第八十五話・兄弟の絆

文字数 1,700文字

 船室の中では、みつると江之木(えのき)親子が隣り合って座っていた。船に乗ってからずっと会話はない。みつるが話し掛ければ返事をするが、りくとはそれ以外で口を開かなかった。江之木も何も言えずにいた。
 今回の件よりずっと前から、りくとは父親に負い目を感じている。それは短い付き合いのみつるにも何となく分かった。まだ二人の溝が縮まっていないことも。詳しい事情を知らないみつるには親子の仲を取り持つような器用な真似は出来ない。
 気不味い空気の中、どうしたものかとみつるは思い悩んだ。

「ちょっと失礼しまーす。ごめんね、そこのカバン取ってくれる? さとる君の薬取りに来たの〜」

 そこに現れたのは三ノ瀬(みのせ)だ。船酔いに苦しんでいるさとるのために酔い止めの薬を取りに来たのだ。みつるは慌てて立ち上がり、その拍子に低い天井に頭をぶつけた。

「に、にいちゃんの薬ならボクが持っていきます」
「あら、そう? じゃあお願いするわね〜」
「えっと、しばらくにいちゃんと二人で話がしたいから……その、」
「分かったわ。私はここに居るから」
「はいっ!」

 三ノ瀬から錠剤と水のペットボトルを受け取り、みつるは船室から出て行った。
 自分より社交的で話上手な三ノ瀬が側に居れば、江之木親子の会話の切っ掛けになるだろうと考えてのことだ。もちろん、兄と二人で話したいというのも偽りのない本音である。

 時折波にあおられて揺れる船体に驚きながらも、みつるはさとるの側に向かった。船べりにもたれかかり、青い顔をしている姿を見て急いで駆け寄る。
 薬を飲ませ、効き目が現れるまで無言で隣に居続ける。兄がこんなに弱っている姿を見たのは初めてで、みつるはなかなか話し掛けられなかった。
 しばらくして、さとるが大きく息を吐き出した。

「……はぁ、少し楽になった」
「よ、良かった」
「ありがとな、みつる」

 まだ顔色は悪いが、吐き気や眩暈はマシになったようだ。やっと笑顔を見せた兄に、みつるもつられて笑った。

「にいちゃん、船弱いんだね」
「どうもそうらしい。今回の件まで乗ったことなかったから初めて知った」

 さとるが船に乗ったのは無人島行きの小型自動車運搬船が初めてだ。今回を含め、行き帰りで計四回乗ったが毎回船酔いの症状が出ている。体質的に船の揺れに弱いのだろう。一方、みつるは船に乗ったのはこれが初めてだがケロッとしている。
 そんな状態になりながらも自分を探しに来てくれたのだと知り、みつるは嬉しいような申し訳ないような気持ちになった。

「にいちゃん、迎えに来てくれてありがと」
「次からは行き先くらい教えてから行けよ」
「……怒らないの?」
「みつるが決めたことだ。怒らねーよ」

 シェルターから無理やり連れ出されたわけではない。自分の意志で尾須部に付いていったのだ。賢いみつるなら考えた上で行動したのだろうと、さとるは信じていた。

「あの子を放っとけなかったんだろ?」
「うん、りくと君は大事な友達なんだ」

 年度の途中から入塾して、なかなか馴染めずにいたみつるに最初に声を掛けたのがりくとだ。それ以来、塾で一番仲が良い友人となった。

「頑張ったな、みつる」
「……うん……」

 潮風で湿った短い髪をわしゃわしゃと撫でられ、これまでのことを労われて、みつるはぼろぼろと涙をこぼした。講演会会場のステージの上で流したような悲しい涙ではなく、喜びや嬉しさから溢れてくる涙。

「にいちゃんもいっぱい頑張ったんだよね」
「あー、……うん。頑張った、かな?」

 さとるは言葉を濁した。
 無人島での任務は堂々と胸を張って自慢出来るようなことではない。兵器を破壊しなければ沿岸地域の被害は更に増えていただろう。しかし、そのために人を傷付け、命を奪ったのは事実。

 協力者達がどこで何をさせられたか、共に行動している時に尾須部(おすべ)から何度も聞かされた。現在の日本の法律では許されないということも。分かった上で、家族を守るために戦ったのだ。みつるはそんな兄を誇らしく思った。

「にいちゃん、いつもありがと」
「なんだよ急に」
「大好きだからね」
「はは、知ってるよ」

 二人は肩を寄せ合い、太陽の光に照らされて輝く海面を眺めながら笑い合った。
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登場人物紹介

堂山ゆきえ(31歳)


保護政策推進計画『協力者』

保険代理店に勤務

昨年モラハラ夫と協議離婚

シングルマザー

娘のみゆき(2歳)と2人暮らし

安賀田まさし(48歳)


保護政策推進計画『協力者』

自動車部品メーカー勤務の会社員

妻ちえこ(50歳)と2人暮らし

難病の妻の看病のため勤務時間減少

そのため、社内での立場は弱い

多奈辺さぶろう(59歳)


保護政策推進計画『協力者』

工事現場の交通誘導員

孫のひなた(8歳)と2人暮らし

息子夫婦と妻を亡くしている

おっとりしていて争い事を嫌う

井和屋さとる(20歳)


保護政策推進計画『協力者』

昼間は工場、夜は居酒屋で働く

実家から出て1人暮らし

毎日弟の世話をしに実家に立ち寄る

母親から搾取されている

真栄島のぼる(59歳)


保護政策推進課『勧誘員』

穏やかな老紳士


三ノ瀬りん(31歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

常に明るくポジティブな性格

とある趣味を持っている

右江田しんじ(29歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

高身長の強面のため教師の夢を断念

三ノ瀬を先輩として慕っている

杜井やえか(39歳)


保護政策推進課『勧誘員』

夫と死別、子どもと2人暮らし

キャリアウーマン風

葵久地れい(27歳)


保護政策推進課『情報担当』

独身、実家暮らし

長い黒髪、メガネ

情報収集、情報操作が得意

アリ(年齢不詳)


保護政策推進課『技師』

日系二世

トレードマークは入れ墨

船の操縦、車の改造を担当

江之木まさつぐ(39才)


保護政策推進計画『協力者』

会社員

りくと(14才)と二人暮らし

妻とは死別

多奈辺ひなた(8才)


保護政策推進計画『保護対象者』

多奈辺の孫娘、小学生

両親を交通事故で亡くしている

祖父と二人暮らし

井和屋みつる(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

さとるの弟、中学生

母親と二人暮らし

育児放棄気味の母より兄が好き

江之木りくと(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

江之木の一人息子、中学生

母親はりくと出産時に死亡

みつるとは塾で友達になった

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