第66話 夏越しの祭り 〈3〉

文字数 2,928文字

 カサネは成澄の体に身を摺り寄せた。
 薄い小袖の下で若い熱と形がくっきりと伝わって来る。
 抱きついたまま、囁いた。
「何かお礼がしたくて。私にできるのはこんなことぐらい……」
「よせ」
 身を引いたのは成澄だった。
「こういうやり方は俺は好まぬ。そんな男と思われているなら、すぐ出て行くぞ!」
「でも」
「妙な気は使わぬことだ。俺は純粋に、困っているおまえさんを助けたいと思っただけだ」
 娘は悲しそうに俯いた。
「……都に待っておられる方がいらっしゃるのですね?」
「あ、いや、そういうことではなく」
「都の女の方々はさぞ、皆様、お綺麗で、洗練されていらっしゃるのでしょうね?
 私など比べ物にならないくらい……」
「比べるも比べないも――なんか、根本的に違うような……」
 一瞬脳裏を過ぎったのが美しい田楽師だったので、慌てて首を振って、
「いや! だから! そういうことではなくてだな、俺が言いたいのは、もっと自分を大切にしろ、ってことだ」
 腕を組みながら成澄は言った。
「だいたい、こう言っては何だが、おまえの兄も兄だ。逃げるなら、おまえも連れて行くべきだぞ。
 残されたおまえがどんな辛い目に合うか考えなかったのだろうか?」
「私は残っても、生きていけるから……」
 不思議な笑い方を鄙の娘はした。
「私なら生き延びられるから。でも、兄さんはそうはいかない――」
「ほう? 強いんだな、おまえは? 見た目とは大違いじゃ」
「私はどういう風に見えます?」
「え? どうって……それは……」
「田舎育ちの――鄙が似合いの(ましら)?」
「馬鹿な!」
 今度は成澄が笑った。
「野の白百合のようさ」
「!」
 カサネはしがみついた。検非遺使のたくましい胸に顔を埋めて、くぐもった声で言うのだ。
「やっぱり、抱いてください! 今生の……思い出に……
 でないと、私……一生後悔する……」
「こ、今生? いや、そうまで言われると……」
 先刻の威勢はどうした、中原成澄?
 
 しっかりしろ!
 おい、成澄!


「うわっ、たっ?」
 夜具を掴んで跳ね起きる成澄。
「ゆ、夢かよ?」
 だが、乱れた床を見て、改めて首を捻った。
「あれ? どっち(・・・)が夢だったのだろう?」
 勿論、夜具の中に既に娘の姿はなかったが。
 カサネはとうに起きて、水を汲み、菜を摘み、汁を煮、飯を炊いて……
 甲斐甲斐しく立ち働いていた。
「――……」
 改めて横になって、夜具を被って、それらの音を聞いている時、成澄はとある思いに囚われた。

 ―― 悪くないものだな、この感じ?

 今生の思い出に、とあの娘は言ったが。
 いなくなった兄の代わりに、一生涯、ここにいても、それはそれで、俺は幸せかも知れぬ。

 ―― そう、もし、あの娘がそれを望むなら……




 代役を請け負った祭りを明日に控えて、その日一日、成澄は娘とのんびりと過ごした。
 朝餉の後で、洗濯に行くという娘。
 見れば、籠に抱えているのは自分の装束である。
 代わりに持ってやって、一緒に川まで行く。
 そこは大河ではないが美しいせせらぎだった。
「そう言えばここらは水の豊かな土地だなあ!」
 この種の小川をいたるところで目にした。
「はい、それが自慢です。この郷の者は水に困ったことがない」
 成澄の装束を濯ぎながらカサネは笑顔を零した。
「私たちの祀っている神様は水の神です」
「なるほど」
 草の上に寝転がる。
「ああ、いい気持ちだ!」
 ふと、思った。笛を持ってくれば良かったな?
 流石に今度の旅では一条堀川の田楽屋敷に置いて来た。
 無意識に懐を探って、そこが空であるのを知って、急に落ち着かない気分になった。
 思えば、太刀同様、あの笛も常に自分を守ってくれた。
(〝護符〟のようなものだ……)
 色々な騒動の中で、今日まで無事だったのは、あれのおかげのような気もしないではない。
 まあ、そこまで大袈裟でなくとも、今ここに持っていたなら、娘に聞かせてやれたものを。
 惜しいことをした。
 と――
 耳元で響く優しい音色。
 娘が吹く草笛だった。
「ほう? 上手いものだな!」
 鄙には鄙の笛があるのだ。鄙には鄙の暮らしがあるように――
「兄さんが教えてくれたのよ」
「どれ、俺にも、教えてくれ……」
「唇を……こう当てて……あ、ダメ、そんなに強く吹いては。草が破れてしまうわ。
 もっと、優しく……」
「こうか?」
「こう」
 草を吸う代わりに娘が触れたのは成澄の唇。
 成澄も吸い返した。
「……」

 草笛を鳴らしながら、二人は帰った。

 
 夜、皓皓と照る月を見上げて成澄は呟いた。
「明日は満月だな」
 傍らには酒瓶を持って寄り添うカサネがいる。
「考えれば、明日の今頃は俺はもうここにはいないのだな……」
 自分の滞在は祭りまでだから。
 見る見るカサネの瞳に涙が溢れだした。
「無理を言って……申し訳ございませんでした」
「いや、楽しかったよ。むしろ感謝しているくらいだ。おまえとこうして過ごせて……」
「本当ですか?」
「本当さ。だから、もう泣くのはよせ」
 だが、娘の涙は止まらなかった。
 昼間見たせせらぎのように煌めいて、美しい雫は後から後から零れおちた。
「何故、そんなに泣く?」
 抱き寄せて、指で拭い取ってやりながら成澄は訊いた。
「別れが……辛いのでございます……」
「俺もだ……」


 それから後の記憶がない。


 気づくと真上に満月の月が照り渡っていた。
「――」
 起き上がろうとしても体が痺れて言うことを聞かない。
 頭が割れるように痛んだ。

 ―― 一体、今はいつなのだ?

 娘の名を呼ぼうとしたが口が引き攣って強張り、思うように声も出せなかった。
 自分が(むしろ)の上に寝かされているのはわかった。
 近くにカサネの姿は見えない。
 白い(ぬさ)が体の上でしきりに打ち振るわれる。

 ―― 祭り? では、今日が明日(・・)で、祭りの当日なのか? 今この時が祭りの最中(・・・・・)

 思う間もなく、いきなり左右から両腕を掴まれて立たされた。
 そうされて始めて、自分が純白の水干と袴姿なのを知った。
 同じく白装束で、幣を掲げた男の後ろを両脇を支えられながら進む。
 禰宜(ねぎ)誣覡(ふげき)と思しきその男が、また激しく幣を振る。
 そうして、横へ身をずらした。
「!」
 成澄の眼前に、いきなり暗黒の口が開いた。
 井戸だった。
 だが、普通の井戸ではない。
 小さな池くらいはあリそうな、巨大な井戸――
 その深淵の中へ成澄は突き落とされた。

「――……」

 叫び声すら上げられなかった。
 唯、響いたのは水の音だけ。
 その音を聞いてから、何人もの邑人たちの手で巨大な井戸の蓋がバタバタと閉じられた。
「今年も、無事、終わった……!」
「後は明朝(みょうちょう)……」
「うむ。飲み込まれたのを確認すれば良い」

 邑人たちは誰一人、振り向くことなく去って行った。




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