第八十話・内通者
文字数 2,182文字
『敵対国に内通し、己の権力を利用し、近海の島々に兵器が運び込まれるのを敢えて見逃した。これは国民に対する裏切り行為。ここに避難されている方々は、みな貴方の身勝手な行いの犠牲者です!』
ぴしゃりと言い放つ暮秋せいいちを眉間に皺を寄せて睨み付けるが、すぐに阿久居は笑顔を取り繕った。
『これはおかしなことを。内通? 裏切り? この私がそんなことをするわけがないじゃありませんか……証拠も無しに言い掛かりをつけるのはやめて頂きたいですな』
さとる達は事前にアリから聞いていたから知っているが、確かに証拠がない。情報の出所がはっきりしない以上、単なる誹謗中傷と変わらない。大勢の前で真偽の定かではない話で責め立てれば、下手をすれば名誉毀損で訴えられてしまう。
しかし、何の根拠も無しに他者を糾弾するほど暮秋は愚かな人物ではなかった。
「──アレを出せ」
暮秋せいいちの後ろに控えていた青年が対面に立つ尾須部に声を掛けた。すると、尾須部は舞台脇に置いてあった鞄から数十枚の紙束を取り出してみせた。
「これは、阿久居せんじろう議員が敵対国の役人と交わした密約と通信記録です。直近三ヶ月ぶんに関しては音声データも残っております」
自分の陣営からのまさかの告発に、阿久居は狼狽えた。マイクを投げ捨て、鬼のような形相で後ろを振り返る。胸ぐらを掴まれた拍子に尾須部の手から紙束が落ち、ステージ付近に散らばった。聴衆やマスコミが手にする前にと阿久居の側近達が慌てて回収に向かう。
足元に落ちている証拠書類をわざと踏み付けながら、阿久居は尾須部に詰め寄って胸ぐらを掴んだ。
「貴様、誰の許可を得てこんな真似を!」
「……申し訳ありません」
不敵な笑みを浮かべて謝罪する尾須部に対し、阿久居が拳を振り上げる。それを見て、りくとが阿久居に飛び掛かった。
「先生を虐めるな!」
「やかましい、この
振り払う手に押され、小柄なりくとはすぐに弾き返されてしまった。床に倒れる直前、みつるがりくとの身体を抱きとめる。会場内に居る江之木は、それを見てほっと息をついた。
『おやおや、見苦しいことこの上ないですなあ。子どもにまで暴力を振るうとは』
「暮秋ぃ……、おまえの差し金か!」
もはや阿久居の視界には暮秋と裏切り者の姿しか映っていない。聴衆の存在を完全に忘れ、怒りの感情を露わにしている。
「貴方の秘書は僕が送り込んだ
「なっ……!」
目を細めて微笑む青年。彼は暮秋せいいちの息子、暮秋とうまである。支援者の息子である尾須部とうごを阿久居陣営に送り込み、こうして内通の証拠を得た。思い通りに事が運んで満足している様子だ。
「とうご君、よくやった。ご両親も喜ぶことだろう」
「は、ありがとうございます。暮秋先生」
暮秋せいいちから労われ、尾須部は
「尾須部が暮秋のスパイ……?」
「空白の三ヶ月の間に阿久居の秘書になってたのか」
「つまり、ええと、どういうこと???」
目まぐるしく変わる状況に付いていけず、さとると江之木、三ノ瀬は困惑していた。
これまでの不可解な行動も、阿久居を陥れるために仕組んだと言われれば理解は出来る。みつるとりくとを巻き込んだのは、講演会を盛り上げる材料を提供して阿久居からの信用を得るためか。
『君達の保護者が危険な目に遭ったのは、そこの阿久居せんじろう議員を始めとした売国奴が敵対国の侵略行為を黙認し、手を貸していたからだ。……許せないだろう?』
暮秋せいいちから話を振られ、みつる達は手を取り合って後ろへ退がった。緊張でまだ理解が追い付いていないが、みつるは掛けられた言葉に違和感を覚えた。
先ほどの阿久居と同様、暮秋も怒りの矛先をコントロールしようとしている、と。
「〜ッ!」
「りくと君」
突然りくとがみつるの手を離し、阿久居に向かって駆け出した。小さな握り拳を振り被り、再び殴り掛かろうとしている。それを見て、みつるは咄嗟に腕を掴んで止めた。
「落ち着いて、利用されちゃだめだ!」
暴れる身体を後ろから羽交い締めにしながら、小さな声で諭す。しかし、みつるの懸念はりくとに届かない。
「それでもいい、先生の役に立てるなら!」
「りくと君!」
「先生は、とうご先生は僕の話を聞いてくれた。僕は、僕はずっと誰かに必要とされたかった!」
りくとを必死に押さえ込みながら、みつるがちらりと視線を向けると、口の端を歪めて笑う尾須部と目が合った。その表情を見て、みつるは下唇を噛んだ。
舞台と観客を用意して『可哀想な少年』を『悪者』に立ち向かわせる、これこそが彼の描いた講演会のシナリオ。そのために尾須部は自分を慕うりくとの気持ちを利用した。
取材のテレビカメラも、この映像を撮るために事前に手配したのかもしれない。
りくとの悲痛な叫びは江之木の耳にも届いた。
息子があそこまで思い詰め、他人である尾須部に精神的に依存しているのは自分の責任だと悟った。
──必要とされたかった。
「……りくと……!」
そんな風に考えていたことにショックを受け、江之木はがくりと項垂れた。