前で売られている鳥は元々〈放生(ほうじょう)〉の意味もあった。参詣者は金を払ってそれを買い取り、その場で籠を開け逃がしてやる。命を助けて功徳を積んだことになるというわけだ。
「ああ! その時、その貴人が例の万葉歌を口遊んだのですね? 風流だなあ!」
 稚児は夢見るようにため息をついた。傍らの検非遺使に熱い眼差しを向ける。
「私も誰かにそんな風に心を告げられてみたい……」
「だが、まあ、今回の話は狐に抓まれた……と言うか、いや、こうか? 鳥に(つつ)かれたような奇妙な話ではあるな!」
 豪快に笑い飛ばす成澄。いかにもこの男らしい爽快で凛とした笑顔で、
「ほら、鳥尽くし(・・・・)の感がある。鳥の文様から始まって──大体、その巫女の名にも鳥が入っているし」
「実はまだある」
 思い当たって陰陽師も薄く笑った。こちらはゾッとするほど玲瓏な微笑。
「巫女の話では、その屋台の鳥飼いも鳥の名なのだそうだ。確か、(とび)丸とか……」
「ひょっとして」
 茱萸のような唇を舐めながら迦陵丸が指摘する。
「この謎の文様を書いたのはそいつ──鳶丸なのでは?」
 唐突な稚児の言葉に、肩の烏を撫でる手を止めて有雪が問い返した。
「ほほう? どうしてそう思う?」
「私が思うに、その鳥飼いはずっと以前から巫女に恋心を抱いていたのではないでしょうか? それで、巫女に自分の店へ来て欲しくて手紙を書いた。でも、字を知らないのでこんな絵文字になったんです」
「なるほど! つまり文様は謎でも何でもない、字を知らない者が自分の思いを伝えようとしただけのこと、とおまえは言うんだな?」
「はい。だからこそ、巫女がやったように絵柄を素直に読めば(・・・・・・)それで良かったんですよ」
 有雪はわざとらしく唸った。
「ううむ……なまじ俺は教養があるばかりに難しく考え過ぎて、それでわからなかったんだな!」
 自惚れの強い陰陽師はこの際無視して、検非遺使は迦陵丸を褒めた。
「流石、御室の稚児殿だな! 相変わらず賢くていらっしゃる!」
「か、からかうのはよしてください、成澄様!」
 濃い睫毛を失せて稚児は紅潮した。自身が纏う朱鷺色の水干と見分けがつかぬ頬の色。
 ここでどっと笑い声が響く。
「──」
 縁に立って婆沙丸は聞くともなく聞いていた。縁の果て、兄の自室に目をやる。
 ピッタリと閉じられている襖。だが、そこにも座敷の声は全て届いているはずだ。
「ところで、と」
 一頻(ひとしき)り笑った後で、有雪が意味深に付け足した。
「よく考えたら──おまえ(・・・)も鳥の名だよなあ、迦陵丸?」
「え? ええ、まあ」
 迦陵頻(かりょうびん)迦陵頻伽(かりょうびんが)は極楽浄土に住む鳥の名だった。




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