第八十六話・親子の絆

文字数 2,163文字

 船室内にいる江之木(えのき)親子には会話がなかったが、間に三ノ瀬(みのせ)が入ったことで場の空気がガラッと変わった。

「でさぁ、デートの途中で彼氏が逃げ出しちゃって〜」
「そ、そうなんですか……」

 ケラケラ笑いながら自分の過去の失敗談を繰り出す三ノ瀬に、りくとは愛想笑いを浮かべながら相槌を打っている。時には思わず吹き出してしまうようなエピソードもあり、徐々にではあるが、作りものではない笑顔を見せるようになっていった。

 本当はりくとから色々聞きたいこともあるのだが、三ノ瀬はぐっと堪えていた。
 これまでの生活。
 親子関係。
 尾須部のこと。
 シェルターを出た経緯。
 何を聞いても地雷しかなさそうな親子である。何も尋ねることが出来ず、差し障りのない、無関係な自分の笑い話で場を盛り上げることに徹底した。

「ははっ、三ノ瀬さん可笑(おか)しい」
「こんなオトナになっちゃダメよ〜!」

 しばらく話すうちに、りくとは三ノ瀬に少し心を開いた。明るくて話しやすく、余計なことを聞いてこない。笑っている間だけは嫌なことを考えずに済む。
 隣に座る江之木も、重い空気を取っ払ってくれた三ノ瀬に感謝していた。口を開けば尾須部(おすべ)のことばかり質問責めにしてしまいそうで、りくとに話し掛けられなかったからだ。
 笑いながら話していた三ノ瀬だったが、突然何かを思い出したかのように顔色を変えた。焦った様子で立ち上がり、船室の低い天井に頭を打って悶絶する。先ほどのみつると全く同じ失敗に、りくとは笑いを堪えた。

「……ヤバ、葵久地(きくち)さんに連絡すんの忘れてた! ちょっと電話してくるわね!!」
「わ、わかりました」

 三ノ瀬がバタバタと出て行った途端、船室内は再び重苦しい空気に包まれた。先ほどまでとの落差が激しいぶん、余計に気まずくなる。
 その沈黙を、江之木が破った。

「…………何があったかは聞かない。黙っていなくなったことも怒らないから、もう危ないことはしないでくれ」
「え」

 その言葉に顔を上げ、隣に座る父親を見た。
 以前よりやつれ、顔色も悪い。隠しきれない疲労が滲み出ている。任務を終えた後ほとんど休む間も無く、りくと達を追って遠い那加谷(なかや)市まで来た。そんな状態の父親に気を遣われたのが悲しくて、りくとは思わず反発した。

「な、何があったのか聞いてよ。勝手なことしたって怒ってよ。……父さんは、なんでいつも話をしてくれないの……?」
「りくと」
「僕は、ずっと寂しかった……!」

 生まれてからずっと田舎の祖父母に育てられ、父親と暮らし始めたのは中学に上がる直前。慣れない環境。新しい学校。父親は毎日仕事で忙しくしていて、学校であったことや日常の小さなことを話せるような雰囲気ではなかった。
 せめて手を煩わせないようにと家事を手伝えば、やらなくていいと取り上げられ、塾に入れられた。一人で留守番をすると勝手に炊事やら掃除をやるからだ。

「僕になんにもさせてくれなかった」
「それは、俺のいない間にケガしたりボヤ起こしたりしたら困るからで」

 実際りくとは一人で料理中に包丁で指を切ってしまい、台所を血まみれにしたことがある。帰宅した直後に半泣きで血を流している息子の姿を見た時、江之木は背筋が凍り付くほどの恐怖に襲われた。りくとの母親の死因は出産時の出血多量。包丁の使用はすぐに禁止した。

「面倒ばっか掛けて、役にも立てなくて、そのうち捨てられるかもと思って、すごく不安だった」
「そっ……捨てるわけないだろ」

 泣きながら、これまで心の奥底に押し込めていた感情を全てぶちまける。一度(たが)が外れてしまえば簡単に止めることは出来ない。困らせるだけだと分かっているのに、りくとは父親に対する不満を吐き出し続けた。

