第2章(3)

文字数 8,361文字

 今日の講義を続けるのは無理と判断した3人は、執務室から退散し、市ヶ谷クロスセンター2階のカフェで向き合っていた。
可哀想、千景先生……。実際ひどいよ玄七郎。私だってあそこまでズケズケ言われたら泣いちゃう自信あるな。
暴言なわけではなかったが、千景の虎の尾を踏んでしまったのだろうな。玄七郎の残忍性はいつものことだ。これを機会に改心……などしないのだろう?
お二人の仰る通りでございましょう。こうして誰かが泣いたり怒ったり訴訟してきたりする場合、だいたい私が悪いのでございます。
訴訟まであるんだ……。
そのうち暗殺もありえそうだぞ。
子供のころ、何度も泣いてきたこと思い出したよ。玄七郎って絶対妥協しないから、いつも私が負けちゃって、従うことになるんだよね。子供相手にだよ、信じられる?
特に食べ物の指導は徹底していたな。色々思い出したぞ……私がどうしても食べたかったケーキを玄七郎が取り上げたり、ニンジンだけ残したら徹底的にその成分を語って聞かせてきたり……なんだかムカついてきた……。
ニンジンはともかく、ケーキを無意味に取り上げたことなど記憶にございません。確かに砂糖は麻薬じみた毒物ではございますが、甘いものは女子たちのコミュニケーションツールとして必要な場合があるのだと理解しております。おそらくその際は、小雪お嬢様が糖質や質の悪い脂質を過剰に食べ過ぎそうになっていたのを見かねて、私が指導を入れたのではないでしょうか?
くう……そうだったかもしれないが、子供にそこまで徹底するか?
桜丈家の食を預かる者として、お嬢様たちの健康管理は私の第一の責務でございます。
いったい何の権利で玄七郎が食を管理してるんだろう……。
私がグレたのは玄七郎の責任だ。いつか強い漢になって、見返してやろうと努力を重ねてきた。そして確かに私は泣く子も黙る無敵の漢に成長を遂げたが、それでも玄七郎にはまだ勝てる気がしないぞ。

 思い返せば小春と小雪にとって、家族関係とは、玄七郎との関係性がほぼ全てだった。物心ついたころには母親が亡くなっていたし、父親は経営者のためカレンダー通りの休日などあろうはずもなく、365日いつも早朝には家を出て深夜に帰宅するほど経営に注力していたから、ある意味で育ての親は玄七郎なのだ。ただし年がら年中あまりに距離が近すぎて、母親のように甘えられるはずもなく、空気のようにそこにあるものといった感覚かもしれない。


 もちろん玄七郎に反発したことは一度や二度では済まない。それでも冷静に戻ると、妥協するのはいつも小春と小雪の側だった。同じ屋根の下で暮らす者同士、どこかで妥協せざるを得ず、その後謝ったり話し合ったりするなかで、小春は玄七郎の率直さに改めて気づくことも多かった。玄七郎は決して言葉だけの人物ではなく、その後の行動がちゃんと伴うことにも気付かされていた。

