第4章(2)

文字数 8,704文字

では本日の訓練に入るとしましょう。昨日の信用創造とゴールドでは、我々が戦う舞台の形を確認し、大局時の動き方も外観してきました。今回は応用編です。現実的に迫っている未来の事象を題材にすることで、いざとなった場合の動き方の参考にできるような頭の体操をしてみることとしましょう。
預言者でもないのに、未来の事象って参考にできるのー?
ほぼ100%発生が予想される変革というのは、あるものです。タイミングが掴めないだけでございますので、事前に頭の体操をして構えておくのですよ。
私は自身の未来を100%予言できる。私という存在に与えられた切ない宿命には、揺るぎないものがあるからだ。
過去の事例とかは参考にならないんでしょうか?
歴史に学ぶのは、時間を持て余しているのならば良い時間の使い方でございます。しかし歴史に学ぶことの欠点は、答え合わせができることと、学んだような気分になることです。最初に水無月様が帝王学とはマキャベリの思想を学ぶことだと誤認していたと思いますが、歴史を学ぶのもマキャベリと似たような側面がございます。歴史研究者や経済アナリストなど過去の事例に精通した人々が、実際の社会で適切な決断ができるわけではございません。
むうう……答えがないことを学ぶ勉強ってのは難しいものですねえ……。
信用創造において、誰かの借金により富がどこまでも拡大する仕組みはご理解されていることと思います。しかしこの富は、永久に拡大し続けることはございません。なぜなら人が可能な借金の規模には限りがあり、そこが足枷となるからです。
たしか千景先生が拡大できる借入額は7000万円くらいまでと言ってたよね? そこが足枷になるってことかな?
あらゆる人々、および法人には個々の借入の上限値があります。目下の情勢は、その上限値のかなりの部分までが利用されていると考えてください。多くの経済主体がこれ以上は借金を拡大できないギリギリの地点が、着実に迫っています。
全体的な話だと、なんだか最初はいつもボヤッとしちゃうの。玄七郎がよくやるように、今回も具体例で教えてくれないかなぁ?
かしこまりました。水無月様の場合、すでに4500万円もの銀行借入をしている現状、さらに借入を増やすことは考えられますか?
私はこの辺が限度ですよ! 銀行は貸してくれるのかもしれませんが、実際に限界まで借りたら生活に余裕なくなっちゃいますし。
水無月様の限界値は確かに7000万円付近なのかもしれませんが、現実的にはやり繰り可能な上限に近いところにあるとも言えます。こうした状況は水無月様個人だけでなく、あらゆる法人、個人で起こっていることです。
個人は千景でイメージできるのだが、法人とはどんな感じになるのだ? 私はちょうど法人について完全マスターしたばかりなのだから、そこが知りたい。
何を言うかと思えば。桜丈ホールディングスを想像すればいいと思うのですが?
む? う、うむ……そうだ……私のような天才でも、いや天才だからこそ、灯台下暗しということが稀にある。
桜丈ホールディングスの借入額を覚えておりますか、小雪お嬢様?
4兆くらいだろう。だいたいそのくらいだ。全く酷い惨状だな。
極めて勤勉な小雪お嬢様の一つの問題は、テストに出る分野や、対外的に評価される内容ばかりに集中することです。そちらの水無月様のようにいずれエリート層に入れるのかもしれませんが、プライドばかり高い無惨な人生を過ごすことになりかねませんぞ。
何ッ!? 私ほどの出来た人間が他人の評価など気にするはずもない! 許しがたし源玄七郎!
いや実際プライド高いと思うしチクショー奥歯ガタガタ言わせてやるー。
小春お嬢様なら桜丈ホールディングスの借金総額を正確に覚えていらっしゃいますな?
4兆7500億円だよ。あまりに途方もなさすぎて、もう感覚が麻痺しちゃってる感じがする……。
債務超過額は?
2500億円。
近いうちに小春お嬢様には銀行交渉をしてもらうことになるでしょうが……銀行の立場だったら、桜丈ホールディングスにこれ以上お金を貸しますか?
