第11章(5)

文字数 5,528文字

 それから千景を中心に、マンガ画像のAI翻訳事業について説明していった。小春が以前マンガ投稿をしていた経験を元に、この事業に可能性を感じていることを3人は代わる代わる訴えた。
――なるほど、マンガ画像内の文字を、AIが認識するのは実はかなり難しいのだと。
そういうことなんです。桜丈ホールディングスで私が関連していた技術や事業を上手く組み替えていくと、比較的精度の高いリアルタイムAI翻訳のほうはアテがつきそうなんですよね。そして懸案となる文字の見分けについては……当初は人海戦術を採り入れて、人間がタッチペンとかを使って文字の箇所をマークしていく方式で乗り切ろうかと思うんですよ。
AIについて私は門外漢ですが……その話だけ聞くと、肝心の箇所でAIが使われていないのでは?
まさにご指摘通りなんですけどねー。そこは技術開発で乗り越えていくわけですが、その完了を待ってたらいつまで経っても事業なんて始められないじゃないですか。ですから、今は無理やりにでも事業のベースを作っちゃうことを優先して、肝心の裏側を実は人間がやっちゃおうということなんですよね。
千景先生とも色々話し合ったんだけど、もし人間が翻訳するとしたらすごく人手と時間がかかると思うのね。だけど文字の箇所をタッチペンで指定するのなら最小限の人手で済むし、時間もかからない。ならば手間暇が膨大に必要な翻訳だけ既存のAIに任せて、簡単にやれる箇所は人間が処理しちゃおうってこと。
少なくとも最初のうちは、文字の位置を指定していく作業は私たち3人で手分けしてやればいい。時間が足りなくなればバイトを雇っていくことになろう。
理屈はわかったのですが……翻訳は既存AI、そして肝心の部分は人力……果たして、それはAI事業なのですか?
これは人類の未来を創造する先端のAI事業だ。不正はなかった、いいな?
不正はない……なるほど、委細承知しました。不正はなかった。間違いなくエポックメイキングなAI事業でございましょう。
フフフ、創設間もない地球連合が、世界ぜんぶを相手どって、物凄く盛り上がっている最先端AIビジネスに乗り出すというのだから私がすごい。あまりに壮大で武者震いせざるを得ないほどだぞ。
仕掛けはわかったのですが、事業開始のメドはついていると?
メドもなにも、現実的な技術部分は全部ありものを使うので、すぐ始めようと思えば可能なんですよね。ただ、翻訳技術を持っている会社との契約交渉とか、タッチペンで場所を指定する技術を契約したり、全体を統合する業務システムとかの開発には、どうしたって少々のお金が必要なんですよ。
その業務システムとやらは、千景が作れるのではないか? ハウスクリーニング事業のウェブサイトや相談窓口は千景が作ったではないか。
いやいやいや、そんなちょっとしたウェブページと、このマンガ翻訳システムの開発じゃ、到底同じ次元で語れないくらい段違いの経験が必要になるから。犬小屋を建てるのと、コンクリートのビルを建てるくらいの違いがあるよ。私一人でやると見よう見まねでとんでもない時間がかかるし、何とか完成したとしても不具合多発で使い物にならないシステムが出来上がると思う。ここは素直に、熟練した開発会社に投げたほうが結果として安く収まるでしょうね。
開発会社のアテは付いてるの?
そこは桜丈ホールディングス、実績十分な開発会社くらい傘下に持ってるよ。
サイバーゼック株式会社ですな。傘下といっても、近々IPOを予定しているようで、桜丈ホールディングスの出資比率は40%程度にまで下がっていると聞き及んでおります。尤も、サイバーゼックがIPOすれば時価総額700〜800億円程度はつくと言われているので、桜丈ホールディングスは300億円近い上場益を得られると想定されていますな。
300億円の利益とか本当は物凄いのかもしれないが、桜丈ホールディングスの借金総額から見れば、ほとんどどうでもいい感じなのは不思議なものだ。
なら、システム開発は、そのサイバーゼック株式会社に発注すればいいんだね?
ちょっと違う。私の部署でサイバーゼックを管轄しているから、実は私は知ってるんだ。サイバーゼックはコンサル部隊が中心で、実際の開発はほとんどが下請けに丸投げしてるのね。そんなこと、中の人じゃないと誰も知らない。それからコンサル部隊といえば聴こえはいいけど営業部隊とも言うね。私たちに正直コンサルはいらないし、実際の開発企業に直接発注すれば……たぶん正規にサイバーゼックに頼むより7割引くらいで開発できると思うよ。
サイバーゼックを抜かすだけで、そんなに安くなるの!?
