第21章(3)

文字数 4,788文字

もしもしお疲れ様です、水無月ですけど。
 話しながら千景はスピーカーに切り替えた。
ご無沙汰してるね水無月くん。いやー、近ごろのトライアスでの君の活躍ぶりには部署の皆んなも度肝を抜かされているよ。どうしてうちに出資させてくれなかったの?
成功するかどうかなんて全然分かりませんでしたし……。色んな事情が絡み合って、たまたま上手い具合に転がっただけですよ。結果論を言ったってしょうがないじゃないですか。
水無月くん自身がこれだけメディアに出ているのを一番驚いてるよ。
それには私自身も驚いてますけど。ところで私が担当してた関連会社のほうで何かありました?
いや、そうじゃないんだよな……。うーん……。
何です?
ほら、ぼくの前職がGoggleだったこと覚えてる? そこからぼくに連絡があって……単刀直入に言っちゃうけど、Goggleがトライアスの買収を検討できないかって。
あー、たしかGoggle Japanの支社長から桜丈に移籍してきたんでしたっけ。なるほど、そういう連絡……。
つくづく何でなんだよなぁ……どうしてうちに出資させてくれなかったんだよ……本当に勘弁してよ……。
Goggleって、検索エンジンの……だよね?
それしかあるまい。
ちょっと待って、誰か一緒にいるの? まずいんだけど他の人に聞かれちゃ……。
ああ、大丈夫ですよ、うちの社長と、その妹さんと、玄さんの3人ですから。私も含めたこの4人でトライアスをやってるんです。
えっ、社長!? たしか引退して熱海にいるって話じゃ……。
いや、現・桜丈ホールディングス代表取締役の小春社長です。
ど、どうも初めまして……。
あっ、これはどうも……お話はかねがね……。
しばらくの間、ご迷惑をおかけしますな。
玄さんですか! ちょうどよかった、今うちで買収を検討している案件が一つあるんですが、決済を頂いてもいいでしょうか。他社と競合していて、ちょっと急ぎなんですが……。
ではこの後、社内システムを通して資料を送っておいてくださいますか。今晩中に審査しますので。
審査といっても、売買案件の決済が玄さんになってから、一件も通ってないじゃないですか。現場で実務をする側の人間としては、もう買収する意向がないのなら、最初から言っておいてほしいですね。
買収を一切しないなどと申し上げているわけではございません。私が厳しいわけではなく、どちらかといえば旦那様がおかしかっただけでございます。私の審査は適正です。
ですけど玄さん目線って金融機関の審査担当者のものじゃないですか。そんなんじゃ昨今の案件はどうせ一つも通りませんよ。
ならば通さなくてよいのです。物事には大きな時間軸というものがありまして、今はまだ刻ではないということでしょう。必ず売買に積極的に乗り出すべき時流というのは巡ってくるはずですので。
とにかく、今日中のお返事お待ちしてますね。先方に対して明日には何らかのアクションをしたいので。
かしこまりました。
ところでどうなんだろうね水無月くん……。Goggle側は本気のようだし、悪い話じゃないと思うな。ぶっちゃけ無理にIPOするよりずっと良い評価をしてくれるはずだよ。
桜丈ホールディングスは何か絡むんですか?
いやいや、これはぼく個人のツテで舞い込んできた話だよ。どでかいM&Aってこういうものでしょ。あくまでも個人的な話だし、当然だけどぼく個人は仲介料なんて抜かないからね。いやまぁ新社長や玄さんがいる前で業務外の話をするのは心苦しいけど、まさかトライアスで何か仕込んでいたなんて全然知らなくて……。
気にしないでもらって大丈夫です! 無理言って千景先生にこちらに参戦してもらってますし。
そういうことです、一切お気になさらずどうぞ。
ちなみにトライアスはガチAI企業とか思い切り謳っちゃってますけど、なんちゃってAIですよ。肝心なところは人力ですし。念のため、その辺りをぼやかしながら先方に打診しておいてもらえますか? それでもアリっていうなら一応土俵に乗せておきますけど。
そうか、なんちゃってAIね。あるある、最近は。システムについてはすべて見えた気がするけれど……実際そこは興味の範囲外じゃないの。各国語のマンガポータルサイトと、日本の出版社やクリエイターとのコネクションこそがキーだと思うよ。正味な話、Goggle側にとっちゃ、日本の中小ベンチャーがいじっているAIなんて関心ないと思うね。
