第３章（３）
文字数 4,419文字
さて後半では、信用創造システムのなかにおける、好況と不況の仕組みの基礎を確認してみましょう。まず、おさらいです。お金はどうやって生み出されていますか、小春お嬢様？
お金は、どこかの誰かが銀行から借金をすることで生まれてるんだよね。そのとき銀行が通帳に数字を書き込むから、それがお金として流通する。
そしてBSの講義のとき、好況が来ると見ればBSの規模を積極拡大しようと申し上げたことを覚えていますでしょうか？ BSが拡大するということは、その分だけ借金も増えるということでもあります。多くの場合、情勢を先読みしたBS脳の方々が先陣を切って動き始めると、世の中の借金総量は急激に膨張していきます。それだけ借金量が増えるということは、もちろん片側では何が増えていますでしょうか、小雪お嬢様？
簡単すぎるぞ、もっと高度な質問でなくては意味がない。世の中全体の借金が増えれば、それだけ世の中全体ではお金が増えているということだ。正確に言えば銀行預金が同じだけ増える。
そして、膨張した銀行預金は、当然ですが各人の手元に留まっているわけではございません。様々な資産に投資されていきます。株・債権・不動産・資源・ゴールドなど資産価格が膨張していくことが分かるでしょう。それが話題になってゆくに従い、ニュースでは株式高騰などが連日騒がれるようになっていきます。そうしたものに煽られると、PL脳の方も持たざる恐怖で動き出すケースが散見されるようになります。なにせPL脳の方は元々母数が巨大ですから、ほんの1割か2割が投資に参加しただけで、資産暴騰に拍車が掛かってゆくでしょう。値動きの激しい株式投資に手を出さなかったとしても、水無月様がマンションを購入されたように、住宅ローンを組む方も続々増えていきます。この状態が好況です。社会全体にお金が溢れかえっていく様子を、できるだけ想像してみてください。
いろんな人の通帳に数字が書き込まれていくということだね。銀行さんがとっても忙しそうだよ。
政府や中央銀行の政策として、意図してお金を世の中に溢れさせる場合もありますね。政府の場合は公共投資を増やすことで、自らがお金をばら撒き始めます。中央銀行なら金融緩和して金利を下げ、国民にお金を使わせるよう促します。この政策の動きは、かなり強力に影響すると思いますよ。
そして前半において確認したことですが、これらの膨れ上がっていくお金は、何の裏付けがあって保証されていますか、小春お嬢様？
債務返済能力っ！
まさに。銀行は、水無月様に4500万円の債務返済能力があると信用したから、その分だけお金を貸したのです。
今の金融情勢なら、たぶん私なら7000万円くらいまで債務返済能力を信用してもらうことができるでしょうねー。これって信用力は中々高いほうです。
つまり千景は、その気になれば7000万円くらいまでならお金を世の中に生み出すことができるということか。
そして前半で小春お嬢様が質問しましたな。裏付けとなっている債務返済能力が消失すれば、流通してしまったお金はどうなるのか、と。そしてこのお金が消失することまではお伝えしたと思います。
そうそう、ホントにどうなるの？
少し細かく見ていくと、銀行が仮に『水無月様は4500万円を返す能力がない！』――つまり信用がない、債務返済能力がないと考えたとき、銀行の立場ならどうしますか、小雪お嬢様？
私の常識から言えば、お金を返せないならばマグロ漁船に乗せて回収するか、簀巻きにして東京湾に沈めるといったところだな。尤も返せない対象が千景なのであれば、私の付き人として10年くらい過ごしてもらい、その労働で返してもらうとしよう。
ふむ。正しいのか正しくないのか、もはや私にはわかりませんが、銀行はそのようなことはしません。小春お嬢様が小雪お嬢様に貸した1000円が焦げつき、不良債権化して回収困難になった悪辣な事例が参考になるでございましょう。
なっ、違！？ 新しい化粧水を試しに買ってみたせいで今手持ちが600円しかない、次のお小遣いをゲットしたら間違いなく返すのだぞ！ お小遣いを期日通りにしか渡そうとしない玄七郎が悪いのだッ！
1000円を回収できなかった可哀想な小春お嬢様は、BS上の資産の部にあった貸付債権を、実質価値ゼロの不良債権とし、泣く泣くBS上から消しました。そう、BS上から消す……つまり水無月様が借用証書にサインして、無から突如としてお金が生まれたパターンの逆だと考えてもらえばいいのです。
ある意味、本当にそのお金が地上から消滅するんだね。
これは大変なことです。すでに見てきたように、水無月様の4500万円は、多くの人や企業を介し広く駆け巡っております。その好循環が、世の中を好況に押し上げていたはずです。しかしその大元が消失してしまうと……膨れ上がっていたお金の裏付けに、何の価値もなくなってしまうということ。
少し具体的な形で見ていこうか。銀行は必死で回収しようとするから、抵当として押さえていた私のマンションを売ろうとするよね。仮にそれが3000万円で売れたとしたら、銀行は即座に3000万円を回収するでしょ？
3000万円も回収できたとしたら喜ぶべきじゃないのか？
でも、4500万円の私の借金のうち、3000万円が瞬時に消えたということだよ。私の借金は、同時にお金も生み出していたことを思い出してほしいなぁ。
