第11章(4)

文字数 5,158文字

――ハウスクリーニングが存外に順調だと?
今日もこのあと夕方には、麹町のタワマンの案件が一つ入ってるんだよね。
麹町? しかしチラシを撒くのは牛込周辺に限定しているのではないですか?
請負ったお客さんからの紹介案件なんだ。私たちの仕事に感動してくれるお客さん多くて、別のお客さんを紹介してくれる人も結構いるの。
あと先日請負った個人宅の方は不動産賃貸業の会社を経営している社長さんで、都内に商業ビルを幾つか持っているそうなんです。その方は所有してるビル清掃を今後は発注してくれるっていうので、ゼリスト以外からもオフィス清掃が請負えるようになりそうですよ。
フフフ、私の掃除力がすごい。私が通ったあとはすべてがピカピカに輝くのだ。私はおそらく地球の掃除人のなかで最大最強のスキルを所持している。
本当にそうだよね。小雪には圧倒させられるよ。
小雪ちゃんを調子に乗らせたくないんだけど……半ばマジだからなぁ……。
…………。
どうした玄七郎、悔しいか? 私たちがこれほど上手くいっているのが悔しいのか、ん?
どの辺が上手くいっているのでしょうな。下請けを脱却しつつあるのはわずかに褒めても構いませんが、自らの労働力をお金に変換する仕事から脱却できない限りは、手放しで賞賛するようなことはありえません。
いつもいつも実に無礼で小憎らしい小倅が……。私の秘めたる力、今に見ているがいいぞ……。
玄七郎は下請けっていうけど、ゼリストさんとも交渉してね、地球連合の請負価格を大幅に上げてもらったの。特別待遇してくれるって。交渉のときゼリストの担当さん泣きそうにして引き留めてきたし、下請けの私たちのほうがアベコベに立場は強くなってる気がするー。
ほう……大幅にとは、どのくらいの値上げを勝ちとったというのです?
今までの請負単価から60%も上げてくれるって!
60%……。よほどゼリストは発注先に困っているようです。
そうなんですよ。元々ゼリストからの請負価格は、相場の半分くらいだったと思うんです。でも60%上がるなら、相場の80%くらいで請負うってことになるんですよ。ゼリストは営業したり案件調整したりとそこそこ労力かけてるハズですから、うちに発注した案件ではほぼほぼ利益が残らない。
地球連合のハウスクリーニング請負は、相場から1割安いくらいの価格設定なのね。つまり相場の90%で請負っているってこと。でもゼリスト案件は相場の80%なら、もうほとんど変わらなくなってくる。
面倒な調整などはゼリストがやってくれると考えれば、もしかしたらハウスクリーニング請負よりメリット大きいかもしれないですよ。
人手不足にあえぐゼリストとしては、今は利益よりも、抱えきれない案件数をこなすほうを重視したということでしょうか。
こうなれば、損か得かだけで判断すると、次はハウスクリーニングを止めちゃってゼリスト一本に絞っても悪くないくらい。あっちこっちと忙しいね。……でも冷静に考えてみると、ゼリストと良い交渉ができたのもハウスクリーニング請負を思い切って始めたからだし、どちらかを予備として持って、しっかり競争させることが大事なんだと思ったよ。だから清掃業は、今まで通りの下請けと、独自のハウスクリーニングの、両方をバランスよく進めていこうって皆んなで話し合ったの。
この私の大戦略によって、地球の清掃業の歴史が変わるやもしれない。アメリカ支配層がどのような陰謀を以て私たちを清掃業界から追い落とそうと企んでも、私の正義パワーのほうが遥かに上なのだと証明してやる。
清掃業は程々の成果を収めていることは承知しました。あくまで程々の範囲内ですが。そして小春お嬢様たちが力を入れていた無人マッサージ事業のほうはどのような進展ですかな?
あー、そっちね……。恥ずかしいんだけど、あんなに頑張ってお店を買ったのに、成果は壊滅的なのかもしれない。来客数2名を達成しました、わー、パチパチ!
