第64話
文字数 2,219文字
エビチリの海老を数える様子を見ながら、シールックはふと手を止めた。
さっきのポリアモリーの漫画にはあのように書いたが、人間の感情はたとえそれが世間に言われる正しいものでなくても、本人が幸せならそれでいいんだ。
第三者が介入するものではない。
だから愛は無いも同然。
転ぶとかじゃなくて、ひっくり返って憎になるか無になるかだよ。
ここで言う感情の押しつけは、にいさんが思っているのと少し違うと思うよ。
愛は難しいんだ。
本当に。
しかし、無いのにあるように見える。
分からない内は、あまり無闇に分析をしない方がいいかもね。
本当に、愛とは何なのか混乱を極めるだけなので。
慈愛すら愛ではなくなるし。
精神球とか感性球とか連呼しているが、これも わ の心だ。
基本は正八面体。
そこに感性がフーリエ変換に基づいて肉付けされ、伸びたり縮んだり。
完全なる球精神を持つものはいない。
そこで、にっこり ほっこり を心に備えると、少しは制御が効くようになる、という。
分からない。
色々調べたが……確かに知識にはなったか。
創作をする人って大体そんな感じじゃないか?
奇面組の作者の人も、名前を思いつく度にストックを増やし、長年の蓄積の結果から、みたいなことを単行本に書いていたぞ。
普通に近付けるように努力を続けただけだ。
ぼくは子どもの頃、あまりにもクラスメイトと馴染めずにいて、いい人になれば受け入れて貰えるのではないか?と思い立ち、以来知識集めを欠かさなかった。
しかし、別にいい人が受け入れられるということもなく。
ただ人受けは多少は良くなった気がする。
励ますために明るく振る舞うことも覚えた。
ちょっと良いこと言えたらいいな。
という願望もあったので研究し、それがやっと可能になった気がするよ。
とろけるマンゴープリンを食べ、それで三人はなんとなく落ち着いた。