第3章(2)

文字数 7,432文字

さて、1万円札を用意しました。これは原価22円の紙ですが、1万円分の購買力があります。であればこの購買力は、誰が保証してくれていますか? 水無月様はお答えをお控えください。
了解であります教官。
……それはまぁ……たぶん日本政府じゃないのかなぁ?
……お姉と同じく、政府ではないか? あるいは日本銀行、とか?
ふむ、この問いかけにおいて、まさに望んだ回答をしてくださいましたな。では水無月様、答えをどうぞ。
共同幻想、ですよね。貨幣理論は派生が色々ありますが、大筋としては、皆がそれを1万円と信じているから1万円なのだという理解でいいのでは?
そういうことです。
………………は?
細かいことを言えば、1万円札っていうのは日本銀行券ですから、日銀の借用証書なわけです。日銀が、紙切れの持ち主から1万円を借りましたという借用証書。だから私たちは普段からその借用証書を持って歩いていて、借用証書を交換し合っているとも言えます。
……なるほど、わかりません……。
別の方面からいうと、日本に暮らす私たちは、日本政府に対して納税の義務があります。その納税は円で払うことを義務付けされるので、1万円分を納税できる1万円には、1万円の価値があるとも言えます。
ちょっと待て、念仏にしか聞こえないぞ……。
だよね……ぜんぜん脳みそに入ってこないっていうか……。
両お嬢様はご安心ください。謎が多い貨幣の理論ですが、幻想で成り立つ貨幣には宗教じみた側面があり、その方面の学術的探究と帝王学とはあまり関係がないので、深入りする必要はございません。私たちはこれから、社会生活において最も基本となる要点だけをしっかり確認します。優れたBS構造を構築するための知識としては、その範囲で十分ですから。
もしかして信用創造……ですか?
その通りでございます。おそらく水無月様は暇になるでしょう。ですから信用創造の学びの間だけでも、管理部のほうに一時復帰して構いませんよ。終わったらお声がけしますので。
ここにいますよ! 信用創造なんて確かにキホンのキではありますが、私の理解とは視点が違うかもしれませんし!
お好きにどうぞ。それでは水無月様の助けも借りながら、『信用創造』についての確認をしていきましょう。可能な限りの短時間で、最低限度の要素を押さえます。
信用……創造……。うっ、最近、教科書で見た記憶が……。
そうだね、社会科で習った気がする……テストに出る範囲に指定されてなかったから、あんまり覚えてないんだけど……。
あまりの基礎であるため、中学や高校でも学ぶ内容です。この信用創造は、大人になりましたら、恐ろしいほど愚か極まる人であろうとも、どれほどIQが低い方であろうとも、あまねく誰もが当然に知っている社会生活のベースです。
空気みたいに当たり前のこと?
もちろんです。公共トイレのマナーとか、ゴミ出しの仕方とか、その次元の基礎事項となります。PL脳の方だろうと全員が100%理解しているはずで、本来わざわざこうして講義しなくてもいい程度のものですが、両お嬢様が大人になるまで待つわけにもいかず、ここで手っ取り早く取り扱うとしましょう。
元行政官だった私は当然わかってますけど、玄さんが言うほど大人の皆んなが信用創造を完全理解してるんですかねぇ……?
これは覚えなくて構いませんが、いちおう定義から。信用創造とは、準備預金制度のもとで、銀行システムが持つ『貨幣を生み出す』機能です。簡単に言い換えると、銀行が『預金』と『貸出』を連鎖的に繰り返していくことで、お金が増える仕組みでございます。
言い換えも全然簡単じゃないし。
話が小難しい……まったく自分のなかで消化できないぞ……。
初期段階においてイメージしずらいのは理解できます。ではアプローチを変えて、水無月様の具体例から見ていくことにしましょう。水無月様がすぐそこにマンションを購入されたとき、銀行は4500万円を貸し付けていることは、BSの講義でも確認しましたな?
銀行が……千景先生に対し……4500万円を貸した。うん、そうだね。
では水無月様、このとき4500万円を札束で受け取りましたか?
まさか! 私の銀行通帳に4500万円と記帳されただけですよ。
その通りです、実際のお金が右から左に動いているわけではないことに注目してください。銀行はただ水無月様の通帳に数字を記入しただけ。つまり……?
 玄七郎は何かを促すように、小春と小雪を交互に見やった。
……つまり?
どうした?