でしょうね。そういう視点で言えば、むしろ本物のAIを独自開発するためにGoggleに協力させたっていいわけですからね。そのほうがアベコベに研究開発が進みそうです。
そこを内々で理解のうえでGoggleが引き受けるというのなら、むしろ悪くない取引になるかもしれないぞ。私たちとしても散々AIを煽っているのだから、有耶無耶のうちに綺麗に整理がつくかもしれない。
確かにね。実際にあとから研究開発に着手すれば折り合いは付くかなと考えていたけど、Goggleが飲み込んでくれるのなら悪くはないよね。
小説やイラストや映像は、もうある程度のレベルのものをAIに創造させることができるじゃない? だったら次はマンガもだよね。どうせAI研究に本腰入れていくなら、ゼロからAIがマンガを描くところまでチャレンジしてみたいな!
エンタメコンテンツの生成すら、AIが人間のレベルを超える時期は目前にまで迫ってきてる。トライアスは、マンガAI生成領域で世界ナンバーワン企業を目指すっていう次の展開は大いにアリかも。
うんうん! ナンバーワン企業の責任として、人間クリエイターとAIとの共存方法も模索していければいいなー。
実際問題、いったんAIに追い抜かれてしまえば、人間に勝負できる余地があるとは思えないがな。その時は人間クリエイターも、出版社すらも、ジ・エンドだ。そして私たちAI企業が、エンタメコンテンツ業界までをも支配する。
そんな将来像を見据えれば……トライアスのステップアップとして、IT巨人との事業統合は歓迎されるべきなのかも……。
ということは、案件を議題に乗せてくれる可能性はあるってことで……いいのかな?
議題に乗せるだけなら拒否する理由はありませんよ。選択肢が増える分には何の損もないわけですし。でも実際に売却するかどうかは、全くわかりませんけどね。
もちろんそれは当然だよ。まだ価格交渉すら出来ていない段階だからね。だけど役目が果たせそうでホッとした。交渉が始まれば、たぶん色々と譲歩してくれると思うよ。
 それから千景の上司は、千景の連絡先を先方に開示する許可を求めてきて、『Goggle側の代理アドバイザー業者から直接連絡あると思う』と言い残して電話を切ったのだった。
――だ、そうだよ。話だけでも聞いておこう。
選択肢を持っておくのは別に構わないよね。それに話が直球ストレートで、変な業者たちが送ってくるDMとは全然違うってことも分かったなー。
ちょうどM&Aの話をしていたところだ、タイムリーなことだな。M&Aというのはこうして持ち込まれるものなのか?
ケースバイケースだけど……さっきも話したように桜丈ホールディングスの場合は、付き合いのある銀行系列から持ち込まれることが多いね。個人のツテが強い場合には、こんなケースもあるのかな。
そういう点でも銀行と付き合いを深めておいたほうがいいんだね!
銀行には色んな情報が集中してるから。
銀行が持ち込んできた案件でしたら、その当の銀行から買収資金を借り入れてしまうこともできます。銀行は当然その会社の中身を熟知している前提になりますから、銀行借入を引き出すのは容易です。
なるほど、そういう視点もあったんですね。経営実務には疎いので素直に勉強になります。
自分たちが強く勧めてくるわけだから、お金も貸してくれるのは当たり前かもね!
企業の売買案件だけでなく、不動産案件も同様ですな。銀行系列が持ち込んできた案件をあえて買い、スムーズにBS拡大を成し遂げるのは重要な施策の一つです。もちろん企業も不動産も、銀行が勧めてきたからといって成功の保証があるわけではございませんが。むしろ銀行が不良債権を厄介払いをするために買わせようとしてくる場合も十分あることを留意せねばなりません。
銀行を信じてはならないな、利用すべきときは利用するという姿勢が必要か。フッ、私の得意とするところだ。
 そんなやり取りをしていたところ、店舗の目の前にタクシーが停まった。そして妙に身なりの良いスーツの男が降りてくる。この辺にはビジネスに関連するような場所は何もないというのに、どこへ商談に行こうというのだろうか。
何だろー、あのビシッとした感じの人……。

