第4章 第3話

文字数 1,905文字

 親父の後に風呂に入りながら、突然思い出す。
 親父は元いた世界で、俺が大学二年の夏、突如左遷されてしまう。その理由が直属の上司の大失態を押し付けられた為だった。
 取引先との酒の場でその上司が何かやらかし、それを親父に責任転嫁したらしい。そんな人間について行っていた親父が全て悪いのだが、親父は思い込みが激しく、これならば、この人ならば、と一度信じると妄信し他人の意見に耳を貸さない。

 どうなのだろう、もし親父が早くにこの上司と距離を置くことが出来たら、親父は二年後左遷させられる事はなくなるー?
 左遷が決まったと家族に告げた時の親父の姿は今でもよく覚えている。世渡り上手でお調子者の親父が抜け殻となった様を。晩秋の木枯らしに揺られている大木の陰に取り残された蝉の抜け殻のような親父を。

 俺の言う事なぞ聞くはずも無いのはわかっている。しかしこのまま何も言わずにあの様になってしまうのは俺が許せない。
 耳を塞がれてもいい。子供に何がわかると詰られてもいい。それでも、俺を愛してくれる父に言うだけは言おう、そう決心しバスタブから立ち上がる。

 親父はリビングで冷やしたミネラルウォーターを飲んでいる。お袋はとっくに寝室だ。
「ところで、勉強の方はどうよ?」
「あ、ボチボチ。えーと、これ、先週の予備校の模試の結果」
「どれどれー…… スゲーじゃん、80%… ホントにこれなら政経に現役合格かよ…」

 因みに親父は一浪で法学部。
「サッカーも、勉強も。うん。子は親をこうして超えていかねばな」
 高校時代は県大会ベスト16、大学時代は体育会で三軍。
「お前、大学じゃサッカーやらねえのか?」
「んーー、他のことしたいかも」
「そっか。でもな、大学の体育会は社会人になってからの人脈が凄えぞ、縦と横の繋がりがな。上行くには有利だぞ」
「わかった。考えておくよ」
「おお、そっか、じゃあ横山に伝えておくぞ、ウチのが行くからよって」

 親父の後輩で今は大学のサッカー部の監督をやっている横山さんは今や大学サッカー界では『知将』として遍く知れ渡っている。
「ところでさ、父さん…」

「何だよ珍しい。そんなマジな顔して。何だよ。言ってみろ。」
 親父も珍しく真剣な顔でこちらを向き、俺の話を聞こうとしている。
「今からさ、スゲー生意気な事言っていい?」
 親父はキョトンとした顔をした後、笑い出す。
「おいおい、どうしちゃったの啓ちゃん。まあいいや、何でもこのお父さんに話してごらん」
「うん。あのさ、今の上司って、どんな人なの?」
「はあ? 何だ突然― 」

 俺は親父の目をしっかりと見つめ、
「父さんにとって、今の上司は本当に信頼できる人なの?」
 親父も俺から目を離さず、太く強い視線を俺にぶつける。俺もそれを受け止め、より太い視線を返すー

「あのな啓。俺らサラリーマンの出世ってよ、ぶっちゃけ実力じゃねえんだ。『運』なんだよ。だからよ、その運を持った上司について行く奴がその人と一緒に上に上がっていくんだよ。わかるか?」
「うん。なんとなく」
「今の俺の上司、神崎さんって人なんだけどな、東大のサッカー部でよ、もう入社当時から幹部候補生だったんだってよ。その人に俺は認められてここまで引っ張ってもらって来たんだよ。俺の同期では一番出世な。部長な。だからよ、」

 コップに入ったミネラルウォーターを一気に喉に流し込んで、
「信頼もクソもねえ。一連托生なんだよ。あの人が上がれば俺も上がる。あの人がコケれば俺も落っこちる。それがサラリーマンって奴なんだよ」

 親父流のサラリーマン哲学か。時代は令和なんだけど、あまりの昭和臭に居た堪れない。やはり何を言ってもダメなのかもしれない。このままでは元の世界通り、いつかその酒癖の悪い神崎に利用されるだけだ。
 だから。その前に神崎なる上司と距離をあけさせたい。それにはどうすれば良いか。親父が神崎の忠犬であることを辞めさせる、出来れば神崎から親父を見放す方向で…
 その為に俺が出来ること、会社の出世よりも大事なものを親父に思い出させる事…

「そっか。来週、じゃあ無理して来なくてもいいよ。神崎さんとのゴルフの方が大事だろ?」
「いや… まあそうなんだけど… うん、まあ何とか来週、お前の試合見に行けるよう、するよ」
 俺は席を立ち寝室に向かう。そして、心に届け! と願いながら、

「おやすみ父さん。頑張るから、俺の方、見に来てよ」

 親父は柔らかく微笑む。
「それとー、もし来れたら、彼女紹介しよっかな?」
 親父は目を大きく開けー
「おおお、やっと親に紹介できるオンナ出来たかっ 可愛いのか? もうやったか?」
「見てからの、お楽しみー まだやってねえよ!」
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