想像を膨らませてください、ほら、今まさにお嬢様たちの目前で、銀行が数字を書き込んだ生々しい様子を。
んっ、んん〜?
いや、だから何だと言うのだ?
ですから、銀行が数字を書き込んだのです。何か言うべきことがあるはずでしょう! いまこそ叫び声を上げるべきでございます! さあ、どうぞ!
ほわー。
あうう……?
お嬢様がたがここまでトンマで愚図だとは思いもよりませんでしたな。通常ならば、1万人中9999人は激しく心揺さぶられ獣のように咆哮するはず……。しかし残念ながら、お嬢様たちは論外1人に該当するようでした。遺憾の極致でございます。
銀行が通帳に数字を書き込んだって話でしょう……? それがどうして重要なのか、正直わからないよ……。
私は今、腹を切りたい気持ちを必死で制御しております。ここは水無月様に解説を代わって頂きましょうか。
要するに玄さんの言いたいことは……私の通帳に4500万円って数字を銀行が書き込んだまさにその瞬間、もともと無だったにもかかわらず、突然この世界に4500万円が生成されたってことかな。
もともと無だったにもかかわらず。
世界に4500万円が生成された……。
本来何もないところに、いきなり4500万円が生まれたの。
…………え? お金って、こうやって生まれるってこと?
まさしくビッグバンでございます。いやジョークを申し上げているわけではなく、ややもすれば宇宙論的ビッグバンと似た現象なのかもしれません。
待てよ、4500万円は千景の借金なのだろう。借金が生まれただけで、お金が生まれたわけではないだろう?
BSの講義を思い出してほしいなぁ。私に借金4500万円が生まれた。ということはもう片側には……?
あっ、4500万円の銀行預金も同時に生まれたんだ! 借金と現金は互いに対になるもんね!
なるほど、そうだ。BS上では銀行借入4500万円の対になるように、銀行預金4500万円もあるということだ。ココは無から発生していることはわかった。言われてみれば確かにギョッとするが、イマイチ漠然とした感じだ……。
流れに沿って見てみようね。私が4500万円の借用証書にサインし、銀行が数字を書き入れることによって、4500万円というお金が突如この世に生まれた――そこまではOK?
確かに文字通りだよね、私の理解は大丈夫みたい。
私も大丈夫だ。お金が生まれる現象も、わかったぞ。
じゃあ次に、もう少し視野を広げていってみよう。通帳に4500万円と銀行に書かれた私です。そのお金は、どうなった?
千景先生は4500万円でマンションを買ったんでしょ?
つまり……マンションの売主に4500万円を振込んだはずだ。
そう、今の小雪ちゃんの視点すごくいいよ。私は4500万円を、銀行を通して、売主さんに振込んだ。ということは、売主さんの通帳には4500万円として、確かにお金が存在していることになるね。そしてそのお金は、さらに売主さんが色々な支払いを実行することで、他の人の手に渡り、人間社会をどんどん巡っていくわけ。
一番最初のところで4500万円を産み出したのは、借用証書にサインした千景先生なんだ!
だから銀行が4500万円を書き込んだ瞬間に、この世に4500万円が生まれたという意味なんだな? 政府や日本銀行がお金を作ったわけではないらしい。
手短にまとめますと、信用創造システムにおけるお金は、どこかの誰かが借金をすることで生み出されています。銀行が重要な役目を果たしていることも、お分かりになったでしょう。
銀行がね、たくさんの人の通帳に数字を書き込んでいくの。実際に銀行に現金があるかどうかは関係なくて、ただ書くだけでいいわけ。だから毎日、どんどんお金がこの世に生まれているんだよね。
政府が4500万円を発行します、ってわけじゃないのだな。銀行が勝手に決めていると。
じゃあ、銀行が4500万円の価値を保証しているってことなのかな?
そこは違います。生み出された4500万円の価値は、水無月様の『債務返済能力』を裏付けとして保証されております。
私が4500万円を返済できるっていう『信用』があるから、それがお金の裏付けになっているということなんだよね。
千景先生の信用が4500万円の裏付け……。理屈は理解してきたんだけど、ちょっとモヤっとする感じはどうしてだろう?
信用というのは元々漠然としたものだから、そこが消化しきれない原因なのかもしれないね。だけど逆から見れば、そういうスッキリしないものがお金だとも言えるよ。だから小春ちゃんがモヤッと感じたというのは、正しい認識を持ったことの裏返しかも。
私も逆から見て質問していいかな。千景先生の債務返済能力が4500万円の裏付けになっていることはわかった。だけど千景先生が病気になったりして債務返済能力が無くなったら……どうなるの?
