第八十七話・彼女の選択
文字数 1,763文字
社長が貸してくれた船は行きに乗った漁船と然程大きさは変わらないが、広めの船室やトイレなどの設備が整っていて過ごしやすくなっている。その船室部分の上に操舵室があり、アリは出航してからずっとそこに詰めていた。
「アリ君、お疲れ様」
「あ、どーもどーも」
差し出されたペットボトルのお茶を、アリは笑顔で受け取った。
「今から
「んー、明日の夜明け前くらいかなー」
「それまでずっとここで運転するの?」
「慣れてるから平気ー」
三ノ瀬は操舵室から一旦出て連絡を入れた。
行きに使った車は波間中港に置きっ放しだが、運転の交代要員として迎えに来てくれるという。連日の船旅と緊張の連続で、流石の三ノ瀬も疲労が蓄積している。ありがたく甘えることにした。
「三ノ瀬サンて意外と人情派なんだねー」
「意外とって何よ」
通話を終えて戻った三ノ瀬に、今度はアリから声を掛けた。
「あン時、舞台の上にいるヤツ撃つかと思った」
「そんなことするわけないでしょ!」
「そうかなー? やりかねないとは思ったよ」
講演会の会場で三ノ瀬が銃口を向けたのは、ステージ上に立つ二人の国会議員でも子ども達を連れ去った尾須部でもない。体育館の天井だった。彼女の趣味や無人島での行動を知っていれば、もしかしたらと考えるのは自然なことかもしれない。
しかし、三ノ瀬はきっぱりと否定した。
「私は『人を撃つのが好き』なんじゃなくて『銃を撃つのが好き』なの! 全然違うんだから!」
「意味わかんなーい」
「いや、だいぶ違うからね? 誤解しないでよ?」
ムキになって否定する三ノ瀬の反応がよほど面白かったのか、アリは操船しながらケラケラと声を上げて笑った。ひとしきり笑ってから、小さく息をつく。
「三ノ瀬サンが『そーゆー人』だったら普通の社会じゃ生きづらいんじゃないかなと思ってさー」
「……」
ここでようやくアリが何を言いたいのか分かった気がして、三ノ瀬は黙った。
自分の趣味が普通の人とは違うことは分かっている。女友達に言えば最初は興味深そうに話を聞いてくれるが、本気度を知られると必ず引かれた。趣味が原因で何度も恋人から振られた。本物の銃を気兼ね無く撃つためだけに何度も海外に渡っているせいで貯金も一定以上増えない。同級生たちは結婚出産で女の幸せを手に入れているというのに、全く
平均的な女性と比較すれば確かに生きづらいが、好きなことをしていられる状況に十分幸せを感じていた。近隣の国と緊張状態に陥るまでは。
「アリ君に心配されるなんて光栄だわ」
「そりゃどーも。三ノ瀬サンくらい度胸があってブッ飛んでる日本人なんて珍しーからね、裏稼業のほうが向いてそ〜」
「アハッ、何それ。もしかしてスカウト?」
「だったらどーする〜?」
二人の笑い声が操舵室に響いた。
しばらく笑ってから、内緒話をするように三ノ瀬が小さな声で話し始めた。
「……私ね、戦争が終わったら、ちょっと頑張ってお金を貯めて、海外に移住しようと思ってるの」
「! へぇ」
「ずーっと前から考えてはいたんだけど、なかなか実行出来なくて。いつ死ぬか分かんないってのが今回の件でよく分かったもの。先延ばしにしてたらいつまで経っても叶わないもんね。……あっ、この話をしたのはアリ君が初めてだから、誰にも言わないでね!」
今回の任務は三ノ瀬に自信を与えた。これまで単なる趣味に過ぎなかった実銃を使用した射撃で任務遂行に少なからず貢献出来たからだ。
元々迷いの少なかった三ノ瀬が更に吹っ切れ、己の進むべき道を見つけた。
「あーあ、良い仲間になると思ったのになー」
「やっぱりスカウトだったの!?」
三ノ瀬は大笑いしながらアリの背中を何度も叩いた。ひとしきり笑い終えた後、顎に手を当てて真面目な顔で考え込む。
「……もし移住に失敗したらお世話になろうかしら」
「こっちは滑り止め扱いかー」
「なかなか魅力的な提案だったわよ〜?」
「ハハッ、三ノ瀬サンには敵わないなー」
完全に拒絶されなかったことが嬉しくて、アリは肩を揺らして笑った。