第五話・三人目、多奈辺さぶろう 前編
文字数 2,256文字
道路の下に埋まる水道管の交換工事の現場で、通行人や車を誘導している男がいた。黄色い安全ベストにヘルメット、手にはオレンジに光る誘導棒を持っている。
「ちょっと、対向車来ちゃってるよ!」
「すいません、すぐ下がってもらいますんで」
「ったく……しっかりしろよジイさん」
たった一人で交互通行の誘導を任され、時には捌き切れないこともある。作業員と車の運転手から文句を言われ、誘導員の男は平謝りした。
夕方。現場監督から口頭で軽く注意を受け、この日の勤務は終了した。派遣元の警備会社に連絡を入れてから直帰となる。安全ベストを脱ぎ、車を走らせて小学校の隣にある児童館へと向かう。
「
「いつもすみません、気をつけます」
学童保育の指導員である年配女性からの小言はいつものことだ。ギリギリとはいえ、規定の時間まではあと数分ある。過ぎたわけではないのに文句を言われるのは心外だが、世話になっている身だ。多奈辺は何度も頭を下げた。
「ひなたちゃん大人しいからいいけど、お迎え遅いと寂しいよねーえ?」
「べつに」
話し掛けられた少女、ひなたが素っ気なく返事をすると、指導員の女性は小さく息をついて部屋の戸締まりを始めた。教室には他に子供の姿はない。ひなたが最後だ。
スーパーに寄って夕食の材料と明日の朝用のパンを買って帰るのがいつもの流れだ。児童館ではムスッとしていたひなただが、多奈辺と二人になった途端に笑顔が増えた。
「おじいちゃん、あれ食べたい。唐揚げ」
「出来合いのやつでいいんか」
「イチから作るの大変でしょ。その代わり、こっちの大きなパックのほうね!」
「はは、食べきれるかぁ?」
家に着く頃には完全に日が落ちていた。街灯に照らされた狭い駐車場に愛車の軽を止め、アパートの階段を上がる。膝が痛む多奈辺に代わって、ひなたが買い物袋を運んだ。
「宿題はやったか」
「うん、学童にいる間に終わらせたよ」
「ひなたはしっかりしとるなぁ」
「えへへ〜」
多奈辺が食事の支度をしている間に、ひなたは手慣れた様子で風呂釜を洗い、湯張りボタンを押した。食べ終わる頃には風呂が沸く。
卵スープを作る傍ら惣菜の唐揚げを皿に移し、ちぎって洗ったレタスを周りに飾る。あっという間に夕食の用意が出来た。白飯を茶碗によそい、ちゃぶ台に向かい合って座り、手を合わせる。
二人だけの食卓は、口にものを入れている間は静かだ。それが物悲しく思えて、いつも帰宅と同時にテレビをつける。流れるのは明日の天気と行楽情報、それと小さな事件や事故のニュース。孫娘の顔とテレビ、そして手元を交互に見ながら、多奈辺は腹を満たした。
『ピンポーン』
流しで茶碗を洗っている最中にチャイムが鳴った。タオルで手を拭い、すぐに玄関へと向かう。
「はい、どちら様?」
「夜分申し訳ない。多奈辺さぶろうさんですね。私どもは県の保護政策推進課の者です。大事なお話がありまして」
とりあえず中に入ってもらい、話を聞くことにした。来客は三人。アパートの狭い通路に立たせたままでは他の住民に迷惑がかかる。それに、通路は声が無駄に響く。大事な話とやらをするには向かないからだ。
先程まで食事をしていた居間に通し、ちゃぶ台を挟んで座った。三人のうちの一人、年配の男は多奈辺と同い年くらいだ。他の二人は三十過ぎたばかりくらいの若い男女。ピシッとした黒い背広を着て、いかにも役所の職員といった雰囲気だ。
「お孫さんと二人で住んでいると聞きましたが」
「ああ、孫は今風呂に入ってます」
「そうでしたか」
笑顔で答えながら、年配の職員は持参した茶封筒から数枚の紙を取り出し、ちゃぶ台の上に並べた。
勤め先の派遣会社と交わした雇用契約書や直近半年分の給与明細、銀行の残高証明書。ひなたの学童保育申し込み時に提出した利用申請書や就労証明書。そして、息子夫婦が事故で亡くなった際の死亡診断書の写しまであった。
「勝手に色々調べてすみません。多奈辺さぶろうさん、五十九歳。孫のひなたちゃん八歳。奥様は十年前に病気で他界。五年前に息子さん夫婦が運転を誤り、単独事故で死亡。それ以来、祖父の多奈辺さんが引き取り、働きながら育てていらっしゃる。男手ひとつで、ここまで大変なご苦労をされたことでしょう」
「はあ、まあ」
ここまで個人情報を調べ上げられた理由が分からず、多奈辺は曖昧に返事をした。そもそも、県の職員が何の用で訪ねてきたのか。心当たりはないが、もし悪い話であれば孫に聞かせたくはない。
「……それで、今日は何の御用で?」
「実は、近いうちに日本は外国と戦争することになる可能性が高いのです。多奈辺さんのお力を貸していただきたくて直接伺わせていただきました」
戦争に力を貸せと言われ、多奈辺は困惑した。
五十九歳。第二次世界大戦の時には生まれてもいない。警察や自衛隊どころか地元の消防団にすら所属していたことはない。どちらかといえば鈍臭い方である。
「ちょっと待ってくださいよ。私は……」
役に立てるはずがない。そもそも、戦争云々の話自体が信じられない。そう反論しようとしたが、年配の職員がそれを制した。先程までの笑みは消え、真剣な表情で多奈辺の目を真っ直ぐに見据えている。気圧されて、それ以上は何も言えなくなった。
「戦争は必ず起こります。その際、日本の国土が戦場になるかもしれません。……お孫さんを安全なシェルターで保護したいと思いませんか」