 ただし、そんな玄七郎に対する理解は、あくまで家族だからという距離感あってのことである。千景にそれを理解してもらうのは、どだい無理な話だ。

私と小雪なら今更どうということはないけど、他の人には優しくしてあげて。そんな風に振る舞ってると友達いなくなるよ!
すでに私にはお嬢様お二人しか友達がおりませんからな。お恥ずかしながら、ここが私の唯一の居場所なのです。
私たちは友達枠なんだな。まぁ確かにそうだ。
千景先生には私から謝っておくよ。夜にでも電話してみる。
水無月様との経緯において、ささやかに自身を弁護させて頂きますと、本当に水無月様のことを考えるのならば、誰かが指摘してあげたほうがいい事柄でありました。水無月様が理想を大きく妥協するかどうかは本人が悩んで決めればいいですが、少なくとも出会いの視野を広げるキッカケにはなるでしょう。妥協せず生涯独身となったとしても、訳もわからず世の中を恨むより、理解したうえで選択したほうが前向きというものです。それゆえに、先ほどの話には意味があったと私は信じております。
思いやりがあること知ってるけど……伝え方が伴わないと嫌われるだけだよ。ハッキリ言って玄七郎は落第だね。玄七郎風に言うと、世界史上初の記念すべきゼロ点満点達成おめでとうございまーす。
正しいことだけが正しいわけではない。……うむ、ちょっと変な言い回しになったが、要するに正しければいいというものではないのだ。玄七郎は正しい、そこは認める、だがそれが地球にとっての正解というわけではない。表社会の光が強ければ強いほど、裏社会の闇もまた深くなるのだ。
まさか私が両お嬢様から諭される日が来るとは思いませんでしたな。私が老いたのか、それとも両お嬢様が大人になったのか。
そのどっちもだよ、多分ね。玄七郎って生まれたときからそんなだったの?
……でしたら大人に足を踏み入れられたお嬢様方に、少し昔話をいたしましょう。つまらない話でございます。私がベイグランディアホテルズ創業者であること知っておりますな?
横浜のベイグランディアホテルズなら、玄七郎に連れられて、3人で年に1度は泊まりに行っているだろう。そのとき玄七郎が思い出話を色々語っていたような気がするぞ。
今は桜丈ホールディングスの子会社だったよね? どうしてそうなっているのか詳しくは知らないけど。

 ベイグランディアホテルズは、有名トラベルガイドには必ずといっていいほど5つ星ホテルとして登録されている日本のホテルブランドである。横浜の鶴屋町を本店として、京都の二条通、大阪の天満橋、北海道のニセコと日本国内に4か所を展開している。一つ一つは中規模なホテルであり、東京にないため知名度はそこまで高くない。だが建物の造りの良さ、設備の充実度、洗練されたホテルマンたち、その格調の高さから富裕層御用達として知られ、宿泊料金も屈指のレベルだった。