 小春は破れかぶれに、満面の笑みで手を叩いてみせた。少なくとも大失敗の真っ最中だと小春は思う。
通算来客数は2人なんですけど、おそらく同じ人っぽいので、来てくれた人は1名だと思います。マッサージチェア1回30分以内使用で500円という設定なので、売上1000円ですよ。
昨日までで3日間営業したのでしょうから、現状で売上1000円というのは、まぁ妥当ではないですか。管理費や光熱費など考えれば営業するほど損でしかございませんが……所詮そんなものでしょうとも。
ハウスクリーニングの反響は着実に重なっているから、チラシが撒かれていることは間違いないの。でも無人マッサージのほうにはお客さんがほとんど来てくれないよ。
 言いながら、小春は玄七郎にチラシを差し出した。

 受け取った玄七郎は、まじまじとチラシを見やりながら口にする。

……これを……お撒きになったのですか?
そうだよ。チラシのノウハウが書いてある色んなウェブサイトを参考にして頑張って作ったの。訴求力のあるキャッチコピーとか、チラシを手に取ったときの目線の動きとか、たくさん勉強して、一生懸命考えたんだ。
チラシの内容自体にはそれほど言及するようなことはないようです。しかし全体的にピンクで、小春お嬢様が描くキャラクターもおり、ある意味で言えば全体的にあまりにもハイレベルなデザイン……。デザインコンテストなら最優秀賞をもらってもおかしくなさそうな程の完璧な出来ですが……水無月様は何も意見なされなかったんですか?
いや……マッサージチェアを使いたくなるようなターゲットの人たち向けじゃないなと感じはしましたけど……このレベルの、超高水準なプロの仕事に、素人の私が文句を言うようなことは憚られます。そもそも私はチラシのノウハウなんて何も知りませんし。
それでも違和感は感じたはずですぞ。
ど、どんな違和感なのかな……?
マッサージチェアを使いたい人というのは、どんな人か想像ついてますか?
近所や地域の人たちだよ。
その程度のイメージしか持っていないのでしょうか? とんだド素人でございますな。
お姉がどれほどチラシデザインのために心血を注いだか玄七郎はわかっているのか!? 何度もやり直して形にしたのを私は知っている。これ以上お姉を責めるのは許し難い……。
別に許してもらう必要はございません。ターゲットを聞いただけでございます。百歩譲って、ハウスクリーニングのほうは主婦の方々がチラシを手にするとすれば、このような乙女チックな超高水準デザインは完全に外しているというわけでもないのでしょう。しかしマッサージチェアを使う方々が、このようなチラシで訴求されるとお思いですか? むしろ自分とは無関係のお店なのだとお感じになるのではないですか?
どちらかと言えば高齢者向けにすべきだったんでしょうか?
少なくとも、多くのお店では平日昼間は苦戦するのですから、その時間帯に集客を目指すなら、仕事を引退した年金暮らしの方々をターゲットにしなくてはなりません。土日祝日に若者に来てもらうことを目指す店ではないはずです。
高齢者の人たち向けのデザイン……。まったく未知の分野で……。
言い訳は結構。どうも小春お嬢様はイラストレーターとしての矜持が強いためか、デザイン大前提のところがありますな。高齢の方々がお相手でしたらデザインなど不要なのです。大きな文字主体で、あとは目立つように手書きのチェアの絵などを一つ描いておけば十分。カラーにする必要すらないかもしれません。
デザイン無し……む、むしろ難しい……。
それから、店内写真が掲載されていますが、まさかの2台設置のようです。どうしてこのようなことを?
そりゃ店内に2台入るし……。
稼げるだけ稼がなくてはならない。2台稼働を目指すのは当然だろう?
全員一致で2台に決めました。そうか、言われてみれば……。
恐るべきボンクラたちの大集団を前にし、私は今、度肝を抜いております。ベイグランディアホテルズなら、このような愚かな計画をした幹部は即刻退場を通告するに違いありません。繁華街のど真ん中で回転率を重視した経営をするならともかく、住宅街で客を詰め込もうとするのはナンセンス極まるというもの。お嬢様たちは、お客様のことをしっかり考え抜いていらっしゃいますか?
お客様の、ことを……。そういう風には考えていなかったかも……。
メチャクチャ安くてとんでもなく美味いなら満足だろう……というわけにはいかないのか?
