第五十五話・涙の対面
文字数 1,723文字
広いホールの片隅に、検死を終えた
奥にあるエレベーターが止まり、眼鏡の女性……
ゆっくりと近付いてくる小さな足音に、右江田が顔を上げた。少女と視線が合い、咄嗟に俯いて目をそらす。
「ひなたちゃん、お別れしようか」
「……」
少女……ひなたはブルーシートの手前で立ち止まり、立ったまま動けずにいた。見下ろした先にあるのは、人の形に盛り上がった白い布。これを捲れば何があるのか、ひなたは理解している。
理解しているからこそ動けない。
見てしまえば認めざるを得なくなる。
唯一の肉親の死が確定してしまう。
葵久地は急かすことなく、ただ隣に寄り添った。幼い少女に現実を見せることに抵抗もあった。
だが、この時を逃せば二度と顔を見ることが出来なくなる。遺体をいつまでも保管しておくような場所はシェルター内にはない。別れが済めば、どこかに埋葬することになる。
「ホントにおじいちゃん、なんだよね?」
「……ッ」
この場に来て初めてひなたが口を開いた。
小さく掠れた声は僅かに震えていて、右江田は膝に置いていた拳を握り締めた。
いつまでもこうしていてはいけないと思ったのだろう。ひなたはついにブルーシートの傍らに膝をついた。向かいには俯いたままの右江田の姿がある。
白い布の端を掴んで持ち上げると、ちらりと白髪混じりの頭が見えた。ビクッと身体を揺らし、そこで一度手が止まる。何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、再び白い布を捲り上げた。
「あっ……」
横たわっていたのは間違いなく祖父だった。
血の気の失せた肌。
堅く閉じられた目。
緩く結ばれた口元。
想像していたより穏やかな表情をしている、とひなたは思った。服装は別れた時のまま。手を伸ばして頬に触れてみると、ひんやりと冷たい。弾力のない触り心地に、この身体はもう動いたり喋ったりすることは出来ないのだと悟った。
「おじいちゃん」
必ず迎えに来ると言ってくれた。
それを信じて送り出した。
約束は果たされぬまま終わった。
「おっ、おじい、ちゃん……!」
祖父の亡骸に縋り付き、ひなたはボロボロと涙をこぼした。時折しゃくり上げ、袖口で涙を拭う。泣き喚いたりせず控えめにすすり泣く姿が哀れに見えた。
ひなたの涙が止まるまで、葵久地も右江田も一言も喋らなかった。
「あの、」
ひとしきり泣いた後、ひなたは泣き腫らした目で、向かいに座る右江田に声を掛けた。
「おじいちゃんを連れて帰ってきてくれた人ですよね。ありがとうございました」
「え、いや、あの、俺は」
ひなたに礼を言われ、右江田は戸惑った。
元はと言えば、車から降りる多奈辺を引き止めなかった自分が悪い。あそこで違う選択をしていれば、と何度も何度も悔やんだ。多奈辺の死の責任は自分にある。礼を言われるどころか、ひなたに憎まれてもおかしくないと右江田は考えていた。
「ち、違う。俺のせいで多奈辺さんは」
必死に事実を伝えようとするが、うまく言葉が出てこない。右江田は俯いたまま、肩を震わせて涙をこぼした。
大人の男が泣く姿を見て、ひなたは驚いた。
ここに来る前、三ノ瀬から島でのことを聞いている。祖父がどのように戦い、どのように死んだのかを。もちろん右江田のことも聞いた。その上で、彼に礼を言ったのだ。
ひなたには右江田を責める気はなかった。
それなのに右江田は泣いている。
「なっ、泣かないでよぉ……わっ、わた、わたしだってガマンしてるのに、なんでおじさんが泣くのぉ……!」
「ご、ごめん、本当にごめん」
必死に堪えていた悲しい気持ちが溢れ出して、ひなたはとうとう大きな声を上げて泣き出してしまった。多奈辺の遺体を挟み、大人の男と小学生の女の子がわんわん泣いている。
葵久地がどんなに宥めても、二人はしばらく泣き止まなかった。