た、たぶん貸さないんじゃないのかなぁ……。交渉とかちゃんとイメージできないけど……。
借りるのが不可能とは言いません。ですが銀行には融資の基準として定められているマニュアルがありますので、現状の決算書をもってすれば、基準をクリアするのは並大抵ではないでございましょう。
やっぱり危険なんだね、うちの会社……。家族の会社だし、なんとか頑張って乗り越えなくちゃって思うよ。
おっと、小春お嬢様の気持ちを暗くする意図はございませんし、キャッシュフローはちゃんと回っているので深刻になる状況でもございません。ただ私が申し上げたかったのは、これ以上の借金を増やすことはできない現状にある法人の実例です。
どこの法人さんもこんな感じだっていうことなの?
全部とは申しませんが、企業経営と借金は切っても切り離せないものであり、借りられる範囲まで借りている法人は結構多いものです。桜丈ホールディングスも与信枠――要するに借りられる枠を全部使っております。
BS脳の原則に立ち返れば、低い金利で調達しまくって、それより高い利回りを出すのが合理的ですもんね。だから借金を増やしたほうが稼ぐチャンスが増える、と。
個人も法人も、どこもかしこも借金しまくっていて、つまり反面では大量のお金が溢れかえっている。そして玄七郎が言いたいことは、これ以上は借金を増やす余地がない――お金が増える余地がない、ということだな?
当然、限界まで膨れ上がった信用創造は、どこかで破裂することになります。
信用創造の講義のときに、お金の流れが逆回転していって、経済がどんどん収縮するってことはみてきたね。不況になっていくし、それが酷いときは金融危機でお金の動きがストップしてしまう……。
その通り。さあ、その先のことをシミュレートしながら、頭の体操を始めるとしましょう。現在は、人類の歴史上で類を見ないほど信用創造が巨大に膨れ上がっております。次の崩壊は破滅的になるに違いありません。ではこの崩壊の刻、何が起こりますか?
銀行が皆んなに返済を迫って、世の中のお金も消えていくから、資産価格は暴落するんでしょ?
ふむ、お金が減るんだから、当然資産の価格も釣られて下がるに決まっている。
事実として、2008年の世界金融危機の直後は、ありとあらゆる資産が雪崩を売って大暴落しました。次が来るとすれば、そりゃもう当時を遥かに越える超超大暴落になるかもですよ。
なるほど、全員一致で大暴落、と。そして水無月様は歴史に学んで、世界金融危機の過ちを繰り返す――というシナリオを描くわけですね?
まぁシナリオを描くってほど確固とした見解じゃありませんが、素直に考えればそうなるんでは?
ただし、そのシナリオをメインに据えているのならば、水無月様が最近マンションを購入したのは不自然な動きではございませんか? 暴落する可能性があるものを、買ってしまったわけですから。
うっ!? そ、それはそうなんですけどね……。でもタイミングがわからないし……。
水無月様がローンを返済し終える30年間、何事も起こらないとお考えですか?
さすがに目先で大変なことになりそうだって思いますよ。……でも何でこんな時に住宅ローン組んだんだろう……うーん……なんか東京都心のマンション価格がすごい上がってて、今買わないともう買えないんじゃないかなぁと……いやでも大暴落するんだったら、待っていればもっと安く買えたはずですし……うーん何ででしょうね〜?
そして、桜丈ホールディングスは最近まで、あらゆる資産に投資しまくってきました。この投資行動も、大間違いではございませんか?
まぁそうですね〜……もう私にはわからないです……。
オヤジは大局観だけは持っているんだろう? ならば、信用創造が破裂して大暴落しないとでも考えているのか? いやいや、だって昨日の講義に従えば、大暴落以外のシナリオなんて考えられないぞ?
つまり旦那様は、大暴落ではなく、大暴騰を折り込んでいるということです。
まさか! 信用創造にもう余力がないところまで来てるのに、一体全体どうやって大暴騰するんですか? だってもう誰も借金できない瀬戸際に来てるって状況ですよ?