同じ事業家の一人としてひたすら恥ずかしい。とうてい信じ難いノータリンどもがいたものでございます。『お客様は神様です』という日本のビジネス慣習を聞いたことがありますか? もちろん、お客様のなかには異常なモンスターのような方々や精神的問題を抱えた方も確実に混じっていますから、お客様イコール神様という意味合いではなく、『お客様を神様に見立てて雑念を振り払う心持ち』を表したものです。お嬢様がたは自分たちが一方的に努力することばかりに注力していますが、神仏に手を合わせるようにお客様と向き合っているという姿勢を忘れずにいて欲しいものでございますな。
清掃業でも、とにかく綺麗にしまくればお客は勝手に喜ぶと思っていたぞ。そして実際に絶賛してもらっていたはずだ……。
小雪お嬢様の掃除でお客様が喜んでくださったとすれば、それはおそらく小春お嬢様の人当たりの良さによる接客品質の高さによるものだったことが容易に想像されます。小雪お嬢様が直接お客様と対峙されることはございますか?
む、むう……ハウスクリーニングのときも、ゼリストの仕事のときも、ほぼほぼお姉がやり取りしている……。お姉が他の仕事に出ているときは千景に任せっきりだ……。私は仕事さえ完璧にこなせばいいのだと……。
小雪お嬢様は、個性的なラーメン屋の頑固オヤジでも目指しているのですか? 接客対応さえ間違いなければ、商品やサービスは100点である必要はなく、60点以上であれば十分なのです。
玄さんは、マッサージチェア設置は1台にしろというお考えですね?
接客品質を高める余地がごく限られたこのような無人店舗なら、そのくらいしか品質を高める手段がございませんな。その方1人の空間であることを意識させ、自分が利用している間は他の人が突然店に入ってこないという安心感を持ってもらうのは大きいです。儲けの効率を最大化しようとする下衆な考えは、お客様にはすぐ見破られてしまいますぞ。まずは1人のお客様と向き合うことから始めたほうがいいでしょう。
無人ビジネスにおいては、無理やりお客様を詰め込むんじゃなくて、マッサージチェアを1台だけにして少しでも居心地をよくし、接客品質を上げろということですか……。
少なくとも1台だけにするのと、複数台を運用するのとでは、考え方が全く異なってくるでしょう。打てる手が少ない以上、そうした対応を通して地道に客足が増えるかどうかを見る必要がございます。
自分たちのことしか考えてなかったかも……。神棚でお祈りするみたいに、お客様に無心で手を合わせるなんて視点、今まで持ってこなかったよ。
お客様を崇めることなど一切不要です。ただし、いかな無人店舗であろうとも、黙々とお客様に手を合わせる意識は忘れずにいてほしいものですな。まったくなぜに私がチラシや店舗ごときのコンサルをしなくてはならないのか。通常、口を出すような話ではないのですが、あまりにもお嬢様がたが愚図で嘆かわしいので思わず……。
玄七郎の言ってることのほうが今回も正しいのかなって思った……。さっそくマッサージチェアは一台返却することにするよ……。
だが玄七郎の場合は言い方で全てを台無しにしてしまう。私のような謙虚さを玄七郎は身につけるべきだ。
いっそ少しの時間があればベイグランディアホテルズでお嬢様がたを強制的にスタッフとして立たせ、接客というものの考え方を1週間程度で叩き込んでもいいくらいですが……何もかもが未熟で無惨な新兵たちに戦線を広げさせるわけにもいきません。
ふざけるな、玄七郎にホテルスタッフとしての訓練など施されたら精神が崩壊してしまうぞ。
とにかく無人店作りは、できるだけお金をかけないようにしながらだけど、もう一回ちゃんと再構築してみる。まだ開店させたばかりで何か結果が出てる話じゃないけど、改善は早ければ早いほどいいよね。
地球連合の共有事項としては、今日はそんな程度ですか? どうやら大した進展もなく、帝王学に結びつくようなポイントも今回はないようです。むしろ妙なコンサルをさせられて虚しい気持ちになりましたぞ。
待ってください、今ちょっと考えてみていることがあって……まだ具体的な部分にまで至ってはいないんですけど――。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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