第4章 第2話

文字数 1,253文字

 帰宅後、久し振りに部屋の押入れを探る。記憶通り、高校のサッカー部時代の用具がしまってある。スパイクを見ると高校時代の懐かしい思い出に浸ってしまう。

 これを最後に履いたのは確か高二の三学期、俺たちの引退試合。それ以来触れるのは三年半ぶりくらいだろうか。

 玄関に持って行き、クリーニングキットでスパイクを磨き始める。懐かしいクリームの匂いに胸が熱くなってくる。
 無心で磨いていると親父が帰宅する。今夜も頬を赤らめ酒臭い。それほど強く無いのだが、直属の上司が無類の酒好きだとかで無理して合わせているらしい。

「啓、なーにやってんだあ?」
「見りゃわかんだろ。スパイク磨き」
「お前、とっくに引退したんだろおー、なーに今更?」
「来週の学祭の親善試合、出ることになっちゃって。父さん、あの江戸学とやるんだぜ」
「はっ。江戸学? 万に一つも勝ち目ねーだろうが」

 埼玉は静岡と共に昭和の頃からサッカーが盛んな地であり、この親父も無類のサッカー好きなのである。
「それにお前全然身体動かしてねーだろ。いくらお前でも来週いきなり江戸学ってーのは無理なんじゃねーか?」
 急にシラフになって真顔で言いはじめる。

 親父は俺を日本代表にするのがかつての夢であったらしい。物心ついた時から俺は親父にJリーグや高校サッカー、更にはプリンスリーグなどに毎週のように連れて行かれていた。試合を観に行かない日は近所の公園でひたすらサッカー。
 止める、蹴るの基本的な事は全て親父に教わった。小学校に上がる頃にはリフティングは百回を超えていた。
 小4の時にJクラブの下部組織のセレクションを受けたが最終テストで落とされた時には帰宅後号泣していたわ…… 当の本人は案外どーでも良かったのに。
 中学では県大会ベスト四に入り、トレセンに選ばれ埼玉県U15に選抜されるとこれまた家で号泣してたな…

「お前、怪我だけは気をつけろよ。特に筋肉系。半年近く使ってねえんだから、よくストレッチして。練習前は動的ストレッチな。練習後はより入念に」
「わかってるって」
「あと、お前一人でなんとかしようとするなよ。周りをよく使って。どうせCBやるんだろ? 攻め込まれっぱなしだろうからキレるなよ。耐えて耐えt……」
「父さん」
「…ウンター狙いでー、は? な、何だよ…」
「ありがとう。マジ、今までホントありがと」
「気持ち悪いだろうが… 何だよ急に…」
「試合、観にこない?」
「…お、おう、い、いつだよ?」
「来週の土曜日」
「あーーーー、んーーー。行きてえな。あーー何でその日なんだよおーー」
「上司とゴルフなの?」
「まあな。でもお前と江戸学の試合、これは見逃せねーなー でもなあ…」
「だよな」
「お前の骨拾いに行きてえとこだが。怪我だけはすんなよ、怪我だけは」

 ずっと俺のサッカーを見てきてくれた親父。俺が頼まなくても俺の出た試合の殆どを見にきてくれた親父。中学くらいから身体の故障を何よりも心配してくれてきた親父。

 不意に視界が滲み、磨いたばかりのスパイクの上に水滴がポトリと落ちて弾けた。
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