歴史に学べば、次の信用創造の破裂において、世界大恐慌や世界金融危機を引き合いに出して行動することになりましょう。お三方が大暴落シナリオを描いたパターンですな。
だけどお父さんは……。
そう、旦那様は大暴騰シナリオを見ている。これは歴史的教訓とは全く異なるシナリオを描いているということですな。歴史ともお三方とも、まったく真逆に賭けていると考えていいでしょう。
どうしてなの? 全然わかんないよ……。
ちょっと目端の利く人、少々の勉強をした人ならば、普通は大暴落シナリオを織り込むでありましょう。それはおそらく正しい行動です。ただし、まさにお三方の考えが合致したように、そうした人々は大勢いるわけで、それは大衆の行動に他ならないのです。我々事業家にとっては、勇気を振り絞って、大衆とは反対の方向に動いてみることが必要な瞬間というのはございます。
たったそれだけの理由で危険な賭けに出たってことですか?
その勇気やよし。私はオヤジを侮っていたが、なかなかどうして蛮勇を振るうこともあるらしい。
いや、無闇矢鱈に大衆の反対に賭けたわけではございません。旦那様のお考えを想像してみてください。頭の体操ですよ。
私が流されるままマンションを買ったように、あんまり深いこと考えてなかった。なんてわけ、ないですよねー。
どうせオヤジのことだ、どこかのバーで出会った占い師にでも占ってもらって決めたに違いない。
まだまだ皆んなが借金を拡大できる余地があるんだと考えた、とかかな?
小春お嬢様はいい線をついていますが、もう少し具体的に考えられますか? 今の未来シミュレーションは、一般個人や法人の借入枠が限界まで行きつき、信用創造が崩壊した……という想定ですよ?
それでも、信用創造で学んだことを振り返ると、やっぱり誰かが借金を拡大しないと資産の大暴騰なんてあり得るはずないよ。だから、誰かがすごい借金をするんだと思う……。
あっ、あああああ! 政府! そして中央銀行ですよ!
まさに。個人と法人がこれ以上の借金をできず、信用創造が崩壊したときに……残った経済主体がもう一つあるのです。それが政府。まぁ中央銀行も一体化させ、統合政府として一個と考えていいでしょうな。
そりゃもう万が一世界恐慌なんて到来したら、政府は狂ったように財政出動すると思いますね、うん間違いない。日銀なんて大暴落中の資産を買いまくるハズ!
政府って、個人や法人みたいに考えていいんだ……。
政府も一つの経済主体だよ。大きくは、個人、法人、政府という3つの経済主体があるね。だから政府も借金を拡大してお金をばら撒けるわけ。個人や法人と違って、政府は徴税権とか通貨発行権とか持ってるから、借入上限みたいなものが存在しないのも特徴かな。
つまり政府の場合には、千景先生や桜丈ホールディングのような、借金可能な上限が存在しないんだ。
実際に上限なしで政府がお金を増やしまくったら、ジンバブエやアルゼンチンみたいにハイパーインフレってことにもなるけれど……日本はだいぶ工業生産力が高いし、対外債権や資本蓄積の余力もあるから……あと1000兆円くらい増やしても大丈夫なんじゃないかなぁ……。
世界大恐慌のときは、政府や中央銀行はほとんど何もしませんでした。リーマンショックに続く世界金融危機のときは比較的思い切った金融緩和に踏み切りましたが、それでも資産価格は大暴落し、回復には数年を要することになりました。そして次の信用創造の崩壊のタイミングにおいては、世界恐慌やリーマンショックを遥かに上回るスケール感が想定されますから……。
私にはやっぱり大暴落としか思えないのだがな。スケールが大きいんだから、その分だけ巨大な大暴落だ。
お父さんの場合は、政府がとんでもない借金をすることで、すごい量のお金をバラまくと考えているということなのかな?
元政府の一員として、そのシナリオは確かにあり得るような気がしてきたよ……。ううん、世界金融危機の教訓から、各国政府は裏側で協調体制を築いているから……もし次があるようなら全世界同時の空前のマネーばら撒き……。
まとめましょうか。多くの皆さまがたが考えているメインシナリオは、資産の大暴落と金融システムの機能不全。旦那様のメインシナリオは、金融の大膨張と激しいインフレです。もっと言えば、ある種の革命のような事変となり、信用創造が別の次元のものに置き変わると考えているようでございます。これらの2つは、それぞれに全く異なるシナリオです。
どっちのシナリオに備えればいいの? まったく反対なんだから、何の準備もできなくない?