ゼクスト建物管理が私たちの間に入って5割抜いていたのと似たような話なのだろうな。ただ、サイバーゼックの抜き方は半端ないようだ。
誤解しないでね、傘下の関連会社を悪く言うつもりはないから。実際のところサイバーゼックの評判は上々だし、365日休まずかなり安定したシステム運営をしてくれるってことで知られてるよ。それにコンサル部隊だって必要とされる案件は沢山あるし、サイバーゼックが悪いわけじゃない。システム会社だったら、間でコンサルをやったうえで7割抜くのは、まぁ良心的とも言えるほうかな。9割抜く大手だって普通にある業界だからね。
恐ろしい業界もあったものだな。清掃業界がまともに見えてくるから不思議だ。
フツーフツー、システム業界っていうのはそういうもの。実際に開発しているのは、だいたい下請けなんだよ。この辺は建設業界の下請け構造とほぼほぼ一緒かなぁ。
千景先生は下請け会社を知っていて、直接システム開発を発注するのかな?
そうそう、直接下請けに発注しちゃうよ。サイバーゼックの仕事をメインにやってる下請けさんは15社くらいあって、そのうち主力の7、8社にはサイバーゼックが出資してたかなぁ。もちろん一番腕の良いところに発注する予定。まったく無名の会社になると思うけど、そういう職人的なところのほうが安心できるんだよ。
でも何をどう発注すればいいか、私には検討つかないんだけど……。こんな私みたいな人たちのために、サイバーゼックのコンサル部隊っているのかな?
大丈夫、別に自慢とかじゃ全然ないけど、サイバーゼックのコンサルより、私のほうがもっと良い仕事ができると思うよ! 実際の開発スキルで言えば、彼らコンサル部隊より私のほうがマシなはずだしね。何をどうすればいいかくらいわかってる。
……私もシステム開発とやらの勉強はできるだろうか? い、いや本当は私なら、ちょっと見れば勉強せずとも開発作業などつい出来るようになると思うが、念のため……。
小雪ちゃん興味あるんだ! 私でよければ、プログラムの取っ掛かりは教えてあげるよ。
よし、私はAI技術者としても、ついピカイチになってしまうに違いない。おそらく3ヶ月後には人類の知能など遥かに超えるAIを私がつい創造してしまっているはずだ。
そこで問題は、発注費用なんですよね。何をどうすればいいかは分かってる……でも肝心のカネがない。
なるほど、また金の無心でございますかな?
うーん、もう玄さんに無心できるなんて楽観は持っちゃいないんですけど……手詰まりなんですよねー。
カネ、カネ、カネ……どこまで行ってもカネの話に尽きてしまうな。
どのくらいの開発費がかかるんだろう?
5、6人の熟練したエンジニアを投入すれば1、2ヶ月でやれるだろうし……それでもサイバーゼックに発注すれば8000万円、下請けにしっかり開発要件を伝えた上で直接開発を投げれば1500万円って感じかなぁ。
1500万円……。でも弁天町物件で400万円も金融機関から借りることができたんだし、新しく銀行借入1500万円は全然届かない目標じゃないような……。
まさかシステム開発費を得るために銀行借入ですと? 不動産を担保に入れるという話ならまだしも、システムなど担保に取りようがないですし、私が金融機関の担当者なら検討の土俵に乗せようとするはずがありません。
そ、そうなの……? じゃあどうすればいいんだろう、玄七郎?
私に聞かれましても。
1500万円を貸してくれ、頼む!
お断りします。そもそも、まだ発注費用が1500万円と決まったわけではないのでは? それにITシステムでしたら継続した保守費用など先々まで見込む必要があろうかと。
くっ、くうう……わかっていた、わかっていたのだが……逡巡もせず断固拒否には腹が立つ……。
確かに発注費用が確定した状況じゃないし、まだ具体的なアクションができる段階ではないんでしょうね。ただ、銀行借入が難しい状況ならいっそ、ベンチャーキャピタルや個人投資家から出資を受けるとかどうでしょうか?
