第5章(3)

文字数 5,558文字

さて、本日は比較的どうでもいいものシリーズで参りましょう。こうしたものはとっとと終わらせてしまって、帝王学の本筋に注力していきたいところです。
成功哲学の親戚と言っていたな? そんなものがあるか?
マルチ商法とか……?
まさか。マルチ商法やネットワークビジネスなど知ったことではない塵屑の類でありまして、強いて言えば成功哲学の子供のようなものでしょう。実際ナポレオンヒルなどはマルチ商法にも手を染めていました。帝王学は、社会の枠組みと言える部分のみを扱いますので、いちいち触れたりする必要はございません。
成功哲学は信者の人たちを集めた宗教っぽい感じがしたし……カルトとかかなぁ?
期せずしてお題クイズのようになってしまいましたが、小春お嬢様は近いところを付きましたな。カルトまではいかず、宗教についての大枠を簡単に外観しておきます。
なーんだ、宗教だったか。
ところで、うちの宗教って何だ?
特に決まっているわけでは。一般的な日本人と同じかと。
お正月は神社に初詣に行って、お墓参りはお寺に行って、クリスマスにもお祝いしちゃうぜーみたいな一般的日本人ですか。まぁ八百万の神がいる国ですし、何でも丸っと受け入れちゃうんでしょうね。
うちの1階の床の間に神棚があったな。私は触ったことないが、アレは誰がどうしてるんだ?
元旦には旦那様が毎年お札をお取りかえになっております。時折り私が掃除もしておりますぞ。
うちの神棚のお札はいつもアナハチだよ。うちの家がある一帯の氏神様だし、東京で商売している家はアナハチが多いってお父さんが言ってた。
初詣はいつもお姉と玄七郎の3人だったが、オヤジは一人で行ってお札を買っていたのだな。あの大混雑のなかをよくやるものだ。
お父さんは毎年3時過ぎに起きて一人で行くらしいよ。一番空いてるタイミングなんだって。だから並ばずお札を買えて、4時には戻ってきて、また寝るみたい。
なるほど、3時に起こされていたら堪らない。尤も、元旦朝の大混雑に並ぶのとどちらがいいのか、微妙なところではあるが。
本当に日本人って不思議ですよね、宗教観があるんだかないんだか。
世界中の社会科学者が集まった国際プロジェクトにおいては、日本人の63%は無宗教として扱われているようです。全世界的には、無宗教者は15.6%と少数派なので、日本は突出して無宗教の割合が高い地域とされているようですな。
じゃあ私たち4人は無宗教として扱われてるんでしょうね。日本人って信心深い人も多いような気がしますが、不思議な話です。
世界的には、31.1%がキリスト教を信仰しており、そしてイスラム教、ヒンズー教、仏教と続きまして、この4大宗教だけで4分の3を占めるとされています。
どうでもいい数字だな。他人が何を信仰していようが構わないし、無宗教であろうが何であろうが好きにすればいい。
そう思うのは日本人独特であって、歴史的にみれば宗教の違いで人間は殺戮し合ってきたからね。何でもアリな日本人はグローバルスタンダードから最も外れている民族だと思う。それが良いとか悪いって話じゃないけれど。
いちおう宗教の定義を確認しておきましょうか。小春お嬢様、宗教とは何なのかわかりますか?
そう言われるとわからないなぁ……。何かを信じる気持ち……信仰心なのかな?
宗教の定義としましては、『証明できない秩序を根拠として、人々の目標や状況を普遍的に説明しようとする信念の体系』でございます。
証明できないんだ!
それが宗教でございます。だからこそ言ったもの勝ちのような側面はありますし、声の大きいほうが強く、戦争で屈服させて改宗させることも可能となります。また逆に、いかに科学的に証明されている事実を示そうとも、たとえ拷問されようとも、絶対にその信念を曲げないということも起こりえるわけです。
どの辺が成功哲学の親戚なんだ? 信者を獲得していくところか?
証明できない信念という部分でしょうか。尤も成功哲学のほうは、体系などという代物ではございませんが。
何も証明できないからこそ十人十色の主張で宗派内の争いはありますけれども、主要な伝統宗教はひとまず体系化されていますね。信念を同じくする人たちが集って、教団と呼ばれる共同体を形成してますし。片や成功哲学は体系などというものではなく、青年の熱い想いといった感じでしょうか。
成功哲学における信念は、資本主義社会のなかで人々を競争に駆り立てる原動力として有用です。チャレンジを促し、困難に自ら飛び込ませる信念とも言えましょう。一方で宗教における信念は、試練から生まれる緊張を緩和し、苦境にある人々に希望をもたらす可能性があるとされます。つまり苦境から自らを解放して、安らぎを得ようとする信念と言えますな。
こんがらかるなぁ、もう少し整理させて……成功哲学は積極果敢に社会に打って出る信念で、宗教は自分の心のなかに癒しを求める信念……でいいのかな?