あ、そうか！ 借金が減るということは、その分のお金も同時に減っているということだな？ 世の中から3000万円分のお金が消えたんだ。
そして残った1500万円の借金も私が返せない状態なら、自己破産せざるを得ないよね。そしたら銀行は不良債権として、BS上から1500万円を消してしまうの。
じゃあ1500万円のほうもやっぱり世の中から消えた……。
銀行は大損してお金も減るわけですから、慌てて他の人々からも回収し、なんとか減ったお金を補おうとします。また、大変な状況に気づいた人々は、先んじて手持ちの資産を売ってしまおうと懸命になるでしょう。早く売らないと、資産価格がどんどん暴落してしまうことになるからです。
資産を売って入ってきたお金は、借金返済に回されるのかな？ とすれば、またお金が世の中から消えてゆく。
膨れ上がっていたお金は逆回転を始めます。お金を借りていた人々は次々と返済を求められ、返済することによって借金が消えるから、生み出されていたお金も同時に消えてゆくのです。世界全体に流通するお金も減り、収縮が収縮を呼び、やがて信用創造システムは崩れ落ちる……これが不況になる仕組みでございます。
そんな状態だと、誰だって新しく借金して投資しようなんて思わないよね。だからお金の量は減る一方。
ただし、不況ごときならまだいい。こうした破綻が瞬時に巨大化すると、お金の動きが突然ストップし、金融危機という状態に突入することもあります。ここまで来ると、資産は大暴落していることでしょう。経済は凍りつくことになります。
いやぁ……信用創造って恐ろしいものですよね〜。経済が拡大するのも、崩壊するのも一瞬ですから。
なんだか怖くなってきた……。
信用創造……鉄火場のようで実に面白いではないか。ちまちまギャンブルなどバカバカしいようだ。そもそも世界全体がカジノなのだと私は知った。
BS脳講義の際、不況が来ると見ればいち早くBSを縮小すべきと申し上げたと思います。暴落となればBS脳であろうとPL脳だろうと見境なく資産投げ売りに走りますから、なるべくそれを事前察知して、守りに入っておくのが懸命ということなのです。私はそうした駆け引きには失敗しましたが、小春お嬢様は上手く乗り切ってもらわなくてはなりません。
本当にそんな上手に乗り切れるのかな……？ がんばれ私……。
不況や金融危機、経済恐慌みたいな状況になったら、政府が投資を増やして必死でバラまくし、日銀も極限まで金利を下げてお金を流通させようと死に物狂いになるね。それでも、人々の恐怖感の大波には、どう頑張っても対抗できないんだよねぇこれが。
今まさに暴落しているという理由によってさらに暴落する。もうここに理由などありません。経済アナリストたちは後付けで色々な理由を口にしますが、単なる自己満足の世界ですな。
そういうことは避けられないの？
今の人類に避けることは難しいと思いますが、それが嫌なら小春お嬢様が信用創造を覆すのような、次世代の経済システムを構築してみては如何でしょうか？
そんなの無理無理ー！ できるわけないよー！
フフフ、私がやろう。私という存在は今まさに、裏社会の世界征服に乗り出すと決めたところだ。そして私の力でお姉を表社会の頂点に据えるぞ。任せろ、陰謀爆発だ。
歌舞伎町への侵攻予定はどうされますか？
行き掛けの駄賃にしてやる。そもそも私の能力をもってすれば、歌舞伎町に君臨することなど造作もなく、あまりに簡単な攻略目標過ぎたのだ。それゆえ今後は世界を目指す。世界征服の過程において、私が何一つ手を下さずとも、勝手に歌舞伎町ごとき私の手のひらの上で踊っているだろう。
ほう……。これは私の楽しみが増えましたな。小雪お嬢様にも帝王学の講義を受けておいてもらうのは、存外に悪いことでもなかったようでございます。
小雪ちゃんも玄さんも世界征服を素直に受け入れているのが恐ろしいですよ……。
好況・不況を確認した最後に、両お嬢様が誤解しないよう、一つだけ付け加えさせてください。信用創造はとてつもないシステムですが、今回の授業において非難するニュアンスは微塵もないことご留意ください。むしろ信用創造は、私たち帝王学の忠実なる学徒にとって、この上ない味方でございます。
そうなのかなぁ？ 私たちの暮らしがジェットコースターみたいに乱高下するとしたら、ゆっくり過ごせないような気がするよ？
まさにジェットコースターであることがミソなのです。経済変動の周期が短いことや、その変動幅が極端なまでに激しいことは、我々BS脳の経済人にとって、その分だけ利益獲得のチャンスが増えるということの裏返しでもあります。好況になれば手持ちの資産価格が爆騰するので、驚くほどの利益を得る機会になります。金融崩壊して世の中が地獄と化せば、資産を買い漁る絶好のボーナスタイムです。そうした変動の瞬間を虎視眈々と狙い待ちするために、常日頃からBSを磨いていくことに致しましょう。
そういうことか……信用創造の陰謀を企んだ連中は、私という存在のために実に素晴らしき舞台を残してくれていたのだな……。やはり大富豪同士なら、時代と空間を超えて共に分かり合え、永遠の友情を育むことができるということか。来世では礼を言うこととしよう。
小雪、本当は私たち絶対に大富豪じゃないと思うよ……。
小遣い月8000円の女子中学生が何言ってるんだろう……。
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