 その男が、ふとこちらのオフィスを眺めやったかと思うと、確固とした足取りで向かってきた。どうやら目的はこの弁天町オフィスのようだった。

 保険や証券の営業マンなら電車で来るだろうし、いちいちタクシーで乗り付けてくるのは珍しい。

 スーツの男は店の扉を開くと、千景に目を留めて驚いた様子だった。

これは水無月社長に直接すぐお会いできるとは。まさか受付もない、こんな小さなオフィスだったのですね。唐突で申し訳ございませんが、5分だけご相談のお時間を頂戴することはできませんか?
えっと、何でしょうね? 金融商品の営業さんなら、一切不要なのですが。
これは失礼しました。私こういうもので……。

 スーツの男は名刺を渡してきた。小春たちも無視することなく、一人一人名刺を丁寧に配ってくる。

 男の肩書きは、ゴールドサックス日本法人、ヴァイスプレジデント。

ふーん、ゴールドサックスの方が私にどんな御用で?
一対一でご相談することは出来ませんか?
ああ、ここにいるのはトライアス経営陣の面々なので心配無用ですよ。
 男は小春たちを慎重に眺め回してきた。しかし、ここでゴネては千景に相手にしてもらえなくなると踏んだのだろう、意を決して話し出す。
私どものあるクライアントが、トライアスさんの事業に興味を持っております。M&Aに興味はございませんか?
そういうM&Aネタなら沢山来て困ってるんですけど。さっき、6通も来ていた怪しいDMをゴミ箱に全部突っ込んだばかりです。
 小春はすかさずゴミ箱を漁り、棄てたばかりの6通を取りだした。そして、くしゃくしゃにした紙を引き延ばしながら、そのうちの適当な1通を男に手渡す。
ほう……。トライアスの買収を検討している企業様がおり――なるほど、これはゴミの中のゴミですね。
貴方様の話もそうなんですけどね。
確かに仰る通りかと……。申し訳ありませんでした、ダイレクトに申しましょう。弊社のほう、東アジア地域において、マクラムソフトの企業買収アドバイザーを務めております。マクラムソフト側は、トライアスのM&Aについて相談できないかと。
御社でしたら、マクラムソフトの代理っていうのは分かります。ただ、御社が勝手に案件仕入れのために騙っているわけではなく、本当にマクラムソフト側がちゃんとトライアスを指名したってことですか?
そこはもちろんです。コピーをお渡しはできかねますが、こちらはマクラムソフトからの業務委託契約書となっておりまして……。
 男はバックを開け、A4の束を半分くらい覗かせた。
そんな書類を見せられても、こちらにはそれが真正であるかなんてわかりませんけど。まぁいいでしょう、信じますよ。無数にある選択肢の一つ程度として、聞いておく分には損はないんじゃないでしょうか。
この私という存在が直々に聞いてやる。最近は見ず知らずの大人どもと話す訓練を繰り返しているから、貴様のような怪しげな男でも大丈夫だ。私の成長は凄まじい。さあ、話せ。
あ、あの……こちらのお子様は……?
株主関連の偉い人です。まぁとにかく気にせずお話をどうぞ――。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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