そういう解釈でよろしいかと。そして帝王学と、これらの信念はまったく無関係でございますので、皆さまがたが何を信奉しようとも一切構いません。帝王学は信念ではないということを、改めて明確に意識しておいてほしいのです。帝王学に学徒はいますが、信者などいないのです。
帝王学に忠実になる必要はないってことか?
そう受け止めて頂いても構わないでしょう。我々帝王学の学徒は、現実が変われば、即座にその現実に合わせて姿を変化させていきます。帝王学をありがたい教えなどと思わず、単に、今の現実を確認する作業だと受け止めるのが適切かと考えます。他人から与えられる信念など、とんでもない。こだわりから解放されて頂きたく思います。
ふと気づいたが、宗教の開祖としての方面から、世界征服を成し遂げることもできるのではないか? 4大宗教で人類の4分の3を占めているという話でなないか。ならば私が世界宗教を創始すればいいのだ。
世界人類の全員を小雪教徒にしちゃえば、それは間違いなく世界征服だと思う。
そうだ、そうなのだ、すべてを私の宗教色に染め上げてしまえばいいのだ。万一抵抗する者がいれば、武力を以て支配すればいい。そして人類史上初の信者率100%とすればいいだけの話だ。
タチの悪い独裁国家の選挙結果みたいだね。
宗教方面から攻めるとすれば……いや待て……凄まじいほどの名案が浮かんだぞ……いっそ私はアイドルデビューでもしたほうがいいのかもしれん。芸能界なぞ端から興味はなかったが、いずれ開祖になる布石として……これが天命というものか!
ある意味、信者獲得には一番早そうかもね。信者の質はずいぶん違いそうだけど。
小雪ならすぐデビューできそう! アイドルでギターまで出来るなんて滅多にいないと思う!
だがデビューはお姉も一緒だ。
なっ、なんでそうなるのー!? それは絶対に嫌……!
フフフ……クククククク……姉妹アイドルとして売り出せば……おまけにお姉は桜丈ホールディングス社長にして一流イラストレーターにして超可愛いというトンデモ性能多数搭載……さすがの私でもお姉にだけは及ばぬところ……つまり、お姉を前面に立てるだけで華麗なる完全勝利……ハリウッド進出どころか、もはや地球のアイドルとしていきなり狂信者10億人……この手があったのだ。来た、見た、勝った……!
陰謀の最中に残念なお知らせではございますが、小春お嬢様が芸能界に進むことは絶対厳禁とさせて頂きます。ましてアイドルなど、取り返しがつかないほど下劣極まる大衆世界にどっぷり塗れてしまいます。そもそも帝王学は、大衆と完全に一線を画す立場に身を置くことが大切でございますから、大衆世界における知名度向上は害のほうが大きいでございましょう。ただし、小雪お嬢様なら大成できる方面だと思いますので、お一人でご自由に。
な、ん、だと……? 私のエレガントな陰謀が玄七郎ごときのためにまたもや……おのれ……敵は本能寺にあり……。
小雪ちゃんならアイドル&お笑い芸人で、プラスして音楽活動もできるオールラウンダーで一世を風靡しそうだよね。おまけに中学生にしては博識で、コメンテーターとしてもぶっ飛んでるからタレントとしてすっごく重宝されるんじゃないかなー。
お笑い芸人は余計だ。ふんっ、だが私が本気を出せば、お笑いでもついトップに立ってしまうであろう。もちろんギタリストとしてもつい一流になってしまうし、中学生にしてあらゆるニュース番組でコメンテーターとしてつい活躍してしまう。何の努力もしていないのに、つい仕方がないのだ。それが私という存在なのだから。
小雪には私なんか足手纏いだよ! 小雪が一人でやるつもりなら全力で応援するよ!
