第90話 キグルイ 〈6〉
文字数 2,325文字
「狂乱丸――――っ!?」
肩の
「もっと静かな声にしろ、
夜具の中で美しい田楽師の兄が
「傷に響くわ、イテテテ」
「良かった……生きているのか……」
へなへなと腰を折る有雪。
「縁起でもないことを言うなよ」
枕元に座していた弟の田楽師も瓜二つの顔を顰めた。
「え?
やはり枕辺に控えていた
そんな少年の髪を撫でながら狂乱丸は陰陽師を睨んだ。
「見ろ、沙耶丸が怖がるじゃないか。漸く宥めたところなのに」
振り返ると、打って変わって優しい声で、
「安心しろ、沙耶丸。俺は大丈夫だ。こんな怪我、すぐ治る。直ったら――また一緒に遊ぼうな?」
「
「木登りさ!」
怪我した際の状況を語る
寝所に狂乱丸を休ませて座敷に戻った二人だった。
沙耶丸は狂乱丸の傍を離れようとしないので残して来た。枕の位置を変えたり、水を含ませたり、夜具を掛け直したりとかいがいしく看病している。
「おかげでこの通り、俺の手が空く」
婆沙丸はクックッと笑った。
「兄者にしたら弟が2人出来たようなものじゃ」
「笑い事かよ! 知らせを聞いた時は肝を潰したぞ!」
「へえ? おまえが? 兄者の心配をねえ?」
一層可笑しそうに婆沙丸は頬を膨らませる。
「一緒に遊んでいた子供たちが何か手伝いたいとあんまり騒ぐので、それならと伝言を頼んだまでじゃ。まさか、血相を変えて飛び込んで来るとはな!
「いや、なに、その……この処、夢見が悪くてな。だから、それで……」
慌てて言葉を濁す。
ともあれ、夢で見たあの美しい死体は、狂乱丸ではなかったのだ!
正直、有雪は心から安堵した。
「ところで、怪我をした時、おまえもその場にいたのか、婆沙?」
「勿論」
弟の田楽師は陽気に頷いた。
「では訊くが――その際、何か変なところはなかったか? 気になる点とか妙な気配などは?」
「そりゃ、どういう意味だよ?」
吃驚してまじまじと見つめ返す婆沙丸。
「状況を知りたいだけじゃ。つまり、木登りをしていたのは狂乱丸と」
やや声を落として有雪は訊いた。
「沙耶丸だけか? おまえはどうしていた? 同じ木に登っていたのか?」
「俺は地上にいた」
残念そうに首を振る弟。
「俺も登りたかったんだが、如何せん、もっと小さな子供たちに纏わり付かれてて……それで俺は木の下でカゴメカゴメをしていた」
思い出しながらキッパリと婆沙丸は言う。
「ありゃ単なる事故、よくある出来事だよ。何しろ兄者にとって木登りは、山に住んでいた5歳の時以来だものな! あ、俺は今でも子供たちとしょっちゅうやってるけれど。兄者は久方ぶりの木登りで、足を滑らせて――」
狂乱丸は落下した。
身が軽かったのと、真下が池だったことが幸いして大事には至らなかった。
「池?」
「そう。俺が飛び込んで引き上げた時の兄者の姿を見せたかったな! 全身ずぶぬれで雫を滴らせてさ!」
雫を纏って海を流れて行った美しい肢体……
「だが、怪我自体は腰を捻ったくらいだ。後は肘に擦り傷……その程度さ! いや、池の水はかなり飲んだかも知れないけど。アハハハハ」
婆沙丸は屈託なく笑っているが。単に運が良かっただけではないのか?
そのまま沈んでいたら、今頃は狂乱丸は水死体だ。
ヒヤリとした。
「?」
陽が翳ったのに気づいて有雪は顔を上げた。襖の向こうに沙耶丸が立っていた。
「俺、もう1度、行って来るよ、婆沙丸。やっぱり狂乱丸がアケビを食べたいと言うから採ってくる!」
「大丈夫か? 気をつけろよ?」
「大丈夫さ! 俺は慣れてるもの!」
駆け出して行く沙耶丸。廊下を奔るその小さな影――
いつかの夜に見た光景が有雪の脳裏を過ぎった。
「アケビと言ったな? 狂乱丸が登っていたのはその実を採るためか?」
有雪は改めて質した。
アケビは
「うん、そうだよ。だから、足を滑らせたんだ」
答えながら婆沙丸は腰を上げた。
「待て、沙耶丸! 籠を持って行け……って、もう姿が見えない。すばしこい奴だな! 何だよ?」
サッと伸びた陰陽師の手を吃驚して見つめる。
「籠を貸せ」
有雪は言った。
「俺が届けてやるよ」
最早これ以上、先延ばしには出来ない。
有雪は決心した。
少年と二人きりになるいい機会ではないか。今こそあいつの正体を暴いてやる。
「場所は何処だ?」
「
「そりゃ、また……出来過ぎだな?」
〈宴の松原〉は
その昔、月夜にここを
翌朝、陽の光の下で見つかったのは女官の手と足だけだった。
この森には妖鬼が棲んでいるのだ。
勿論、今の時代、それを信じる