高校を卒業してすぐ、私は地元神奈川の信用金庫に就職し、融資担当者としてキャリアをスタートしました。仕事は大変でしたが、事業の成り行きについて、金融機関側の視点で学ぶところは大きかったと思います。そんな仕事のなかで、横浜の財界人が鶴屋町にラブホテルを建設しようする計画が持ち上がり、当金庫も融資することになりました。多くの金融機関が融資していましたから、当金庫としても横並びで、大して深く考えず融資したのです。
…………。
ですが程なくして、その財界人の会社が行き詰まり、開発計画が頓挫してしまいました。計画が中断された以上、当金庫としては当然回収しなくてはなりません。そして私は嫌々ながらも回収担当者として現地視察に赴いたのですが……そのラブホテルが想像以上にゴージャスで、立地も良く、建物の構造も抜群に良かったことから……私はその日に、自分の手でホテルを開業しようと決意しました。それがベイグランディアホテルズの最初の第一歩になったのです。
唐突すぎるだろう。サラリーマンだった玄七郎が、いきなりホテル創業なんておかしくないか?
元々私の祖父が横浜で、外国人外交官・経済人を専門とした小さなホテルを経営しておりました。ですが太平洋戦争の折、当のホテルが爆撃に巻き込まれ、終戦時には跡形もなく消え去っていました。戦後、祖父は生きるために闇市で商店を開き、何とか食い繋いだようです。その後は小さな時計屋を開業して死ぬまで細々と営業しました。商売人としてはあまり振るわなかった祖父ですが、元は欧米列強外国人専門ホテルマンだったことで、洗練された振る舞いはいつも一際目立ち、幼いころから私は強い憧れを抱いていたものです。ですからいつか自分もホテルを持ちたいという夢は秘めておりましたし、商売人の家系から帝王学を聞き齧ってきたこともあって、目の前で頓挫したラブホテルが、自分にとっての天命ではないかと思たのですよ。
あの立派な横浜のベイグラインディアホテルズって、元々ラブホテルだったの!?
今ではそれを知る人も、私以外にほとんどおりませんが。ホテルマンとしての理想と誇りを、私は高く掲げていました。ホテルはまずまずの評判を得て、お客様満足度は常に国内最上位、横浜で始めたホテルはメインバンクの後押しもあって、京都、大阪、ニセコと拡大していったのです。財界人、政治家、芸能人など多くの著名人がホテルのファンになってくださいましたから、顔見知りだけは増えましたな。
玄七郎って誰も友達いないのかもしれないけど、人脈はちょっと広いよね。お父さんも『玄さんは顔が広いな〜』って言ってたし。
ただし、使わない人脈はタンスの肥やしにもなりません。また人脈とは、自分自身が相手と同じ次元に立ててこそ役立つものです。今の私には無駄の極みでございましょう。
人脈があるのは良いことなんじゃない?
良し悪しは一才関係ない事柄でございます。一般大衆はなぜか人脈を神聖視し、人脈を広げようと常日頃から躍起になっておりますが、お嬢様がたは決してそのような恥ずべき努力はしないで頂ければと思います。人脈は、自分の格を上げれば勝手についてくるものです。元々無関係の相手であろうとも、自分の格が十分に高ければ、コンタクトしさえすれば人脈は即形成されます。
友達と人脈は全然違うのだな。そして人脈は、いちいち作る必要なし、か。
逆に言えば、私や旦那様のような人間は、わざわざ意味もなく人脈を広げようなどとはしません。それゆえ人脈目当てで懸命に近づいてくる相手は、胡散臭い営業マンか詐欺師と断じても言い過ぎではないかと。
人間不信になっちゃいそう。私なんて親しげに近づかれたらコロッと騙されちゃう自信あるよ絶対。
自身の格を高め、必要に応じてこちらからコンタクトすればいいだけ、という教えだな。心得ておこう。
小春お嬢様はともかく……小雪お嬢様が素直に聞いてくださるなど、珍しいこともあるものですな。
どうも今、心なしか玄七郎は落ち込んでいるようだ。苦しいときには理解し合うのが、真の友達というものであろう? 私は玄七郎のような無慈悲極まるスパルタ人間ではない。
ははは。
 珍しく玄七郎が微笑んだ。
友達として話を聞いてあげるよ、ホテルの続きをどうぞ玄七郎!
滑り出しから評判もよく、2号店のベイグランディアホテルズ京都までは堅調でしたが……大阪に3号店を出したあたりから、中々厳しい経営環境に陥り始めていました。なんとか利益率を上げようと高単価のニセコ4号店に臨んだものの、キャッシュフローを改善するまでには至らず……。それには様々な理由がありますが、あまりに拙速に、自身の身の丈を超えてBSを拡大させてしまったことが一因です。
まさに今日の講義の話か!
BS拡大を焦りすぎた、と……。どこかで一旦立ち止まるべきだったんだね。
また、格調の高さにこだわるあまり、従業員たちの離職率も高く、見えない部分にまでコストが嵩み、長いあいだ資金繰りの悪化にもがき苦しみました。そこで起死回生をはかるつもりで……私は人生で初めて世間に妥協したのです。
