第11章(2)

文字数 5,562文字

それでは広告的手法の続きと参りましょう。本日でこの分野は終わらせてしまいたいですが……お三方とも作業着での出席とは珍しいですな。
さっきまで箪笥町のお客さんのところで仕事してたんだ。ハウスクリーニング事業が思ってたよりも順調でね、私たちの仕事に皆んな喜んでくれて、近所の人たちを紹介してくれるようにもなったんだよ。
フフフ、口コミで経営が成り立ちそうな私たちがすごい。どの客も私たちの仕事ぶりには驚愕しているぞ。掃除界最強の剣豪将軍とは私のことだ。
だから作業着のままなのですな。一向に構いませんし、むしろ立派な心がけと言えましょう。
千景先生は、桜丈ホールディングスの社員さんとすれ違ったときびっくりされてたよね!
あはは、そりゃびっくりするよね。でも本当は私なんかじゃなくて、小春ちゃんのほうにびっくりするべきだと思うよー。
どうして?
だって自社の社長だよ? 皆んな気づかなかったみたいだけど。
そっか、皆んな私のことあんまり意識しないしね。千景先生は家庭教師やってくれてたから特別か〜。
いちおう桜丈ホールディングスの各部署には、代表取締役の交代は通知しております。とはいえ皆さま特に意識されていないかと。財務部などは旦那様と週一回オンラインミーティングしているようですし、波風が立つような状況ではございません。
オヤジは財務部とは最小限のコンタクトは取っているのだな。
本当に最小限ですがな。今はなるべく会社のことを頭から切り離したいようでございます。それでは講義と参りましょう。本日もお嬢様たちから地球連合の泣き言を聞かねばなりませんからな。
(7)恐怖感・罪悪感で説得
広告的手法は言われてみれば当たり前のことばかりで構成されているのはすでに皆さまもご理解されていると思います。だからこそ普段は無意識で影響を強く受けてしまうのですが……こちらの恐怖感・罪悪感で説得する手法については、今まで以上に簡単な内容でございます。
たぶん文字通りって感じなんでしょうね?
恐怖感や罪悪感など当たり前すぎる。
ではどんな具体例がありますか、小雪お嬢様?
昨晩はAIの最新事情についてYoutubeで調べ物をしていたのだが、そのなかに信じられないバカバカしい広告が流れていた。ある男が登場して、女子から口が臭いと言われて激しくショックを受けていた口臭剤の広告だった。いつものように私は一問一答アプリを立ち上げて意識を切り替えていたはずなのに、男性のあまりの驚きように思わず画面を見やってしまい、3秒間を損した気分になったぞ。これなど、男性の恐怖感を煽る典型的な手法であろう?
恐怖感に関する、見事な具体例でございます。では小春お嬢様はいかがですかな?
募金活動をしている同い年くらいの人を見ると、目の前を素通りできない感じがするよね。私、あんまりお財布にお金を持っていないんだけど、この前募金活動の女の子から声を掛けられて、50円募金しちゃったよ。募金すること自体は別に嫌とかじゃないんだけど、これって罪悪感じゃないかな?
まさに罪悪感の具体例でございます。それに関連する話としては、並外れた額の募金を集めるある少女の例が参考になります。その少女は、他の募金活動に取り組む人々より常時10倍以上の額を集めることができるのです。その方法を問われた少女はこう答えました、『相手の目をじっと見て、罪悪感を感じさせる』のだと。
確かに小さな女の子からそんな風にされたら、普通は心が逃げられないかもね。