優れた視点でございます。債務返済能力という裏付けがなくなれば、当然その分のお金はこの世から消失します。
えっ? 消失したらどうなるんだろう?
いったん先を考えるのはお待ちください。今はまず、『お金は誰かの借金によって生み出されている』という信用創造の根幹について確認することに注力して頂けますか。そこから先の話まで探究すると、両お嬢様は少し混乱すると思いますので。
信用創造は、当たり前だが文字通りに信用を創造する……信用を生み出すという意味でいいのだろう? そして信用とはお金のことなのか。私がお姉を信用しているという意味で日常的に使う信用と、一見違うように見えて、実は同じなのかもしれない。
人や企業に対する信用って簡単に無くなったりするよね。もちろん長く続く信用もある。信用したいんだけど、ちょっとイマイチ信用しきれないかなぁ……みたいな中途半端な場合もある。でもそれがお金なんだよね〜。ちょっと不思議な話なんだけど。
小春お嬢様が500円玉を後生大事に貯金しておられますが、お金とは本来そんなに大事なものではございません。実務上はお金のことを、その時点での『購買力』と言い換えておけば、比較的本来の姿に近いやもしれませんな。購買力は情勢によって日々変動するものです。
購買力……。500円玉がお金じゃなくて購買力って言われたら、なんか貯金する気持ちも萎えてきちゃう感じ……。
戦闘力みたいで私は好きだぞ。競い合う意味があるというものだ。
だからこそお金を持っているかどうかは重要ではなく、BSの富を得る力だけに着目すればいいということなのです。お金の価値が急激に下がっても、ある日お金の形が変わってしまったとしても、BSが強靭ならば、その時勢に応じて適切な購買力を産出し続けられるからです。
信用創造って、人類が生み出した概念のなかでは、ゼロの概念と並んで最大級の一つかもしれないですね。最初に発想した人が歴史に残っているわけじゃないけど、とてつもない天才だったんだろうと思います。
私に比肩しうる天才が存在したとはな。
あるいはものすごい詐欺師だったか……。この信用創造の仕組みは、現代においてはあらゆる国家政府によって法制化され、人間社会の隅々に及ぶまで組み込まれています。私たちが戦う舞台は、この信用創造の枠組みのなかです。ゆえに帝王学においては、いの一番で理解しておかねばならない一丁目一番地であると言えましょう。
じゃあ信用創造って自然にあったものではなく、人間が生み出したものなんだね。まぁ言われてみればそうなのかなぁ……。
だが、そんなどこかの誰かが生み出した発想が、どうして法制化されるまでになったんだ?
見てきたように、信用創造は、銀行が数字を書き込むだけで富を生み出すことができるという魔法のようなシステムでございます。これは空前絶後の富の源泉なことはお分かりでしょうか? 当時の権力者たちが、この仕組みに目をつけないわけがございません。
法制化されるまでに至ったのは、もともと陰謀なんですよね。その時の権力者たちが話し合いを重ねて、国家の仕組みとして組み入れた。当時の銀行経営者だったら、幾らでも富を量産できる打ち出の小槌を手に入れたようなものだったと思います。
陰謀……? じゃあ信用創造って、誰かの悪巧みから始まったということ……?
その成り立ちを説明し始めると、帝王学全体の講義に匹敵しかねない壮大なボリュームを要することになってしまいます。小春お嬢様の目的は帝王学を自分のものとして取り入れることであって、貨幣の本質を探究する旅に出ることではございません。ですからここでは、かい摘んで要素だけに絞らせてもらうことにしましょうか。水無月様からご説明いかがですか?
うーん、そうですねぇ……人類の間で長く続いてきたゴールドの歴史……あるいは金細工師の話から始めたいところですが……なるべく短くということなら、アメリカ連邦準備制度が民間人たちの手によって法制化されたところから説明しましょうか?
いや、それでも冗長すぎる。ゴールドについては後でちゃんと触れますが……やはり今のところ、信用創造システムは陰謀によって成立したと片付けてしまっていいでしょう。
おいおいおい、人類にとってこんな重要なシステムが、権力者たちの陰謀だったなんてとんでもない話ではないのか?