それは誰にも分かりません、未来のことですからな。だからこそ頭の体操であって、歴史の勉強とは違うのです。
ギャンブルなら、オッズがあるはずだ。どっちが勝つ可能性が高いのか、分からなければ賭けようがないだろう?
その確率を考えたり、どちらに寄せたほうが利益が大きいかをシミュレーションするのが、まさに皆様の役目なわけですが? それを投げ出されると困りますな。ビデオゲームで気楽に選択肢を選ぶのとは違うのですぞ。さあそろそろ選択の時です。皆様はどちらに乗りますかな?
なんだか私はお父さんのシナリオのほうが可能性ありそうな気がしてきた……。特に理由があるわけじゃないんだけど……。話を聞いただけで簡単に考えが変わっちゃって情けないね……。
経営者にとって、朝令暮改は何ら責められることではございません。すべての物事に柔軟に、臨機応変に臨むべきでしょう。むしろ固執するほうが危険極まりない態度です。
私はやはり大暴落に備えるな。固執しているわけではないぞ、両方のシナリオを考えた末に、政府が極端な対応をするとは思い難いのだ。なぜなら、どっちのシナリオに転ぼうとも一大事なのだから、どちらにしても政府は責められる。ということは、政府は動くに動けなくなると見る。
ほう、存外に小雪お嬢様のバランス感あるご意見でございました。中々どうして、この命題をよくご理解もいただいているようで何よりでございます。
フッ、当然だ。この私を誰だと思っている?
いったい誰なのです?
何!? まさか玄七郎は知らないのか!? 勉強や音楽活動のみならず、大人顔負けに会社の仕組みまで精通する超越級中学生とは、かく言う私のことだ。
小雪が色々考えた末に、やっぱり大暴落っていうのなら、それにも備えておかなきゃならないのかもね……。その上でやっぱり私は一先ずお父さんシナリオでやってみるかな……。お父さんより身近な小雪のほうを尊敬してるし、やっぱり理由はないんだけどね。
水無月様はいかがですかな?
実は答えあぐねてたんですよね。2人よりは大人っぽい意見を言わなくちゃならないと思いまして。でもやっぱり結論は、分からないです……。差し迫ってどちらかを選択することになった場合は、もしゲームみたいな選択肢だったら、元社長の判断のボタンを押しちゃうかもですね。
ほう、小春お嬢様と同じ選択ですな。理由も、小春お嬢様と同じく、何となくですか?
ええ、ええ。ぶっちゃけ何となくですよ。ですけど少し大人っぽい意見を頑張れば、次の危機では全世界の政府が協調して動くだろうな〜、っていう勝手な予測はありますね。
どんな風に協調するという予測です?
いまの金融当局って、主要先進国は全部密接に連携しちゃってるんですよ。良くも悪くも兄弟みたいな感じでしょうか。だから危機の発生は即座にキャッチして、それを兄弟たちが表に出さずに処理しちゃうくらいの乱暴さがあります。たとえばリーマンブラザーズみたいな会社が緊急倒産といった状況になった瞬間に、当局がよってたかってお金を突っ込んで有耶無耶にしてしまうかもしれない。そんな風にして危機の発生を取り繕っていくということは……最終的には全世界に流動性が荒れ狂って、ハイパーインフレという帰結になるわけです。当然の帰結として、資産は暴騰ということですかね。
なるほど、程良いご意見ですな。もしそのシナリオ通りだった場合には、最近マンションを購入してBSを拡大させた水無月様の小さな勝利、といったところでしょうな。
そうなると……いいんですけどね〜、ホント切実に……。
まぁその時は世間は大混乱でしょうから、表立って喜ぶべきではないんですが。尤も我々にとってはボーナスタイム到来です。手ぐすね引いて、次のBS拡大のチャンスを伺いましょう。
最初は大暴落するのが当然だと思ってたのに、完全に真逆の、大暴騰ってシナリオがあることが驚きだよ。しかも結末が大暴騰か大暴落のどっちかしかないって、もっとびっくりしちゃう。信用創造の破裂は一つしかないのに、その後のシナリオが丸っ切り変わるんだ。真ん中くらいにはならないのかなぁ?
