第46話 眠り姫 〈3〉

文字数 3,151文字

「ハークション! ハナモチならないな、その布留(ふる)とかいう男?」
 鼻をかみながら有雪。
 どうも鼻風邪をひいたようでここ数日というものクシャミが止まらない。
「鼻持ちどころか、身が持たないのは俺の方だ!」

 (こんな……人を人とも思わぬ陰陽師どもに囲まれてよ?)

 夕刻の田楽屋敷。
 昼間体験したことを有雪に伝える成澄だった。

「で? それから、どうしたのだ?」
「だから──」

 過去は過去。成澄の家筋は明法家に転身して久しい。 ※明法=法律
 陰陽道からは離れている。
 そう告げても、布留は澄ました顔で、何、検非遺使なら検非遺使で良い、と言い切った。
 姫を覚醒させる〈追儺の祭祀〉には検非遺使も必要である。
 元来、この種の祭祀には陰陽師と並んで必ず検非遺使が関わって来た。それに、
『そこに記してある、天暦の祭祀の検非遺使の子孫な、探し出して、おまえ同様、〈眠り姫〉に会わせたのだが……』
 もうそれ以上、成澄は聞くのをやめた。


「そう言うわけで、俺は今回も検非遺使として職務を全うする。それで、人員を補うべく、もう一人の陰陽師役としては、おまえを推薦しておいたからな?」
「──」
「どうした?」
「用事を思い出した」
 慌てて立ち上がった有雪の薄汚れた白衣をむんずと掴む成澄だった。
 驚いて、肩の烏が羽をバタつかせる。
「よもや、逃げるのではあるまいな、有雪? 
 おまえ、日頃、『我こそは当代一の陰陽師なり』と豪語しているではないか! 
 いい機会だ、帝の陰陽師に、今こそ、その実力の程を見せてやれ!」



 暫くジィーッと有雪を見つめていた布留佳樹だった。

 翌朝、早速、有雪を伴って件の邸を訪った中原成澄。

「何、断ってくれるなら、それも良い! 元々こっちだって期待はしていないからな。
 貴殿ら由緒正しき宮仕えの陰陽師殿が、俺のような巷の陰陽師に力を借りるなど有り得ぬこと。
 第一、誇りが許さぬだろう? では、俺は、これにて」
 早々に立とうとする有雪の、今度は袴を踏んで押さえる成澄だった。
 ちなみに今日は白烏は田楽屋敷に置いて来ている。
 眠っておられるとはいえやんごとなき姫君の御前で、薄汚い(失礼)禽獣の類はNGなのだ。
『こら! 逃げるなと言うに! ジッとしてろ!』
『は、放せ、成澄……』
「ふうむ? この者、腕は確かなのだろうな?」
 帝の陰陽師が遂に口を開いた。
「それは俺が保証する。つい最近も、〈夢代え〉なる術を見事にモノしたぞ」
「まあいい。本物かどうかはすぐわかる。では、行って来い」
「──?」
 蔵人所陰陽師は道を開けて、その先にある御帳台を指し示した。
 検非遺使の逞しい腕が勢い良く背を押した──と言うか──突き飛ばしたような気が……
「なんだ? これは? 俺は聞いていな──」


 芳しい緑の風。
 山の辺の道。
 あちこちに咲き零れる野の花。

「ったく、人の話を聞かぬ奴等じゃ。これだから官位持ちは横暴で嫌だ──」
 おや? 秘色の水をたたえた池の畔に佇んでいるのは誰だろう?
 可愛らしい姫が一人。
 小袿(こうちき)姿で、よほど身分が高いと見えるのにお付きの者もなくあんな処に? 
「おっと、これは、いかん」
 あの姫は人ではない(・・・・・・・・・)
 有雪は口の中で毒づいた。
「あいつ等が俺に会わせたがったのはコレかよ?」
 ゆうるりと唐撫子(からなでしこ)の裾を引いて、姫は振り返った。
「ほう? これは……今回は、麗しき陰陽師かよ?」
「失礼。道に迷ったらしい。当方はこれにて、御免」
 踵を返そうとした、その足首に小さな姫の手。

 (いかん……足元から引っ張られる……)
 