いや、陰謀それ自体は少しも重要ではございません。どんな人々であっても、日々の経済活動のなかでは、何某かの陰謀を巡らせているものです。
そうか? 陰謀なんて毎日企むようなものだろうか?
私はたぶん陰謀なんてしたことないと思うよ!
たとえば水無月様と社長が、桜丈ホールディングスが買収検討をしている相手企業について話し合いをしているとします。これも陰謀の一種でございます。そして相手企業にとってこの陰謀は、悪巧みになることもあれば、プラスに働く側面もあります。要するに陰謀とは、単なるビジネス上の打合せに他なりません。
官僚だったときに政治家も交えて色々やり取りしましたが、まぁそれも陰謀チックでしたねー。明るみになればマスコミに叩かれそうな内容も多かったですが、かといって長期的視野に立てば、国民全体にとってメリットのほうがあったと思いますし。陰謀イコール打合せとまで私は割り切れてなかったですが、言われてみれば確かに打合せですかねー。
BS講義のときの、規模による格の違いを思い出して頂きたい。BS規模がとてつもなく巨大で、最上位の格を持つ人々同士の打合せは、自然と地球の政治経済を揺るがします。しかし当人たちは単に、似たような格の人々とテーブルを囲んで打合せをしただけであって、別に陰謀で悪巧みをしているという意識は希薄でしょう。その打合せで決まった内容を非難する人々がいたとしても、それは格が違いすぎることによって内容に影響力を持ちようがないので、陰謀として非難しようとする取組みなのです。
でも、信用創造を成立させたすごい人たちって、信じられないレベルで儲けたってことなんでしょう? それなら非難されるのは当然じゃないのかなぁ?
確かに一部儲けた人もいたでしょうが、同時に、信用創造の仕組みによって人類全体が恩恵を被っている側面もございます。これほど強烈に富が富を生むシステムだからこそ、いま急発展を重ねている人類文明があるわけです。
人類全体が恩恵を被ってるというが、勝ち逃げした連中には腹が立たないか?
陰謀は単なる日常的な打合せの一環という前提に立てば、いくら誰かが悪事を計画したとしても、早々簡単に陰謀が成立するものでもございません。むしろ予定した成果をあげるほうが極めて稀です。信用創造は、超然とした1人が地球を盲目的に操って成立させたものではなく、様々な権力者たちが入り乱れた末、闘争や妥協を繰り返したあとの政治的産物――あるいは成れの果てでございます。
私はそこまで割り切れないですね〜。打合せにも良いもの、悪いものがあると思いますし。
水無月様が割り切れないのはご自由にどうぞ。しかし我々帝王学の学徒たるもの、そうした陰謀を非難する側に回るのではなく、巨大なシステムを打ち立てたその偉業こそを、むしろ声を大にして讃えるべきでございましょう。そしてもし自らもまた同じような舞台に立つ機会に恵まれたならば、地球経済に楔を打ち込めるような大事業を成立させるようチャレンジしてみるべきだと、私は一人の事業家として固く信じております。
つまり私でも、何かのアイデアによって実質的に地球を支配することができる方法があるかもしれないんだな? そして実現は可能なのだと。
そういう理解しちゃう!?
小雪お嬢様の仰る通りでございましょう。独自の方法論によって世界征服は現実的に、十二分に可能なのです。アイデアが上手くハマる可能性がありそうならば、あとは関係各所と打合せを重ね、時には妥協し、時には血で血を洗う闘争を繰り広げ、時には敵対者を暗殺し、また時には盟約を結び合って、目的を達するよう努力を積み重ねてはいかがでしょうか。
世界征服が可能、だと? こ、これはもう歌舞伎町を支配している場合ではない……? 優秀すぎる私がいざ動けば日本裏社会に君臨できることくらい百も承知しているが……ここはいっそ、地球の闇ドンを目指すべきではないのか……? それが私という存在に課せられた悲痛なさだめ……。
世界征服とか暗殺とか……なんで真顔で話してるんだろう……。陰謀が必要なときは、小雪に任せたほうが良さそうだね……。
さて、前半では信用創造のベースを認識してもらえたと思います。ここが帝王学という武器を手に、死闘に乗り出すリング上の景色ということになります。そこで後半は、このリング上で起こる経済変動を確認していきましょう。BS規模の拡大・縮小の波をどのように形作ってゆくべきか、その道標になりますから。ひとまず一息入れて、後半に入るとしましょう。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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