第六話・三人目、多奈辺さぶろう 後編
文字数 2,045文字
平日の夜に突然訪ねてきた県の職員を名乗る三人組。その内の一人、年配の男は
日本が他国と戦争?
国土が戦場に?
にわかには信じられない話だ。テレビではそんなニュースを扱っていない。もし事実ならば大々的に報道されてもおかしくないはずだ。ただ、最近になって流行り病などの理由で海外への渡航が禁止されている。
「国による情報統制がされております。これを知るのは、役人の中でもごく一部。一般の方が知るのは、戦争が始まって誤魔化しが効かなくなってからとなるでしょう」
「じゃあ、流行り病とかは」
「それも情報統制の一部です」
そんな馬鹿な、と多奈辺は頭を抱えた。同時に疑問が次から次へとわいてくる。
「あの、私は一体何をさせられるんですか」
年配の男は目を細めてにっこりと微笑んだ。そして、茶封筒から更に追加で何かを取り出した。日本近海の地図だ。それと衛星写真が数枚。
「印が付いている島に敵対国が兵器を持ち込み、本土を攻撃する拠点が形成されています。多奈辺さんには、これを破壊する作戦に参加していただきたいのです。その見返りとして、お孫さんをシェルターで保護いたします」
「破壊作戦……?」
説明されても理解が追いつかない。還暦間近の年寄りに何が出来るというのか。
「ちなみに、通常シェルターに入れるのは即金で五百万円支払える方のみ。それと、破壊作戦に参加した方は生きて帰れる保証はありません」
多奈辺の預金残高は四百万と少し。一人分にはやや足りない。自分は歳だから諦めもつくが、息子夫婦の忘れ形見である孫娘だけはどうしても助けたい。
「もしかして、私に声を掛けたのは……」
「そうです。シェルター代の支払いが難しく、守るべき大切な家族がいて、かつ自動車運転免許を所持し、運転実績がある方。その中から更に、
真面目で慎重そうな方
を選んでおります」だから預金残高まで調べられていたのか。運転免許云々はともかく、慎重な人間を選ぶのは正しい。特に秀でたところのない多奈辺だが、その条件ならば選ばれたのも納得できる。
「私が協力したら、孫を保護してもらえるんですよね」
「ええ、お約束いたします。戦争が終わった後も、成人するまで国が支援させていただきます」
安全なシェルターに優先的に入ることが出来る。その上、大人になるまで面倒を見てもらえる。老い先短い自分の命ひとつで孫娘の未来が守れる。
「明日の今頃の時間に返事を聞きに伺います。それまでじっくり考えていただいて」
「いや、その必要はありません」
「えっ」
「やります。もう決めました」
この場で返事をされるのは予想外だったのだろう。三人の職員はポカンとしている。一番早く気を取り直したのは年配の職員だ。
「では明日ではなく、決行前に連絡させていただきます。詳しいお話はその時に。……ご協力、感謝いたします」
職員達が帰った後、ちゃぶ台に置かれた三枚の名刺を眺める。他の資料は全て回収された。
この件は他言無用、もし話せばどちらも逮捕されると釘を刺された。どのみち仕事先に相談できる相手はいない。親戚も、息子夫婦の葬式以来会っていない。
「おじいちゃーん、あがったよー」
洗面所からのひなたの声に、ぼんやりしていた意識が引き戻される。
「さっき誰か来てた?」
「あ、ああ。お仕事の人がちょっとな。……うるさかったかい?」
「んーん」
パジャマ姿で冷蔵庫を開け、中から牛乳を取り出すひなた。髪からは水滴がぽたぽたと落ちている。
一瞬話を聞かれたかと焦ったが、ひなたの様子に変わりはない。狭いアパートだが洗面所には扉があるし、浴室と居間スペースも離れている。それに、ひなたはまだ小学生だ。聞こえていたとしても、話の内容が理解出来るとも思えない。
「それより早く髪を乾かしておいで」
「はーい」
ぱたぱたと洗面所に戻っていく孫娘の後ろ姿を見守りながら、多奈辺は引き取った当初のことを思い出していた。
最初の頃は夜泣きや癇癪もあったが、ひなたはすぐに祖父に懐いた。仕事人間で、我が子の時は家事育児は妻に任せきりだった。当時ひなたは三歳でオムツは外れていたし、食事も大人と同じものを食べられたからまだ楽だった。
それでも、不慣れな多奈辺にとっては苦労の連続だった。なにしろ子育てには休みがない。保育園や学童保育は無限に預かってくれるわけではない。園や学校の行事もある。両親がいないぶん、寂しい思いをさせたくはなかった。時間が取れるように仕事を変えた。五十代半ばでの転職。平日昼間だけの派遣勤め。収入はかなり減った。
思い通りにいかなくて嫌気がさしたとしても途中で放り投げることは出来ない。命を育てるということはそういうことだ。
戦争になれば全てが失われる。
居間の片隅にある、小さな二つの額縁と線香立て。額縁には妻と息子夫婦の写真がそれぞれ飾られている。
「ひなたは死なせないからな」
多奈辺は三人の遺影に誓った。