第6章 第9話

文字数 1,382文字

 髪を乾かしたかも、どんな服を着たのかも覚えていない。ラインに記された病院にタクシーで到着する。夜間出入り口から病院に入る。緊急外来の受付のベンチに、駿太が頭を抱えて座っている。

 その向かい側に洋輔のご両親と思しき中年の夫婦が呆然と座っている。誰もが現実を直視できず、夢なら早く覚めてくれ、と祈っているようだ、当然俺も…

「家の、すぐ近くで… 横断歩道を、渡っている途中に… バイクが、突っ込んできて…」

 途切れ途切れながら状況を説明してくれる洋輔の父親は真っ白な顔で無精髭が顎に疎らに見える。暗い夜の病院の薄明かりに照らされたその顔は、洋輔にそっくりな理知的な顔立ちだ。
 母親と思しき女性は頭を抱え込み、時折壁の時計を見ては深く目を瞑り何事か呟いている。
駿太の横に何も言わず座り込む。

 歴史は、変わらなかった。その事実に俺は打ちのめされている。

 時折聞こえる駿太の溜息を聞きながら、時間だけがゆっくりと過ぎていくー

 看護師がこちらにやって来る足音で皆一斉に顔を上げる。物音一つ聞こえなかった暗い廊下に看護師の靴音が近づいて来る。
「但馬洋輔さん、のご家族でいらっしゃいますね?」
 ご両親が同時に立ち上がる。
「手術は終了しました。これから先生が洋輔さんの容体について説明いたします、どうぞこちらに…」

 父親がこちらをチラリと伺う。俺が軽く頷く。ご両親が看護師に続いてカンファレンスルームに入って行く。

「こんな事って… ケイ、俺信じられねえよ…」
「ああ。それより、真っ先に連絡くれてありがとう。」
「俺一人じゃどうしていいかわかんなくて… なあ、アイツ大丈夫だよな… すっかり元に戻るよな…」

 俺は目を瞑りながら
「俺は、そう、信じている」
 と答えるのが精一杯だった。

 時計を見ると、二時過ぎだ。先ほどの看護師がこちらにやって来て、
「但馬さんのご両親が、あなた方も一緒に話を聞いて欲しい、と」

 俺たちは重い足を引きずりながら看護師の後を追う。

 カンファレンスルームの扉を開けると、母親の啜り泣く声が部屋に響いている。顔面蒼白の父親が、
「君たちにも… 洋輔の親友の君たちにも、是非知っておいて欲しくて… すまない…」
 俺たちは黙って頭を下げ、看護師に薦められ椅子に座る。

 ホワイトボードには、左脚の膝下の状況が簡単に描かれていた。やはり複雑骨折の様だ。
「担当医の栗栖です。こんな時にアレなんだけど、君たちの先輩なんだ、川越中央のー」
 俺らは顔を上げ、栗栖医師の顔を見る。色白でシャープな感じの若い男性だ。眼鏡の奥の表情が冷たく感じる。患者の前では絶対笑わないタイプの先生だろう。

「事故の状況から話すな。洋輔くんが横断歩道を渡ろうとした時― 信号は青だったみたいだー、よそ見運転のオートバイが突っ込んできて、洋輔くんと激突したんだ。その際、洋輔くんの左脚にバイクがぶつかって、この絵の状態になってしまったんだー」

 どこか他人行儀な話口調に苛立ちが募る。
「骨と筋肉がズタズタになって。緊急手術で膝下を切断せざるを得なかった」

 俺は無意識の内に立ち上がっていた。
「何とか、何とかならなかったんですかっ 切断なんてっ しかも左あー」

 ちょっと待て。

「左? 先生、切断したのは、左脚、なんですか?」

 急に立ち上がり喚き始めた俺をその冷たい視線で見ていた栗栖先生が、

「そう言った筈だが。」
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