第六十一話・父親という存在
文字数 1,630文字
「なんだ、若いのにだらしねェな」
「すんません、どうも慣れなくて」
「ま、こんだけ揺れてりゃ無理もないか」
そう言う
何も講演会が始まるまで律儀に待つ必要はない。その前にみつるとりくとを見つけて保護してしまえば済む。
「
「うーん……そうかもしれないけど、決めたのはみつるなんで」
隣に腰を下ろし、江之木が申し訳なさそうに切り出すが、さとるはそれを流した。
詳しい事情も分からぬうちから責任の所在を追及しても仕方がない。そうだとしても、無理やり連れ去られた訳ではない。その場にいて判断を下したのは本人だ。
「そういや、おまえんとこ親は? いないのか」
「あー……母さんがいる、けど」
さとるとみつるの母親の安否はまだ分かっていない。自宅のアパート付近は無事だが、あやこがよく遊び歩く駅前一帯は壊滅している。避難所に身を寄せていれば安否が分かるが、そうでなければ確認は出来ない。
言葉を濁すさとるの様子を見て何となく察したのだろう。江之木はそれ以上は聞かず、今度は自分の話をし始めた。
「ウチはな、りくとが生まれた時に嫁さんが死んじまったんだ。出血が止まらなくてな」
「え……」
「子どもなんか当たり前に生まれてくるもんだと思ってた。親子三人で普通に暮らせるって。でも、生まれたばっかの赤ん坊を残して嫁さんだけいなくなった」
思わぬ話に、さとるは伏せていた顔を上げて江之木の方を見た。思い詰めた表情で語る横顔に何も言えなくなる。
「仕事と赤ん坊の子育てが両立出来なくて田舎の親に預けて代わりに育ててもらった。会うのは月に一回かそこら。親が入院するまで預けっぱなしだった」
夫婦二人でなら乗り越えられることも一人では難しい。試みる前に、最愛の妻を突然亡くしたことで江之木の精神状態は良くなかった。そんな状態で妻を失う原因となった子どもを側に置いていたらどうなるか。だから距離を置いた。
「一緒に暮らし始めてまだ二年くらいでさ、正直まだ完全には打ち解けてないんだよ。りくとは自分のことは何でも出来るし家事だって率先してやろうとしてくれる。それに引き換え、俺は父親らしいことなんか全然出来てねェ。……でも、こんなことになるなら……」
もっと早く一緒に暮らせばよかった。
もっとたくさん話をすればよかった。
もっと何かしてやればよかった。
江之木の頭には後悔ばかりが浮かぶ。
険しい顔で俯く江之木の姿に、さとるは父親のことを思い出していた。
遠い記憶の中にある父親は優しく子煩悩な男だったが、あやこの浮気が発覚してから態度が急変した。みつるが生まれ、さとるが小学校に上がるくらいの頃の話だ。父親は途端に冷たくなり、離婚が成立する前に家から出て行った。それ以来一度も会っていない。
父親という存在はあっさり子どもを見限り捨てるものだと心の中で思っていた。そう思い込むことで、さとるは自分自身の精神を守っていた。
しかし、江之木を見ていたら違う気がした。
大人でも後悔するし、正しい選択が出来る訳ではないし、どうにもならないことで心を傷めているのだと分かった。父親の選択も、きっと悩んだ末のものなのだろう。
子どもと大人の間にある垣根は思っていたより低いのかもしれない。
「江之木さんでも悩むんですね」
「おい、そりゃどーゆー意味だ」
さとるの言葉に、江之木はハハッと軽く笑って小突いた。