 普通なら有り得ない構図だ。
 が、既に、上も下もない、暗黒の世界だった。
 それなのに、更に下へ、ないはずの空間へ曳かれる──
「は、放せ、姫」
「嫌じゃ! わらわは寂しいぞ。いつまでたっても放って置かれて……
 誰も、願い一つ叶えてくれぬ……」
「願い? そ、それなら俺が叶えてやる、だから、放せ!」
 有雪は必死で藻掻いた。
「俺を取り込んでしまったら、そ、そ、それこそ、姫の願いを叶えてやることができないぞ! いいのか?」
 ここが踏ん張りどころだ。
「さあ、願いとは何だ? どんな願いだ? 何か──欲しいものでもあるのかな?」
「──」
「言ってみろ、俺が必ず叶えてやる!」
「──が欲しい」
「え?」
「わらわは──が欲しい」
「き、聞こえぬ、もっとはっきり」
 姫の瞳がカッと見開かれる。
 金色の目に奔る縦の虹彩。
「騙したな? やはりおまえも、無力か?
 何も出来ぬ人間はいらぬわ!
 力になってくれぬ人間などいらぬ!」
「待て待て待て! ほんとに聞こえなかったんだったら! 
 もう一回……って、あ、だめだ、こりゃ」
 万事休す。今度こそ、引きずり込まれる。
「誰か!」
 思わず手を伸ばして何かに掴まろうとした有雪。
 縋ろうとした、と言う方が正しいのか?
 だが、腕は虚しく宙を切った。
(無理か?)
 思えば、俺には縋るべき相手などいない。
 こんな時、手を差し伸べて、助けてくれる者などいなかった。

 (ああ、やっぱり、一人くらい作っておけば良かったかな、友……)
 
 一瞬、脳裏を掠める、これは悔恨かよ?
 人は死に臨んで、それまで積み重ねた悪行を悔い改めるというが。
 では、とうとうこの俺も、ここまでか?

「!」
 だが、諦めかけたその腕がしっかりと掴まれて、勢い良く引き上げられた。
 硬い地面に放り出される。
「イタタッ……助かった?」
 目を開けると、薄ぼんやりと霞んではいるが、さっきまでの暗黒とは違う。
 再び風景が戻って来た。
 
 山の道。
 
 鈍い光を放つ湖の畔で尻餅をついている自分。
 向こうの草叢から雉が飛び出した。
 何匹もの犬が一斉に駆け出す。
 有雪の背後に立っていたその男も、手を離して身を翻した。
「あ、礼を言うぞ! よくぞ引き上げてくれた! おかげで助かった」
 長身で、広い肩。箕を纏っている。
 猟師だ。
 ああ、だから? 思わず有雪は頷いた。
 だから、姫はあんなに恐れたのか(・・・・・・・・・)
 男の手が自分を掴んだ途端、あれほど強く纏いついていた姫の手が震えだしたのを、有雪は敏感に感じ取った。
 
 儚きこの世を過ごすとて 海山稼ぐとせし程に 
 (よろず)の仏に疎まれて
 後生我が身を如何にせん……

 《梁塵秘抄(りょうじんひしょう)にも謡われるごとく、この平安の時代、殺生を生業にする猟師は成仏できないと恐れられていた。
 そして、実は、女人もまた同じ立場である。どんなに身分が高くても、女は成仏できない。
 ともに、来世を保証されない憐れな身。

 (馬鹿な!)
 
 その漁師の獲った鳥や魚を陰で存分に飽食している僧が、殺生した人間は地獄に落ちると説くとはよ?
 幼い日を寺で過ごして実態を知っている有雪は、笑わずにはいられない。
 と、走り出した猟師と思しきその男も、振り返って笑い返した。
報酬は山分けじゃ(・・・・・・・・)! きっかり二分して持って来い!」
 ヒョイと上げた笠の影、その額に文字を見たような──
「あ、おまえ?」
 おまえは──


 
 目を開けると、廃屋の〈廂の間〉。
 見下ろして何やら言い合っているのは検非遺使と蔵人所陰陽師である。

「な? 俺が推薦した通りだろ? 絶対、帰って来るに決まってたんだ!」
「まあ、このくらいは当然というところか……」
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