まさか! 私の知ってる玄七郎に、妥協なんて言葉はないはずだよっ!
私はコストカットに舵を切りました、ホテルのブランドに傷がつく行為だと理解しながらも。すぐに影響があったのはホテルマンたちの接客品質です。ボーナスカット、給与カットなどにも手をつけたため、当然でした。設備や清掃のコストも削り、お客様からのクレームも目に見えて増えた。現場は迷走を極めました。いっそう離職率が上がったため、結局は採用や教育に追加コストが発生し、客足にも影響が出始めました。そこからは経営危機が表面化するまで一瞬でございました。
…………。
…………。
京都、大阪、ニセコを手放して、横浜だけに原点回帰すれば、キャッシュフローを回せる余地は十分に残っていたかもしれません。それでも矜持を妥協した末の経営危機に、私は身も心も疲れ果て、愛情を注いできたベイグランディアホテルズを手放すことにしました。人材管理下手の私が経営の舵を握ったままですと、さらなる苦境も避けられないことはわかっていましたから。
玄七郎が人材管理下手なことは、すごくわかるよね。部下として働いていた人たち、ちょっと可哀想かもだよ。
千景が泣いて逃げ出すのも当然だ。
まったくです、社員らにはずいぶん辛くあたってしまったのでしょう。それは私なりの矜持でしたが、他人様から見ればワガママでしかございません。
あまりに頑固すぎるのだ、何事に対しても。まぁそれが矜持と理解したが、玄七郎に躾けられる私とお姉の気持ちになってみるべきだぞ。
これでも私は当時よりだいぶ優しくなっております。昔の私を知る人から見れば、仏のようになったと言われたこともございますので。両お嬢様は幸運でございます。
恐るべき仏もいたものだな。
話、続けて。桜丈ホールディングスがまだ出てきてないよ。
そして各方面に相談したところ、キャッシュフローを回せる余地はあるため民事再生法で再建を図ることになり……意外にも10社を越える企業が手助けを申し出て下さいまして、私は各社とそれぞれ面談していきました。そのうちの1社が桜丈ホールディングスだったのです。交渉各社に私が出した条件はただ一つ、『コストカットの方針はやめて昔の矜持あるベイグランディアホテルズに戻してもらいたい、それ以外は何も求めない』と。矜持を妥協したことが、私の人生における唯一にして最大の後悔でございましたから。……そして、それを丸呑みしてくださったのは旦那様だけでした。私は代表を辞任のうえでほぼ全株を桜丈ホールディングスに譲渡し、今に至るといった経緯でございます。私には温情により1株だけ残して頂いております。
BSの講義で見た有価証券の数字のなかに、ベイグランディアホテルズも混じっているということなのかな? こんな風に話を聞くと、並んでいる数字にも親しみを感じるようになるね。
残念ながらまだベイグランディアホテルズは黒字には戻っておりません。桜丈グループの足を引っ張ってしまっているのが実情でございます。私がコストカットの道を塞いでしまったのも赤字継続の一因でございましょう。旦那様が、私との約束を守ってくださっていることの裏返しであるやもしれません。
そういう話の断片は今までにも聞いていたような気もするが、正直ほとんど理解できていなかったと思う。だが昨日から帝王学に触れ始めたせいで、漠然とだが理解できる素地が自分のなかに生まれたかもしれない。
実際のところ玄七郎がどこの何者なのか、私たちよくわからなかったしね。私が物心ついた最初の記憶のときには、なんかもう玄七郎がいたし。ううん、ほとんど玄七郎との関係ばかりだったような気が……。
桜丈ホールディングスへの株式譲渡契約が終わった日の夜、旦那様とご一緒にお食事をしたのですが、そのとき私は一つ仕事を持ちかけられました。『いつか刻が来たら、桜丈ホールディングスを引き継ぐどちらかの娘に、帝王学の手解きをしてほしい、ほとんど家を空にしている自分では娘たちとの距離感が掴めないであろうから』と。そして私は、その仕事をお受けしたのでございます。
まったくオヤジはとんでもない悪辣な教官を送り込んできたものだな。万死に値する。
教官というより刺客だよね。万死に値する。
旦那様も、まさか私が原町の家に居着くとまでは想像していらっしゃらなかったようです。私はほとんど身包み剥がされた状態だったこともあって、約束した任務を全うすべく一部屋を不法占拠させて頂き、お嬢様がたが成長する機会を窺っておりました。私の人生における最後の矜持でございます。
不法占居だったことが恐ろしいよ。っていうか今もまだ不法なんでしょ? 大変、警察呼ばなきゃ!
不法占居も、私に与えられた任務の範囲内だと信じております。
はた迷惑な矜持もあったものだな。
