第八話・四人目、井和屋さとる 後編
文字数 2,093文字
そう前置きをして年配の職員、
まず改めて自己紹介して名刺を渡し、資料を見せる。そして、戦争が間近に迫っていること、シェルターに入るには一人五百万円かかること、敵国の軍事施設を破壊する作戦に参加すれば一人優先枠で保護すること等を手短に説明した。
さとるは神妙な顔つきで、茶化すことなく最後まで話を聞いた。地図と航空写真を見比べ、大きく息を吐く。
「オレが協力したら弟は助かるんすよね?」
「そういうことです」
「じゃ参加で」
あまりにも早い返事に三人は目を見開いた。生きて帰れないかもしれないと伝えたにも関わらず、さとるが迷わず即答したからだ。
「あの、いいのかい? こちらから申し出ておいてなんだけど怖くはないの?」
「正直、話自体に現実味ないけど、オジサン達が冗談でこんな話するわけないじゃん。こんな資料や調査書まで用意してさ。多分これ協力者にノルマあるでしょ。ウチが断ったら困るんじゃない?」
鋭い、と真栄島は唸った。
確かにある程度の数を集めるよう上から指示が出されている。条件に合致する中で、話をするまでに至らない場合が大半。直接説明しても信じない人もいる。混乱して返事が貰えないまま終わった候補者もいる。思っていた以上に人数が集まっていないのが現状だ。
「みつるはオレと違って出来がいいから期待してるんだ。良い高校行けそうだし。……あ、戦争になったら受験どころじゃないか? でもまあ、勉強出来て損する事はないから」
頭をかきながら、さとるは笑った。
「あ、すんません。オレ晩飯作らねーと。あと三十分で弟が帰ってきちまう」
「こちらこそ、突然お邪魔して済まなかった」
「──いえ、オレがいる時で良かった。母さんがコレ聞いたら、多分オレを差し出して自分がシェルターに入れるようにしてたと思う」
母親の話をする時だけ顔付きが険しい。母親は留守がちなだけではなく、他にも色々と問題がありそうだ。
三人が帰ってから、さとるは置きっ放しにしていたスーパーの袋から夕食の材料を取り出した。
八時を少し過ぎた頃、みつるが帰ってきた。玄関に兄の靴を見つけ、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「にいちゃん、ただいまー」
「おう、おかえり。メシ出来てるぞ」
「腹減った〜。いい匂い〜。今日なに?」
「焼きそば」
「やった、にいちゃんの焼きそば大好き!」
居間のちゃぶ台に向かい合わせに座り、二人で夕食を食べる。余程空腹だったのか、みつるは皿を抱えてがっついている。さとるは自分の皿から少し分けてやった。喜ぶ弟の顔を見て、さとるも笑った。
「にいちゃん今日泊まれる?」
「いや、この後バイト」
「ええ〜……」
朝から夕方まで郊外の工場で働き、一旦実家であるアパートに寄って弟の夕食を作る。その後飲み屋のバイトで深夜まで働く。さとるの一日はこんな感じだ。
母親は明け方にならないと帰ってこない。世帯分離しなければ母子家庭の様々な恩恵が受けられなくなる。だから一人暮らしを始めたが、自分が居なければみつるの生活が成り立たない。放ってはおけず、こうして毎日様子を見に来ている。
「それより塾はどうだ。慣れたか」
「うん、みんなレベル高いよ。でも楽しい。それに友達も出来たんだ」
「そうか。良かったな」
みつるに塾を勧めたのはさとるだ。塾代も全て出している。夜のバイトを始めたのもその為だ。体は少し辛いが大した苦労ではない。生まれや親のせいで将来を制限されるのは自分だけで十分だと、さとるはそう考えていた。
「じゃあな。朝メシ冷蔵庫にあるから」
「うん、バイト頑張って」
「早く寝ろよ」
「にいちゃんに言われたくなーい!」
夜の繁華街。
掛け持ち先の居酒屋の裏口から店に入ろうとしたさとるに何者かが声を掛けて呼び止めた。三十半ばの女だ。髪も服も地味だが、口紅だけが濃い。
「遅いじゃん、待ったんだけどォ」
「……シフト九時からだし。みつるに晩飯食わせてたんだよ」
「あっそ。もう中学生なんだから、お金あげときゃ自分で何とかするでしょ」
その金すら渡してない癖に、とさとるは内心憤った。
女は兄弟の母親、あやこだ。地味な見た目は周りの目を欺く為。実際は子供を放ったらかしにして夜な夜な飲み歩く無責任な女だ。
さとるは視線を合わさぬよう顔をそらした。
「で、なに? これからバイトなんだけど」
「いま手持ちなくってさァ、幾らか融通してよ」
「……オレも余裕ねーんだけど」
「は? じゃあバイト代前借りしたら? あたしから店長サンに頼もっか?」
あやこはさとるに歩み寄り、居酒屋を指差した。
バイト先に親が金の無心にくるなんて悪夢だ。さとるは舌打ちしたい気持ちを必死に抑え込んだ。斜めがけカバンから財布を出し、そこから札を一枚抜く。
「……
「なぁんだ、あるんじゃん!」
差し出された金をひったくり、あやこはひらひらと手を振って夜の街へと消えていった。あの様子では今夜も家に帰りそうにない。
「くそ、……」
さとるは悔しさと情けなさで泣きそうになるのをぐっと堪え、雑居ビルの壁を殴った。