「僕がいるせいで父さんが自由になれないんなら、シェルターなんか入らずに死んだほうが良かった!」
「──りくと!!」

 江之木が初めて声を荒げた。
 大きな声に驚いたりくとはビクッと身体を揺らして黙り込む。恐る恐る隣を見上げれば、手のひらで顔を覆って俯く父親の姿があった。指の間からぽたぽたと涙が滴り落ちている。

「……面倒とか、迷惑なんかじゃない。俺が不器用なのが悪いんだ。自分のことばっかで、おまえの気持ちをちゃんと考えたことなかった」
「父さん」
「そのせいで寂しい思いをさせたんなら謝る。だから、し、死んだほうが良かったなんて言うな……!」

 江之木の妻はりくとを産む代わりに命を落とした。最愛の妻を忘れることが出来ず、江之木の心の傷は癒えることなく今も残り続けている。そして、田舎の両親の相次ぐ入院と病死。死はいつも大切なものを奪っていく。
 だから、杜井(どい)から勧誘された時にその場で協力すると決めた。りくとを生かすためなら何でもやる、と。

 本当に欲しいものを何ひとつ与えないまま、衣食住と勉強する環境だけを整えて、それで親の務めを果たしたと思い違いをしていた。
 りくとを責めているのではない。そう言わせた自分を江之木は責めている。

 声を震わせて泣く父親の姿に、りくとは何故か安堵していた。嫌われ、疎まれていたわけではない。単に愛情の伝え方が下手だったのだと分かって嬉しくなった。

「父さんとこんなに話をしたの、初めてかも」
「……そうか。そうだったか」

 泣き笑いの表情を浮かべながら、江之木はりくとの肩に腕を回して抱き締めた。
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登場人物紹介

堂山ゆきえ(31歳)


保護政策推進計画『協力者』

保険代理店に勤務

昨年モラハラ夫と協議離婚

シングルマザー

娘のみゆき(2歳)と2人暮らし

安賀田まさし(48歳)


保護政策推進計画『協力者』

自動車部品メーカー勤務の会社員

妻ちえこ(50歳)と2人暮らし

難病の妻の看病のため勤務時間減少

そのため、社内での立場は弱い

多奈辺さぶろう(59歳)


保護政策推進計画『協力者』

工事現場の交通誘導員

孫のひなた(8歳)と2人暮らし

息子夫婦と妻を亡くしている

おっとりしていて争い事を嫌う

井和屋さとる(20歳)


保護政策推進計画『協力者』

昼間は工場、夜は居酒屋で働く

実家から出て1人暮らし

毎日弟の世話をしに実家に立ち寄る

母親から搾取されている

真栄島のぼる(59歳)


保護政策推進課『勧誘員』

穏やかな老紳士


三ノ瀬りん(31歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

常に明るくポジティブな性格

とある趣味を持っている

右江田しんじ(29歳)


保護政策推進課『勧誘員補佐』

独身、1人暮らし

高身長の強面のため教師の夢を断念

三ノ瀬を先輩として慕っている

杜井やえか(39歳)


保護政策推進課『勧誘員』

夫と死別、子どもと2人暮らし

キャリアウーマン風

葵久地れい(27歳)


保護政策推進課『情報担当』

独身、実家暮らし

長い黒髪、メガネ

情報収集、情報操作が得意

アリ(年齢不詳)


保護政策推進課『技師』

日系二世

トレードマークは入れ墨

船の操縦、車の改造を担当

江之木まさつぐ(39才)


保護政策推進計画『協力者』

会社員

りくと(14才)と二人暮らし

妻とは死別

多奈辺ひなた(8才)


保護政策推進計画『保護対象者』

多奈辺の孫娘、小学生

両親を交通事故で亡くしている

祖父と二人暮らし

井和屋みつる(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

さとるの弟、中学生

母親と二人暮らし

育児放棄気味の母より兄が好き

江之木りくと(14才)


保護政策推進計画『保護対象者』

江之木の一人息子、中学生

母親はりくと出産時に死亡

みつるとは塾で友達になった

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