期せずして本日の講義のちょっとした復習にもなりましたな。BS規模は拡大するばかりではなく、拡大と縮小の波を意識するのが大切であること。そしてBSの規模感がどれほど大きかろうとも、格がどれほど高まろうとも、その破綻確率は一般大衆の方々とそれほど変わらないこと。言い換えれば、どれほど成功者として名を馳せようとも、一般大衆の方々より偉いわけではなく、人間に優劣もないということ。もし将来お嬢様がたが成功し大富豪になったとしても、決して驕らず、このことを肝に銘じておいてください。
人間に優劣がないって強調する割に、千景を下に見ているような言動が多い印象があるぞ。
そうした誤解は遺憾の極みです。水無月様と私は対等な人間同士でございます。
ううん小雪、玄七郎は相手が上だろうが下だろうが態度が変わらないだけだと思うよ。実際、私や小雪にも、お父さんにも、平気で酷いことばかり並べるし。
それもそうか、お姉の言う通り、玄七郎はいつでも誰に対しても悪虐非道で狂った凶漢だ。立ち居振る舞いやマナーや言葉遣いが一見洗練されているせいで、そのギャップに誰もが衝撃を受け、もがき苦しむのだ。
ご理解くださっているようで何よりでございます。さらに付け加えますれば、帝王学は成功への第一歩ではございません。帝王学を収めることと、成功することは別物でございます。でなければ、敗者である私がお嬢様がたに帝王学を教授するなどアベコベではございませんか。
帝王学と成功が別物だったら、じゃあ何のために学ぶのだ?
極言すれば、人類社会が誕生して以来、その社会構造は全く変わっておりません。どのような文明も社会も政治体制も、一握りの支配階級と、大勢の奴隷階級の2つに分断されるのが人間という種の自然な状態です。帝王学は人類文明を俯瞰する視野に立ち、古代の奴隷制や共和制も、中世の封建制や宗教支配も、現代の自由主義や全体主義においても、それらの間には特段の本質的な違いはないとし、常に支配階級と奴隷階級の対立軸があると見ます。そして帝王学は、支配階級の側でいるための基本的な作法を学ぶに過ぎません。作法がわかったところで、確実に成功できるわけではないということです。
うーん……小難しいな……。
玄七郎は下の人に分かるように話してくれないからね……。あとから思い出すと、『あっ、あの時の話はそういう意味だったんだ』ってなる感じ。
ただし逆にいえば、作法が分からないと、奴隷階級から脱却するのは極めて困難であるともいえましょう。海に幼い子供が放り出されたら溺れ死にますが、泳ぎ方を教わっていれば自力で行動を起こすことが可能でありましょう。帝王学は成功を約束しませんが、奴隷階級を抜け出すための切符であることは確かです。
よく分からない部分はあるが……要するにだ、帝王学を学ぶしかない……という結論でいいんだな?
少なくとも桜丈ホールディングス社長に就任された小春お嬢様については、そういうご認識でどうぞ。
私はもうやるしかないんだね。どっちにしろ家族の間のことだから、逃げようがないんだと思う。でも、千景先生は明日からきっと執務室に来ないよね……? 残念だなぁ……。
たしか最後、『もう来ねえよ』みたいに叫んでいた。プライドはズタボロだろう。
お手数おかけしてしまうのですが、両お嬢様から水無月様に、今後は帝王学訓練に出席されなくて構わないとお伝えください。私の顔を見るのも嫌でしょうからな。いずれにせよ一般大衆が混じっているのは奇妙奇天烈な話ですから、こちらとすれば願ったり叶ったりではあるのですが。
玄七郎は一般大衆ってマイルドな言葉を使ってるが、つまり奴隷階級という意味だと理解したぞ。

ただし差別的な意味合いは微塵も含まれておりません。奴隷の方々には優しく紳士的に接し、その生活が健やかに維持できているか常に気にかけて差し上げるのが、支配する側の高貴なる義務でございます。

私も奴隷の人たちの側だと思うなぁ、少なくとも今は。
私は支配者の側でありたい。いや違うな……私という存在は、この世で唯一無二の、支配者の支配者であるべきなのだ。その道は辛く険しいが、この宇宙を創生した何者かが私に課した崇高なる使命に違いない。私は必ずやり遂げるであろう。
『創世記』によれば、アダムとイブは、神が禁じた『善悪の知識の木』の実を口にしたことで楽園から追放されたと伝えられます。世の中には知らないほうが幸せなこともございますが、お嬢様お2人は望むと望まざるとにかかわらず、この実をお召し上がりになってしまったのです。一方で、水無月様には水無月様の世界がございます。今ならまだ、一線を越えなくても済むはずでしょう……。奴隷だと言われなければ自分が奴隷と気づくことはできず……それはきっと幸せなことに違いありません。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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