第1章 第11話

文字数 1,595文字

 翌日。
 予備校の教室の席に座る。星野美月はこちらを一瞬も見ない。昼休み。昼飯に誘おうと席を立つと彼女はサッサと教室を出て行く。
 授業が終わる。今度こそ彼女を引き止めようと席を立つ。だが彼女はこちらを一瞥もせず俺の横を通り過ぎ教室を出て行ってしまう。返そうとして手に持っていたハンドタオルが俺の手汗で少し濡れてしまう。
 席に戻りスマホを弄り彼女に連絡を… 思い出した。彼女の連絡先は確か九月半ばまで知らなかった筈だー 二年前の九月の半ば、風邪で彼女が予備校を休んだ翌日、ノートを見せて欲しいと言われその時に初めてライン交換したんだった!

 まあ明日になれば… 甘かった。翌日も、翌週も、彼女が俺を見る事は一度も無くなっていた。短いお盆休みを終え、予備校に行く。確か俺の記憶ではこの日午後からゲリラ豪雨で彼女は傘を持っておらず、川越駅前のガストで夜まで時間を潰したのだ。

 俺の記憶通り、午後の授業の途中から空は暗くなり、やがてひっきりなしに落雷の音が女子生徒をおののかせ始める。大粒の雨が窓を打ちつけ、授業が終わる頃には予備校の外には迎えの行列が出来ている。
 俺は混乱の一階ロビーを人掻き分けながら彼女の後を追う。案の定、彼女は傘を忘れた事に気付き、途方に暮れた様子である。

「星野っ」
 思わず声が上擦ってしまう。心臓が一回転したような感覚に胸が苦しくなる。
「……」
 俺を一瞥すると彼女は反対側に歩き出してしまう。俺は彼女の腕を掴み、
「傘、あるのか?」
 彼女は掴んだ俺の腕を見ながら、
「離してくれますか。」

 俺の目を真正面から見つめるその冷たい目に俺は思わず掴んだ腕を離してしまう。そして彼女はツカツカと俺から離れるように歩き出し、やがて人混みに消えて行った…

 一人駅前のガストに入り、コーヒーを飲む。驚くことに二年前のここでの会話が鮮明に俺の脳裏に蘇ってくる…

「早乙女くん、もっと本読まなくちゃ。本を読むって事は他人の意見を聞く事なんだよ。あ、早乙女くんはコミュ力高いから人の意見聞くのは得意そうだね… 私は苦手で… 人と話すのが苦手でさ。だから本と会話しているんだ… ってこんな話変だよねー やだな、こんな話他人にした事なかったんだけどなー 早乙女くん聞き上手だから何でも話しちゃうよー」

 あの時注文したナポリタンを注文する。

「私ね、大学に入ったら友達を作りたい! って、なんか小学生みたいだよね… でも、私と同じ価値観の本をこよなく愛する人達と大勢友達になりたい。そしていっぱい語り合いたい。いっぱい意見を聞いて、いっぱい主張したい。え? それなら運動系のサークルに? いやー私運動は苦手で… 中学の時にバスケで県大会ベストエイトが精一杯かなー ああっ何でオシボリぶつけるのよ!」

 デザートを、あの時と同じブリュレを一口食べる。

「でも、こんな私とずっと一緒にいて迷惑じゃない? ほら、私、陰キャラだし… 早乙女くんの評判下がっちゃうよきっと… ほら、その優しい所とか! そう言われると気にしちゃうって。彼女さんにも申し訳無いなって… え? 嘘だー、いるでしょ本当は。…そうなの? そっか、受験勉強と恋愛ねー、両立出来ないかー 結構真面目なんだね。え? 私? いる訳ないでしょう。え? いないいない。いても教えない!」

 会計を済ませ店を出る。

「そうだな、大学に入ったら恋もしたいな。本物の恋。早乙女くんみたいに『ちょっと付き合う』なんてダメ。付き合うなら真剣に。先の事まで考えて、ずっと一緒にいれる人と。え? そンなヤツいないって… ちょ、酷くない? うん、うん… そっか、そんな本好きな男にマトモな奴いない… って、それ酷すぎ! よーし、早乙女くんを愛読家にしちゃう作戦! 漫画はダメー。少なくとも時代小説はしっかりと読むように、ね。」

 その半年後。俺は時代小説の愛読家になっていた訳だが。
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