第九十四話・人生を左右する決断

文字数 1,660文字

 シェルターから出て行く者が増えた。住んでいる地域が爆撃の被害を免れ、任務で大きな怪我を負わずに済んだ者は保護対象者と共に家に帰るのだ。
 江之木(えのき)親子も一足先に自宅に帰ることとなった。

「みつる君、色々ありがとう」
「お父さんと仲良くね、りくと君」

 マイクロバスに乗り込む前、りくとはみつるの手を握り、涙目でお礼の言葉を繰り返した。そんなりくとを見て、みつるも泣きそうになっている。

 尾須部(おすべ)の誘いに乗り、一人で行こうとしたりくとに無理やり同行したのはみつるだ。全ては友人の暴走を止めるため。みつるが居なければ、彼は尾須部の思惑通りに『可哀想な被害者』を演じて世論を誘導する材料にされていた。父親に愛されていないと思い込み、代わりに尾須部を盲信していたりくとだが今は誤解も解けている。

 二人が出会い、交流を深めた学習塾はもう無い。住んでいる地域も通う学校も違う。ここで離れたら次に会えるのはいつになるか。
 ちなみに、江之木の職場は無くなってしまったが、本社に無事を伝えたところ、別支店への異動が決まった。しばらくは壊れた職場の片付けや残務処理に追われることになるが、職を失わなかったのは運が良い。

「これ、ウチの連絡先。近くに寄ったら遊びに来い。おまえらならいつでも歓迎だ」
「ありがとう江之木さん」

 みつるとりくとが別れを惜しむ隣で、江之木がさとるにメモを手渡した。自宅の住所と電話番号、メールアドレスなどが書かれている。

「帰る家あんのか?」
「それはまだちょっと考え中で」

 那加谷(なかや)市に向かう途中に船の上で軽く話した程度だが、江之木はさとる達の事情に薄々勘付いていた。もし母親や自宅が無事だとしても帰りづらい状況なのだということも。

「行くとこないならウチに来てもいいんだぞ。一戸建てで部屋は余ってるからな」

 これは江之木の本心からの言葉だった。
 結婚してすぐ戸建てを買い、そこで生まれてくる子どもと三人で暮らすつもりだったのだ。不幸にも江之木の妻は出産時に死んでしまった。以来、思い出の残る家を手放すことが出来ず、ずっと住み続けている。りくとと暮らすようになってもまだ広い。
 さとるとみつるの人の良さは分かっている。それに、みつるが来てくれればりくとが喜ぶ。

「落ち着いたら絶対連絡寄越せよ」
「忘れなかったらね」

 軽く小突かれ、さとるは肩を竦めて笑った。




 シェルターから出た後には幾つかの選択肢がある。

 江之木親子のように自宅に戻るか。
 ひなたのように保護施設に移るか。
 支援を受けて新しい土地に行くか。

 しかし、それを選ぶ前に、さとる達には考えなくてはならないことがあった。避けては通れない、人生を左右する大きな選択が。





 江之木親子を見送った後、さとるは会議室へと呼び出された。促されて椅子に腰掛ける。向かいに座る男性……真栄島(まえじま)は、さとるの目を真っ直ぐに見据え、口を開いた。

「調査結果が届きました。……井和屋(いわや)あやこさんは無事です。自宅である団地に大きな被害はありません。爆撃のあった時間帯は駅から距離のあるパート先に居て、怪我もないということです」
「……そうですか」

 さとるは深い溜め息をついた。
 もし大怪我をしたと言われたら気持ちは揺らぐだろうし、死んだと言われれば涙を流すだろう。それくらいの情はある。でも、母親が無事だと分かったのに素直に喜べなかった。

「君達が居なくなった翌日、あやこさんは捜索願いを出しています。もちろんこれは受理だけして、警察は動いておりませんが」
「……」

 あの日の朝、迎えのマイクロバスに乗り込んだ直後、さとるのアパートにあやこが押し掛けてきた。普段なら絶対に起きてこないような時間帯だ。一緒に暮らすみつるの姿が見当たらず、心配したのかもしれない。
 だが、そんな母親の姿にさとるもみつるも怯えていた。

「今なら、今の混乱した状況下ならば、君達の希望通りに対応することが出来ます」

 真栄島は、いつものように穏やかな笑みを浮かべ、向かいに座るさとるに優しく語り掛けた。

「──元の生活に戻るか否か、決めて下さい」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

堂山ゆきえ(31歳)


保護政策推進計画『協力者』

保険代理店に勤務

昨年モラハラ夫と協議離婚

シングルマザー

娘のみゆき(2歳)と2人暮らし

安賀田まさし(48歳)


保護政策推進計画『協力者』

自動車部品メーカー勤務の会社員

妻ちえこ(50歳)と2人暮らし

難病の妻の看病のため勤務時間減少

そのため、社内での立場は弱い

多奈辺さぶろう(59歳)


保護政策推進計画『協力者』

工事現場の交通誘導員

孫のひなた(8歳)と2人暮らし

息子夫婦と妻を亡くしている

おっとりしていて争い事を嫌う

井和屋さとる(20歳)


保護政策推進計画『協力者』

昼間は工場、夜は居酒屋で働く

実家から出て1人暮らし

毎日弟の世話をしに実家に立ち寄る

母親から搾取されている

真栄島のぼる(59歳)


保護政策推進課『勧誘員』

穏やかな老紳士


三ノ瀬りん(31歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

常に明るくポジティブな性格

とある趣味を持っている

右江田しんじ(29歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

高身長の強面のため教師の夢を断念

三ノ瀬を先輩として慕っている

杜井やえか(39歳)


保護政策推進課『勧誘員』

夫と死別、子どもと2人暮らし

キャリアウーマン風

葵久地れい(27歳)


保護政策推進課『情報担当』

独身、実家暮らし

長い黒髪、メガネ

情報収集、情報操作が得意

アリ(年齢不詳)


保護政策推進課『技師』

日系二世

トレードマークは入れ墨

船の操縦、車の改造を担当

江之木まさつぐ(39才)


保護政策推進計画『協力者』

会社員

りくと(14才)と二人暮らし

妻とは死別

多奈辺ひなた(8才)


保護政策推進計画『保護対象者』

多奈辺の孫娘、小学生

両親を交通事故で亡くしている

祖父と二人暮らし

井和屋みつる(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

さとるの弟、中学生

母親と二人暮らし

育児放棄気味の母より兄が好き

江之木りくと(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

江之木の一人息子、中学生

母親はりくと出産時に死亡

みつるとは塾で友達になった

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み