では水無月様いかがでしょうか。両お嬢様が身近な具体例でしたので、政治的なケースでお願いしたいのですが。
それ一杯ありますよ。一番シンプルに強烈なのは『我々は滅亡の危機に瀕している!』という恐怖を煽る演説に続いて、『だから戦争しようぜ!』ってコンボじゃないですかね。
仰る通りでございますな。驚くべき単純さなのですが、大衆相手だとこれが非常に強力に作用します。
比較的近年ですごく有名な実例だと、2003年の第二次イラク戦争のとき、アメリカが『イラクが核兵器を開発している揺るぎない証拠を掴んだ!』とか言って激しく非難を重ね、世界中の人々の恐怖感を煽った挙句、イラクに攻め込んで政権を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまいました。だけど戦争後に、あらゆる国際機関がイラクの核兵器開発の証拠を必死で探して戦争を正当化しようとしましたが、ただの一つもそんなものは存在しなかったんですよね。結局アメリカは謝罪もせず、マスメディアもこのことには触れずにスルーして、メチャメチャにされたイラク市民たちは塗炭の苦しみを味わいました。まぁアメリカ支配層の世論形成力がどんなに恐ろしいかを語るつもりではないんですが、これなど恐怖感で扇動するのがいかに有効かわかりますね。
最低最悪だなアメリカという国は。いくらなんでも千景は誇張しすぎているのではないか?
国際政治に関心ある人なら誰もが知ってる、ありのままの話だよー。あと別に私は反米主義者じゃないからね。そもそも全体的なアメリカ市民の良し悪しとかじゃなくて、アメリカ支配階級の方針の問題だから。
実に信じられないことですが、恐怖感や罪悪感で煽ることは非常に有用な広告的手法です。こうして聞けば、絶対に騙されるはずがないと思うはずでしょう。しかし人々は容易にこれに脅されてしまい、無意識下ではかなり強い影響を受けてしまうのです。
こんな単純な手法でも、人間はどうしてしっかり影響を受けちゃうんだろう?
恐怖感・罪悪感での説得を突然意図して仕掛けられた場合に、大前提としてこのような手法があることを明確に意識できていない限り、多くの人々は『提示された恐怖感・罪悪感はどの程度まで正しいものなのか』と冷静に考えることはしないものです。もしかすると1割か2割くらいは、提示された恐怖感・罪悪感は適正なのかもしれません。しかし一般に大衆というものはゼロか百かでしか物事を判断できる知能がないので、その適正値を測ることまでしないのでしょう。
玄さんは提示された恐怖感・罪悪感にも1、2割くらいは正しい部分があると仰いましたが、さっきのイラク・アメリカの場合には、アメリカの正当性なんて完全にゼロですからね。恐ろしいことに山ほどありますよ、アメリカのそんな事例って。私はホント日米同盟は大事だと思ってる保守的なタイプですが、隠しようもない事実ですから。もちろんロシアも中国もヤバいこと一杯ありますけど、アメリカ支配層のやることは毎回毎回とんでもなくスケールがドでかい上にえげつない! そりゃもうあまりに怖すぎて、アメリカに逆らおうなんて考えないほうがいいと恥も外聞もなく思っちゃいますね。外務省には切実に入りたくないっす。
そうしたケースは民衆の側に、何の情報も存在しないということがありましょう。情報をコントロールできる側からすれば、ほとんど恐怖感・罪悪感で煽ったもの勝ちになります。