小春お嬢様の仰る真ん中は、地殻変動がまだ起こっていないまさに今この瞬間のことを指しているのではないでしょうか。ただし、経済においても政治においても、こうした真ん中が永遠に維持されるはずもない。そして帝王学的には、その真ん中のバランスが崩れた刹那を見計らって、大きな富を獲得するのが合理的なのです。崩壊が巨大であればあるほど、我々にとっては心楽しいものとなるでしょう。
私が大暴落派、そしてお姉と千景が大暴騰派ということだな。ちなみにオヤジまで大暴騰派ということは……1対3の対決ということだ。フフフ、一見不利な立場に身をおくことが私の真骨頂なのだ。そしてここから、私という存在による大逆転劇が始まるであろう……。
少数派に身をおくことは、大筋として良いことです。勝利した場合に、その分だけ果実を多く得ることに繋がりましょう。尤も今回のケースにおいては、大衆はほとんど大暴落派だと想定されますが……。
待て。私たちだけに考えさせて、意見を表明していない腰抜けが一人いるぞ。私は巨悪を逃がさない。源玄七郎、貴様の意見を聞くとしよう!
 なぜか小雪は急に立ち上がり、玄七郎を華麗に指差した。
私が大暴騰派か、大暴落派のどちらか答えよということですかな? 強いて言えば、私は中間派でございましょう。
玄七郎討ち取ったり! 玄七郎は先ほどお姉に対し、真ん中が続くなど空想だと言い切ったはずだ! なのに言うに事欠いて中間だとは片腹痛い。やはり今回も私の勝ちだ!
誤解は遺憾でございます。私の言う中間というのは、当初1〜3ヶ月間は大暴落、そしてその後に大暴騰が始まるというものでございます。資産価格が中庸のまま推移するわけがない。急降下から一息で急上昇に転じるとんでもないジェットコースターのような相場になるだろうと想定しております。
な、何ッ!? どういうことだ?
信用創造が崩壊する時、それは世界のすべてが凍りつく事態となりましょう。当然その直後から大衆による資産の投げ売りと、各国政府や中央銀行が協調しての形振り構わぬ資金供給が開始されます。さて、どちらの力のほうが強いでございましょうな? 私は1〜3ヶ月間は大衆のパワーのほうが圧倒するものの、やがて空前の資金供給に世界が覆い尽くされるという考えでございます。尤も、そうなる直前に、いわゆるショックドクトリンを目的とする大型の戦争が企図され、世界大戦などで有耶無耶になる可能性も存外に高いと思いますが。
真ん中じゃなくて、極端から極端に振れるってことなんだね? なるほど、そういうシナリオもあり得るわけか……。本当に頭の体操だよねこれ……。
くっ、くうう……小童がほざきおって……。尤もらしいことを言えば赦されるとは思わないことだ……。
 小雪は歯噛みして腰を下ろし、心底悔しげな面持ちだった。
考えれば考えるほど、色んなパターンがありえますね。でも玄さんがいうような極端から極端って、想定しておくシナリオとしては、ちょっと複雑過ぎません?
水無月様のご指摘は、まさに慧眼でございましょう。さすがでございますな。私は事実として本当にそう考えていますが、実務上想定しておくべきシナリオとしては酷いものです。現実的にどうしろというのか。
あれ……なんか……初めてちゃんと褒められたかも……。う、嘘でしょ……涙出てきたし……これが噂に名高いツンデレパワーの直撃……。
ハンカチ、あるよ。どうぞ千景先生……。
あっ、ありが……とう、小春、ちゃん……。
それゆえ、もし私のシナリオをメインに据えるなら、結局のところ旦那様のシナリオがベターなのですよ。なぜなら目先で資産大暴落となれば、新規の銀行融資がどうせストップしますから、下がり切った資産を拾いまくるのは難しい。もちろん手持ちの現預金を総動員して買い出動をするものの、買い余力は非常に小さく限定されてしまうでしょう。その直後から大暴騰に転じたとすれば、崩壊の前にBS拡大を済ませておいたほうが良いとも言えます。大混乱の最中に悠長に売り買いできるわけでもないですからな。
うっ、ううう……。
千景っ、大丈夫なのか……? 震えてるぞ……?
泣かないで千景先生!
な、なんか私……おかしいみたいです……あ……ううう……。
……し、しばらく休憩といたしましょう。再開は1時間後にて。お嬢様がた、あとはよろしくお願いいたします。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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