第八十四話・笑顔の理由
文字数 1,644文字
混乱に乗じ、さとる達は無事みつるとりくとを保護して会場から脱出した。見つからぬよう、人の多い正面の出入り口は避けている。
先ほどまで体育館内にいた人々が何が起きたかを他の場所にいる避難民達に訴え、施設の内外は大騒ぎとなっていた。銃を持った犯人が近くにいると聞けば慌てるのも無理はない。
アリの案内で少し離れた路肩に止められているバンに辿り着き、全員で乗り込む。
「よく戻った! さっき急に騒がしくなったから、アリが何かやらかしたかと思ったぞ」
「いやぁ……あはは」
助手席に座った三ノ瀬は、社長の言葉に引き攣った笑いで返した。やらかしたのはむしろ彼女で、アリはその後始末をしてくれたようなものだ。
セカンドシートにはアリと
「子ども達も無事保護できて良かったな。……君達、ケガはしとらんかね?」
社長がバックミラー越しに後部座席を見ながら尋ねると、二人はビクッと肩を揺らして縮こまった。
「だ、大丈夫ですっ」
「……ええと、僕も」
みつる達は社長とは初対面だ。車に乗った時から緊張しているが、気遣われているのは分かったようで、ぎこちないながらも返事をした。
「疲れとるだろうが、すぐに出発した方がいい。人数も増えたことだし、乗ってきた漁船じゃ狭いからウチの船を貸そう」
「いいんですか」
「まさに乗りかかった船というヤツだ。気にせんでええ」
そう言いながら、社長は車から降りて船着き場へと向かった。その後ろをアリが追い掛けて行く。あらかじめ船の準備は済んでいたようで、すぐに出航することになった。船室が広いタイプで、社長が個人で所有している船だという。
ちなみに、行きに乗ってきた船はパッと見で漁船登録番号や船名が見えないようシートが掛けられている。ニセ巡視艇とやり合った時に見られた可能性があり、もし見つかれば後々面倒なことになるからだ。
「じゃーねー社長」
「アリ、ちゃんと船を返しに来るんだぞ!」
「はいはーい!」
船を貸すことで、アリが再びここに来る理由を作っているのだろう。社長のアリを見る目はまるでヤンチャな息子を見守る父親のようだ。
「社長、色々ありがとうございました!」
「気を付けてな」
三ノ瀬が頭を下げて礼を言うと、社長はニカッと笑った。さとると江之木もそれぞれ感謝の意を伝えてから船に乗り込む。
動き出した船の姿が視界から消えるまで、社長は手を振って見送った。
長く感じた講演会だが、時間にすれば僅か一時間程度。開始が昼過ぎだったこともあり、まだ陽は高い。
「……はあ〜、疲れちゃったわ」
「三ノ瀬さん大活躍だったしね」
「うっ……」
怒りで暴走しそうになったさとると江之木を抑え続けたのは三ノ瀬だ。もし二人だけで来ていたら後先考えずに飛び出していた。下手に動けば、海千山千の政治家である阿久居や暮秋に良い様に使われていただろう。
ストッパーとして常に側に居た三ノ瀬の存在は大きい。
「あんまり人には言わないでよ〜」
「ううん、助かった。ありがとう」
三ノ瀬は一瞬真顔になった。
これまでずっと気を張り続け、周りに気を許すことがほとんど無かった彼が笑顔で礼を言ったからだ。
「さとる君、熱でもあるんじゃないの〜?」
照れ隠しにそう茶化すと、さとるは穏やかな笑顔を浮かべたまま自分の口元をそっと手で覆った。
「……三ノ瀬さん、薬……」
「えっ、あ、船酔い!? やだっ、だから船室に入らなかったのねー!!」
やっと再会したというのに船室にいる弟の側ではなく、デッキで船べりにもたれて潮風に当たっていたのは船酔いのせいだった。入り組んだ埠頭から沖に出る際に何度も船の向きを変えたことが原因だろう。
「すぐ酔い止め持ってくるわ!」
「……お願いします……」