(7)恐怖感・罪悪感で説得

言葉「我が国は滅亡の危機に瀕している!」  → 本音「戦争しようぜ!」

正義ってどこにあるんだろう……。
そんな風に考えること自体が間違った姿勢です。アメリカ、ロシア、中国、その他の国々を非難するようなことはなるべくお避け頂きたく。水無月様も非難したわけではなく、単なる事実を述べただけのようです。国際社会における次の仕掛け、次の陰謀を見分けようとする必要もございません。
私も悪虐非道として名を馳せている漢ではあるが……玄七郎の冷たいスタンスのほうが遥かに恐ろしいものだな。
冷たいですと? 逆でございます、お嬢様がたには熱き魂――目指すところがあるはずです。世間のエンタメ、雑事に構うほどに、貴重な時間が溶けていくばかりでございます。そして何の影響力もないのに負け犬の遠吠えを百万回繰り返しても無意味というもの。正義が欲しいなら、デモなどではなく力技を以て、ご自身の手で実現させるべきなのです。
まさにアメリカ支配層が力技でそれをやってのけていて、それが正義ということでもあるわけですよね。だから正義っていうのは実現可能なんでしょう、正義の形は人の数ほどありますが。
……自分自身の手で……そしてそれは実現可能……祈っているだけじゃダメ、誰かが変えてくれるのを待っているだけじゃなくて、実力を付けなくちゃダメなんだよね。
帝王学の学徒としては、周囲の情報には一切影響を受けず、自分のなかにある正義のみに忠実であってください。では、とっとと次に入りましょう。
(8)カードスタッキング
カードスタッキング……想像つきますかな、小春お嬢様?
知らなーい。想像もつかないな。
では小雪お嬢様?
カードをスタックする、つまりカードの山のことだな。さすが私。
手法を聞いているのですが……小雪お嬢様に構っているのはいつものごとく時間の無駄なようです。水無月様?
トランプで言うイカサマの意味ですよね。だからたぶん広告的手法で言うなら……広告主や扇動者にとって都合の良いところは強調し、不都合なことは隠蔽するような内容じゃないでしょうか?
どうやらこのお三方のなかで、頭のほうが少しはマシだと言えるのは水無月様だけでございますな。両お嬢様は病院に行くべきレベルかと。
頭の回転の悪さって病院で治るのかな……。
最初はコテンパンにやられていた千景のはずなのに、最近は一番評価されていないか?
どう聞いても評価はされてないと思うけど……マシだって言われてるだけで……。まぁでも、元からしっかり基盤があった小春ちゃんや小雪ちゃんと比べれば、軟弱だった私が一番成長してるんだと思うよ。
商品広告の大半には、このカードスタッキングの手法がどこかしらに隠されています。これも具体例から見ていきましょうか、小春お嬢様?
商品宣伝のイカサマかぁ。そういえばレッテル貼りの具体例として『砂糖不使用』っていうのを挙げたよね。これなんかレッテルの話だけじゃなく、カードスタッキングにも当てはまるんじゃないかな。実際には人工甘味料たっぷりだったり、その分だけ他の悪いものが成分に入っているわけで、いつも何だかなぁとは思うんだよ。
イカサマに関する正しい事例でございます。砂糖不使用の表現自体は間違いではないのですが、一方で大きな隠蔽も行われていることがわかるでしょう。では小雪お嬢様?
最近買ってみた化粧水で『保湿力10倍』とかいうシールが貼られているものがあった。使ってみたら別に変わった感じはしなかったし、何が10倍なのか調べてみたら、そのメーカーの一番安い商品と比べて10倍だったというオチだ。元々10倍に期待していたわけではないが、これなどイカサマではないか?
一種のイカサマであることは確かです。
ただ、そんなことをを挙げていたら、ほとんどすべての商品に何らかのカードスタッキングが使われていると見ることもできませんか。
そうですな、我々も事業家として、自社のサービスや商品を宣伝する際には、どうしてもこのカードスタッキングの手法をどこかに採り入れることになるでしょう。これは別に企業側に悪意があるというわけではなく、広告宣伝するためのスペースは常に限られていますから、その予算の範囲内で効果的なPRをするために、良い部分だけを強調しなくてはならないという事情によるものです。
だったら企業を責めるわけにもいかないし、仕方ないよね。私たちはカードスタッキングの手法があると確認しておきさえすればいいのかな?
あくまで今のお話は商品宣伝に関するものです。一方で私たちは、悪意に満ちたカードスタッキングというのも日常的に目にしています。特に、マスメディアにとっては欠かすことのできない手法がこのカードスタッキングです。たとえばこの図をご覧くださいますか。
以上は普通のグラフに過ぎませんが……ここで第2位、27%を占めるオレンジ色のB社を強調したニュースにしたい場合には……グラフを次のようにして用います。
なんだこの3Dの傾きは。いくら何でもこれはワザとやっているとしか思えんぞ。なぜかB社の面積ばかりが増えているように見える。
当然、意図した仕掛けでございます。意図しなければ、このようなやり口はあり得ません。ただしこれは特別なケースではなく、マスメディアが何らかのグラフやデータを提示してきた場合は、ほぼほぼ何らかのカードスタッキングが混入してあると見るべきです。
企業もそうだけど、メディアも同じということなんだね。
ただ、マスメディアは情報を届けるのが仕事だし、その情報は正確性があるという共通認識があるなかで行われていることだから、酷い操作だとは思う。とはいえ帝王学的には、別にこんなことを責めなくてもよろしいって話になるんですかね?
水無月様は帝王学をよくご理解されてきたようですな。我々としては、日常的にこうしたカードスタッキングが行われているということを芯から理解できてさえいればよく、我々さえ影響を受けなければいいのであって、誰が何をしようが知ったことではないというスタンスでよろしいかと。

(8)カードスタッキング

広告主にとって都合の良いことは強調し、不都合なことは隠蔽する情報操作。要はイカサマ。

つくづく思うけど、帝王学って善悪に関知する学問じゃないんだね。
何度も申しますが、帝王学を学ぶことは現実を確認する作業に過ぎません。そして正義を掲げる学問でもございませんし、かといって悪事を推奨するものでもありません。我々は神ではなく、どこかの誰かの善悪を上から目線で処断してみせるような偉い人間でもございません。社会のありようを素直に受け止め、物事には謙虚であって欲しいものです。
謙虚さのカケラもないアマちゃんの未熟者が何かほざいているようだ。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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