まるでオススメできませんな。株主を抱えるほど、経営にとって足枷が増えるだけでございます。その株主が相応の売上を運んできてくれるというのならば話は別ですが、ベンチャーキャピタルや個人投資家など口先ばかりで売上に貢献してくれることはございませんぞ。
『財閥』の講義を思い出すなぁ……。株主の影響が小さいことがキーポイントだったという内容だったし……。
ですが私は別に地球連合がどうなろうが知ったことではないという観点に立てば……別にどこぞの誰かから出資を受けてメチャクチャになろうがどうでもいいと言うことができるでしょう。私としては小春お嬢様が帝王学をしっかり自分のものとすることが唯一無二の目標であり、それが叶いますれば小春お嬢様は自然に偉業を打ち立てるに違いないのです。
そりゃ私だって他の株主を好き好んで入れたいわけじゃないですけど、仕方ないんじゃないですか? それにAI事業でしたら投資家から資金を集めやすい分野ですし。
今の話に出てきたベンチャーキャピタルって、そもそも何なのかな? 個人投資家のほうはわかるけど……。
簡単に言えば、投資家の企業バージョンだね。個人じゃなくて、組織立って投資する事業会社のことで、ベンチャー企業とかに出資してくるんだよね。
投資する事業会社……それって桜丈ホールディングスもそうじゃないかなぁ? 桜丈ホールディングスはベンチャーキャピタルなの?
あー、そう見えるか。確かに一見かなり似てる風だけど、実は全然違う感じだねー。
桜丈ホールディングスは、これぞと思う企業に出資となれば、基本的には50%以上の資本を取って子会社化します。買収とも言います。そして、お互いにシナジーがある事業を行ったり、互いに発注し合ったりして相互に事業を支えます。一方でベンチャーキャピタルや個人投資家というものは、経営責任を取るような集団ではなく、まして売上を持ってくるわけでもなく、あくまでも株主として経営側に口を出し、目指すところはIPOでございます。投資した会社がIPOすれば、出資金が時には何倍、何十倍になって跳ね返ってくることを目標にしています。
IPOとは株式公開のことだな? 株式会社の本でチェックしたぞ。大企業の多くは株式公開して広く資本を集めているが、桜丈ホールディングスは未公開企業らしいな。
IPOを目指すことを前提にした出資を受けるのは、かなり良し悪しありますね。IPOって広く株式を公開しちゃいますから、会社を売り渡すのと似たような部分がありますし。
私は悪い側面のほうが強いと考えております。事業に自信があるなら他人に出資してもらう選択など合理的にありえない。財閥の講義の際、出資の封鎖性――一族以外からの出資を受け付けないことで独立性を維持したことが、財閥の隆盛を支えたことも思い出して頂きたいところ。……ただし事業速度を優先するため出資を受け入れざるを得ないこともあるのでしょうし、金がないというのは辛いものです。
玄七郎が貸そうとしないのが悪いのだろう! 私たちがこんなに困り抜いているというのに、玄七郎は手を差し伸べようとはしないのか!?
お断りしま………………いや……なるほどそうか、もしかすると考えようによっては、ベンチャーキャピタルから出資を受けるのは良い側面も期待できるやもしれません……。
どういうこと? あんまり良くないようなことを言っといて、でも出資を受けたほうがいいってこと?
帝王学においては、どこかの時点で『資本政策』について触れなければいけません。株式会社の運営において、株主というものがどういう役回りとなるのか。そしてオーナーが100%所有する会社と、それ以外の会社では考え方がまるで異なること。他人の出資を受けた場合における出資比率などなど、押さえておくべきことが多いです。ただしそれを私が机上で教えただけでは、数字遊びのように聴こえかねず、なかなか身に染みた理解には繋がらない可能性があります。それゆえに、お嬢様たちが他人資本を受け入れ実地で悪戦苦闘するなかでの学びとなるのであれば、帝王学教育にとって大いに利するところとなるに違いありません。
玄さんは、あくまで学びのために、他人資本を受け入れてもいいんじゃないかって考えなんですか。アベコベに賛成って感じですかね。
いいでしょう、ベンチャーキャピタルや個人投資家など、他人資本を引っ張ることに関して、私は反対しない立場を採ることにいたします。どうぞご勝手に皆さまで七転八倒してみてくださいませ。
相変わらずこの自称執事は上から目線で生意気だぞ……。玄七郎が私たちに金を貸しさえすれば済む話だというのに……。
まぁいいよ、玄七郎がどんなスタンスでも。マンガAI翻訳事業を立ち上げるためにも資金が必要なのは事実だから、利用できるものは利用して、臨機応変に頑張っていこう。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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