第4章 第1話

文字数 1,893文字

 俺たちの受験勉強の日々は容赦無く続く。
 夏の酷暑の影響なのか、九月の終わりになっても暑い。未だにセミが鳴いている。この先この星はどうなってしまうのだろう。二年後までは知っているのだが。

 来週には文化祭がある。のだが、勿論俺たち三年は殆ど関与しない。クラスの出し物も無し。二日間の間、学校に来ない者も多数居るだろう、俺もその一人になる、筈だった。

 昼休み、サッカー部の二年のキャプテンの坂崎が教室にやって来る。
「ケイさん、ちょっとお願いがあるんですけどー」
「坂崎、どうした? 親善試合には出ねえぞ」
「その親善試合なんすけど、今年あの江戸学園が来るんですよ!」
「はあ? 江戸学? マジで?」
「勿論、Cチーム以下だと思うんですがー」

 江戸学園は東京の強豪校だ。一昨年選手権に、去年インターハイに都代表で出場した最近力をつけて来ている新興強豪校。俺らが相手になる筈もないのに、一体……

「ウチのOBで筑波の体育会でやってた、下条さんっていたじゃないですか?」
「ああ、あの伝説の『ジョー』さんな。」

 名門進学校の我が校でただ一人、あのサッカーの名門筑波大のサッカー部で活躍した、伝説の『ジョー』さんこと下条さん。俺が現役の頃たまに練習に参加していた。まあ、プロになれるほどではないが、俺らレベルから見たら神レベルの人だった。

「あの人今、江戸学で教員してるんですよ。それでサッカー部も見てるらしくーー」
「それで、か。しっかし文化祭の親善試合の相手にしては、エグいな…」
「そーなんですよ。しかも、CBの山沖が一昨日ハムストリングを肉離れしちゃってー」

 太腿の裏の肉離れ。一ヶ月はプレー出来まい。
「そこで。ケイさん、一日だけ、現役復帰の方向でオナシャス!」
 
 一緒に話を聞いていた洋輔と駿太が騒ぎ出す。
「スゲーじゃん、江戸学! あ、俺も出たいかも。」
「いーなー、例えDチームでも一度やってみたかったな。」
「勿論出るんだろ、ケイ?」
「今でもちょいちょい身体動かしてんだろお前?」
「いやーー、最近はフットサル……」
「はあ?」
「へ?」
 おっと。危ない危ない。
「フットサルならやりたいけど、フルコートはちょっとなあ……」

 二年前、大学に入った後俺はフットサルのサークルに入った。そして塾講が忙しくなると試合だけ出るようになっていた。

「なんじゃそれ。いいじゃんケイ、江戸学とジョーさんにちょっと一泡吹かせるってーの、どうよ!」
「そうそう、ケイが入れば少しはいい試合になるわ」
「そーなんですよ! 中学時代の埼玉トレセン選抜のケイさんが入ってくれたら、メッチャいい試合になりますよ! 頼んます!」
「埼玉学院や浦和総合の誘い蹴った男だもんなー」
 ああそんな過去もあったわ。遠い昔の話だが。

「でもな、最近全然身体動かしてないんだわ、ちょっとキツいかも…」
「大丈夫っす! あと一週間あります! 何とかなるっす!」

 この進学校には珍しい『脳筋』男の無駄に熱い勧誘にタジタジとなる。実際こちらの世界に来てから殆ど体を動かしていない。放課後は予備校もある。ただ文化祭前なので授業は午前中だけとなるので、軽く部活に出ることは可能だ。

 この無駄に熱い後輩の姿とあの伝説のジョーさん、そしてあの江戸学との対戦を眼の前にし、知らず知らずのうちに眠っていたサッカーへの情熱が蘇ってくる。
「坂崎。ユニフォーム、用意しとけよ」
 坂崎が上級生の教室で大声で、
「っしゃーーー!」
 と叫ぶものだから、どうした、何かあったの? とクラスメートが集まって来る。

「マジ? ケイ試合出るの? そんなら学祭顔出すかなー」
「えー、応援行くよー、いつ? 何時?」
「これ、みんなにお知らせしなきゃよねー、えーと…」
 放課後までには全校生徒の知る処となった……

「あの後輩君、本当にケイくんのことを慕ってるんだね。いや、慕っているというよりは、懐いているって感じかも」
「上級生の教室でアレは無いよな… まあ、でもマジでいい奴だから」
「ケイくんはホントにいっぱい良い人に囲まれて、幸せだね」
「それな。マジ感謝だよ」
「ふふ。じゃあ明日から練習出るんだ?」
「そーだな。昼から夕方まで。あ、予備校、先に行っててよー」
「えー、練習見てちゃダメかな?」
「全然いーけど。でも水月、サッカー興味あるか?」
「サッカーも好きだよー。だから見たい!」
「おっけ。じゃ、練習終わったら一緒に予備校行くか」
「うん!」

 最高の笑顔。思わず抱きしめたくなる程の。二、三年前以来の闘争本能が静かに蘇ってくるのを感じる。そして、あの頃とは違い、今は水月が隣にいる。想像できない何かが起きそうな予感がする…
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