第6章(6)

文字数 1,399文字

 小春は新宿駅界隈の銀行を当たることを諦め、仕方なく自宅方面の銀行に飛び込んでみることにした。新宿駅なら銀行はそこら中にあるのだが、そもそも静かな自宅周辺の地域にどれほど金融機関があるのだろう。


 小春はとぼとぼと新宿三丁目を越えて自宅方面に歩いた。足取りは重かった。

 抜弁天の丘を越えると、周囲の雰囲気は一変し、到底そこは新宿という地名とは程遠い粛然とした地域が広がる。人の流れもまばらだ。新宿は、東半分と西半分では別の国であると小春はいつも思う。世界中から富と人が集まる煌びやかな西半分と、超都心のなかに存在するド田舎といった東半分だ。


 家への帰り道、さすがに東半分のド田舎側だけに銀行らしきものは一つも見当たらなかった。メガバンクのATMが申し訳程度にあるくらいだ。

 このままでは家に着いてしまうと思ったとき、ふと小春は、近所で信用金庫という看板が出ていたことを思い出した。社会経験に乏しい小春には、信用金庫が銀行なのかどうか釈然としなかった。小春が個人で所有している口座はメガバンクのものだ。信用創造の講義でも、銀行の役目は理解したが、信用金庫は一度も出なかったと記憶している。果たして同じものなのか。

 しかし以前、玄七郎が高校を卒業してすぐ就職した先が信用金庫で、そこの融資担当者だったことを思い出した。その仕事が、のちにベイグランディアホテルズの創設に結びついたという。

 そこで小春は、その近所の信用金庫に足を運んでみることにした。

 家から近い交差点を渡るとすぐ、東京みらい信用金庫の看板が飛び込んできた。奥まった店舗で、小さい金融機関らしい。

 その信用金庫に入ると、新宿駅周辺の混雑した銀行の雰囲気とまるで異なり、どこか田舎じみて牧歌的な感じの店内だった。来客は小春しかいない。どこの銀行も受付待ちが大勢いたのとは大違いだ。


 小春しか客がいないため、窓口の女性はこちらを見遣って挨拶してきた。

いらっしゃいませー。
あのっ、すみませんっ! ちょっと質問していいですか?
どうぞー。

 小春は必死だった。銀行口座が作れなければもう絶望である。融資がどうのという次元ではなく、会社があるのに現実的に商売ができないという、考えうる限り最悪の状態だ。

 そしていま懸命に仕事をしているはずの小雪と千景に対する申し訳なさで小春は心がいっぱいになり、身体が震えるほどだった。

ここは銀行と同じですか? 信用創造には、信用金庫は関係するんでしょうか?
え? 銀行と信用金庫じゃ、法律はたぶん違うと思うんですけど……ちょっと私には詳しくわからないので、誰か呼びましょうか?
会社の法人口座って、ここでも作ってもらえるんですか?
もちろんですよー。
不動産融資とかも、相談できるんですか?
もちろんです。

 その軽い相槌に、なぜか小春は涙が溢れてきた。

 全ての望みが断ち切られるような恐怖感と不安感に押しつぶされそうな境地だったところに、天から差し伸べられた細い糸にさえ思えたのだ。

 小春は懸命に涙を拭いながら、震える声で口にする。

あのっ、法人口座を作りたいんです……。不動産融資も相談できませんか……どうか、お願いします……。
どっ、どうしたの!? 大丈夫!?
 窓口の女性は慌ててカウンターから出て、くず折れそうになる小春を抱き止めてきた。そして小春は引きづられるようにしながら、隅のミーティングテーブルへと座らされたのだった。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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