第九十八話・歓喜の涙

文字数 1,366文字

 偽の死亡報告を終えて井和屋(いわや)家を辞し、車に乗り込んだ瞬間、三人は大きな溜め息をついた。

「……あの涙は何だったワケ?」
「ホントですよ。貰い泣きして損しました!」
「まあまあ、これでさとる君達が自由になれるんですから。下手に食い下がられなくて助かりました」

 遺体は集団火葬したと嘘の報告をしたが、もし亥鹿野(いかの)市まで確認しに行くとゴネられたら面倒なことになるところだった。書類やデータは幾らでも偽造出来るが、流石に本人の遺骨は用意出来ない。遺髪だけで納得して貰えたのは、真栄島にとっては有り難い話だ。

「最後のほう笑ってなかった?」
「完全に見舞金に目が眩んでいましたよね」
「そりゃ縁を切られても仕方ないわ!」

 三ノ瀬(みのせ)葵久地(きくち)の会話を聞きながら、真栄島(まえじま)はこの事をどうさとる達に伝えようかと考えていた。
 事実を伝えれば、またさとるとみつるに悲しい思いをさせてしまうのではないか。しかし、話を飾れば母親に未練が残る可能性もある。思案の末、見聞きしたものをそのまま伝えることにした。

 シェルターに帰り、早速二人を会議室に呼んで話をする。真栄島達から説明を受けたさとる達は、悲しむどころか腹を抱えて笑い出した。

「ひっでぇ、息子よりカネじゃん!」
「ホントお母さんらしいよね」

 実の母親を()てると決めて吹っ切れたのか、さとる達はよく笑うようになった。まさかこの報告でも笑われるとは思っておらず、三ノ瀬と葵久地は顔を引き攣らせている。

「それにしても、四百万かぁ〜……オレらを自由にするために無駄に大金使わせちまってすんません。働いて返します」
「返済の必要はありません。君達の笑顔を買ったと思えば安いものです。財源は敵対国からの賠償金と税金ですがね。不必要な箱物(ハコモノ)を作るより、よっぽど国の未来のためになる使い道ですよ」

 見舞金は爆撃で死亡した被害者全員に国から一律支給されるものである。さとる達を死んだことにする場合、見舞金の支払いもセットで行わないと怪しまれてしまう。これまで(ろく)に子育てをしてこなかったあやこに金を渡したくはなかったが、これも必要経費と割り切った。
 余分に金を使わせてしまったことを詫びると、真栄島はすぐに否定した。悪戯っぽく口元に人差し指を当て、目を細めて笑う。それを見て、さとる達はまた笑った。

「ははは! ……はは、は……ッ」
「にいちゃん?」

 大声を上げて笑うさとるの目の端から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。慌てて袖口で拭うが、後から後から溢れてくる。

「……すんません。……す、少しでも、母さんが泣いてくれたの、嬉しかったから」
「さとる君……」
「……もう思い残すことは無いです」

 さとるが実家の家事をやり、金を渡してきたのは、みつるのためだけではない。心の何処かで母親から褒めてもらいたいと思っていたからだ。頼りにされていると信じたかったからだ。まだ父親がいた頃に見た母親の笑顔をもう一度見たかったからだ。その期待は何度も裏切られてきた。

 嘘の死亡報告で、あやこは涙を流した。

 たったそれだけで満たされてしまうくらい、さとるが母親に求めていた見返りはちっぽけなものになっていた。

「これからは自分達の幸せのためだけに生きてください。そのための支援は惜しみません」
「はい、ありがとうございます」

 この日以降、さとるは母親に対する執着を完全に棄てた。
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登場人物紹介

堂山ゆきえ(31歳)


保護政策推進計画『協力者』

保険代理店に勤務

昨年モラハラ夫と協議離婚

シングルマザー

娘のみゆき(2歳)と2人暮らし

安賀田まさし(48歳)


保護政策推進計画『協力者』

自動車部品メーカー勤務の会社員

妻ちえこ(50歳)と2人暮らし

難病の妻の看病のため勤務時間減少

そのため、社内での立場は弱い

多奈辺さぶろう(59歳)


保護政策推進計画『協力者』

工事現場の交通誘導員

孫のひなた(8歳)と2人暮らし

息子夫婦と妻を亡くしている

おっとりしていて争い事を嫌う

井和屋さとる(20歳)


保護政策推進計画『協力者』

昼間は工場、夜は居酒屋で働く

実家から出て1人暮らし

毎日弟の世話をしに実家に立ち寄る

母親から搾取されている

真栄島のぼる(59歳)


保護政策推進課『勧誘員』

穏やかな老紳士


三ノ瀬りん(31歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

常に明るくポジティブな性格

とある趣味を持っている

右江田しんじ(29歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

高身長の強面のため教師の夢を断念

三ノ瀬を先輩として慕っている

杜井やえか(39歳)


保護政策推進課『勧誘員』

夫と死別、子どもと2人暮らし

キャリアウーマン風

葵久地れい(27歳)


保護政策推進課『情報担当』

独身、実家暮らし

長い黒髪、メガネ

情報収集、情報操作が得意

アリ(年齢不詳)


保護政策推進課『技師』

日系二世

トレードマークは入れ墨

船の操縦、車の改造を担当

江之木まさつぐ(39才)


保護政策推進計画『協力者』

会社員

りくと(14才)と二人暮らし

妻とは死別

多奈辺ひなた(8才)


保護政策推進計画『保護対象者』

多奈辺の孫娘、小学生

両親を交通事故で亡くしている

祖父と二人暮らし

井和屋みつる(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

さとるの弟、中学生

母親と二人暮らし

育児放棄気味の母より兄が好き

江之木りくと(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

江之木の一人息子、中学生

母親はりくと出産時に死亡

みつるとは塾で友達になった

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