だが最終秘密決戦兵器となるはずの肝心のお姉は、デビューするつもりがないのだろう? 唯一の問題は、世界を征服できるか否かにある。お姉が経営者としての方面から世界征服に向かうのであれば、私もやはり経営者として陰謀を巡らせるのが正解に近い。そして私が地球の闇社会に君臨し、お姉の世界支配を支え切ってみせるとしよう。
いつも思うけど、その自信はどこから湧いて来るんだろうね〜。感心しちゃうよ。
先ほど小雪お嬢様が開祖という方向性を検討しましたように、帝王学的見地から言えば、たしかに宗教家という道がございます。上手くハマれば、並の経営者を遥かに凌駕する可能性を秘めておりますぞ。実際のところ近年150年以内に立ち上げられた宗教団体の多くは、伝統宗教を都合よく利用する傍らでビジネス的色彩が強く、教祖だけが富を得る構造が確立されております。
教義の中身自体はそもそも帝王学においては議論の対象ですらなく、とりあえず目の前に落ちてるものは利用しとけってことなんですかねー? 要はBS構造を整えられさえすればいいのであって、起業だろうが創始だろうが好きに振る舞え、と。
創始はいささかテクニカルですが、選択肢から除外する必要はないでしょう。もちろん自分が開祖ではなく、既存の中規模宗教に入り込み、代替わりの際に教祖の席を奪うという方法も考えられます。
そっか、宗教法人だと教祖になれば団体を支配できますね。その点は株式会社とだいぶ違います。
はい、株式会社においては、株式の所有比率が極めて重大なので、大企業で社長になったからといって、実体的には単なるサラリーマンと変わらない方は山といます。ですから株式会社においては、創業者かどうかはかなり重要なポイントになります。ただし宗教であれば、株式比率のようなものはないので、創始者が別の人物だろうとも、ひとたび教祖になって責任役員を親族で固めてしまえば丸ごと団体を乗っ取ってしまうようなもの。
でも、教祖って何となく嫌なイメージあるなー。社長って名乗るのは普通だけど、教祖って名乗るのはなんだか恥ずかしいのは私だけだったりする? これって偏見なのかなー?
会社と違ってお布施とかで暮らすわけだから生産性がないし、信念っていう訳のわからないものが活動の軸になるわけで、怪しさが付きまとうのは仕方ないね。その辺の教祖を尊敬したり、友達になりたいって気持ちにはならないと思うし。
私は構わないぞ、教祖でも。色々アレだが、怪しさ爆裂だからこそ一周回ってオシャレ感さえ漂うな。ただし、身だしなみを気遣っている教祖に限る。
怪しさがあるのはやむを得ないことですが、BS脳視点で見れば、宗教法人は節税の箱としての役割がかなり大きいです。
宗教を広めようと思ってなくても……もっと言えば宗教に全然興味なくても、宗教法人を持っておけば税金面で有利?
宗教法人に対する優遇は明らかに不自然かつ不公正極まる酷いものなのですが、政治家と宗教家の結託の歴史は長く深いため制度は変わらないでしょうし、だからこそ、その歪さを活用しない手はありません。ただし色が濃すぎるので、取り扱いは隠れたところで慎重に。
ここだけの話……桜丈ホールディングスも裏で宗教法人を持ってたりします?
当然、そんなことはあり得ません。旦那様も私も、宗教法人に近寄ろうと思ったことさえないです。まともな企業人であれば、そういうものです。ただし帝王学的見地から見れば、BS構築にとって有利な側面が確かにあるので、いちおう確認しておくべき事柄でございました。
ちょっと安心しましたよ、宗教法人と関わってなくて。まぁ節税スキームなら、タックスヘイブンを利用したり、航空機やタンカーのリースバックを利用したりと、色んな怪しい手法がありますからね。宗教法人も、そのなかの一つとして覚えとけーってことですか。
自分たちが利用する意志が毛頭なくても、熾烈な争いを繰り広げるライバル企業がそうしたスキームを利用していたりすることは普通にありますし、その分だけ遅れを取ることになるので、競争戦略を練る上では押さえておかなくてはならないでしょうな。
想像もしたことなかったなぁ宗教の開祖なんて。でも事業と違って信念さえあればいいんだから、意外と誰でもチャレンジできそうで夢があるね!
成功哲学と宗教教祖とアイドルデビュー……世界征服の礎となるアイデアを一挙に3つもゲットしてしまった私がすごい……。これ以上知ってしまったら、人生があまりにイージーモード……。私が世界征服する日が近すぎて困る……。
成功哲学から宗教まで、本日は少々脇道に逸れた話でしたが、手短に確認しておくべき事柄でもありました。まだしばらく世界の外観を眺めていく作業が続きますが、BS脳の本格訓練に入る前に、あと少しお付き合いください。それでは今日の講義について――。
――待って玄七郎。講義が終わったあとに少し話させてって言ったこと、まだ時間もらってないよ。
そうでしたな。それではお話をどうぞ。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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