第4章(1)

文字数 2,460文字

さて、4日目になります。どのようなときにBSを拡大したり、縮小したりすればいいか、少しはイメージを描けたでしょうか?
頭では理解したような気がするけど……実際やるべきときにホントに行動できるのか謎だよ。
今思えば社長――あっ、小春新社長じゃなくて元社長は結構すごかったんですね。投資と売却の決断を毎日のように、あんまり迷わず決めてたように思うんです。それっていわゆるBSの拡大・縮小ですよね。
旦那様は並外れた決断力を持っておりました……がしかし、その理由は、自らの大局観に自信を持っていたからです。細かいことは気にせず、大局さえ正しく捉えていれば、多少の粗があっても問題ないというお考えでした。
お父さんはそれほど事業を見る目を持っていたわけじゃない、と玄七郎が以前言っていたよね?
事実として、旦那様が買収して傘下に組み入れた事業は、4分の1が未だに赤字です。ベイグランディアホテルズもまだ赤字を継続中であることはお伝えした通りです。わざわざM&Aしたというのにこの体たらくは、中々他の事業会社ではお目にかかれないでしょうな。桜丈ホールディングスは株式公開企業ではないために、どこかの株主から責められるわけでもなく、鷹揚に構えていられるのです。
つまりオヤジは無能だった……?
大局を読む力に優れ、しかし実務においては大したことがない、それが私の率直な感想でございます。
大口だけ叩いて、現場では何もできない、と言い換えてもいいな? 私のオヤジ像と合致する。
大口を叩き続けられるなら、それはそれで大したものだと思いますが。
元社長ってどこか小春ちゃんに似てるなーって思ってたんですよ。ぼんやりというか、ほんわかしている雰囲気、ありません?
えー、そうかなぁ? お父さんと似てるなんて初めて言われたよー。しかもあんまり嬉しくないのは何でだろう?
千景には大口がほんわかに聞こえたのだろう。
どうも旦那様は皆様の間で評判がよろしくないようでございますな。
いやいやいや私は元部下なんで、ちょっとは評価してますよ! だいたい元社長はうちの会社の100%株主ですよね、私の立場で非難するわけないじゃないですかぁ! 皆さん3人がそんなニュアンスだと思うんですが、私を組み入れないでくださいね。
でも仮に会社を辞めたら……?
うーん……ちょっとは変な人だなぁって感じるけど……。実際、いつの間にか社長を引退してるとか、常軌を逸してますよ普通に考えて。そんな乱暴狼藉を働けるのも、うちの会社は未公開企業ってことに尽きると思うんですけどね。
ともかく旦那様には、桜丈ホールディングスをここまで大きく育てた事実があります。その理由は、大局観を正しく捉えていたということと、他の株主からの横槍がなかったことが大きいでしょう。
玄七郎が言う株式公開企業とか、千景先生が触れた未公開企業とか、どういう意味なの? たぶん基本中の基本なんだと思うけど、聞いてばっかりでゴメンね。
簡単に言えば、桜丈ホールディングスは元社長が100%を所有しているってこと。中小企業なら社長100%っていうのはよくあるけど、桜丈ホールディングスみたいな大規模な会社で、株主がたった1人っていうのは結構珍しいんだよね。だいたい東京証券取引所に上場してて、株主は数千人、数万人単位で分散してるから。
そうした株式比率や資本政策などについても、いずれ帝王学のなかで触れる機会がございます。ただしそちらは少し実務寄りになっていきますから、今はまだ実務知識方面には深入りせず、BS脳の養成と、根源にある世界構造の確認を済ませてしまうこととしましょう。
ほうほう、実務に入る前に、全体像を俯瞰するというわけですね。
多くの人は目の前の実務知識や、小賢しいノウハウ、心底どうでもいい成功学ばかりに走りがちです。しかし帝王学において最も大切にされているのは、人の根源における合理的な考え方にあるのですよ。
フフフフフ……クククククク……残念だったな源玄七郎ここに破れたり!
何です?
玄七郎が周りくどく全体像から進めようとしている意図はわかった。しかーし! その意図を踏み躙ってやったぞ。私にかかれば先回りは怠りないのだ。株式比率や未公開企業などの知識なら、私はすでに知っている。見ろ、昨日本社からの帰り道、中町図書館で借りてきたのだ。

『中学生でもわかる! 会社の仕組み大全』

 得意げな小雪は、手垢に塗れた本を見せつけてきた。デデーンという陳腐な効果音が相応しい取り出し方だった。

 昨日、小春は玄七郎に促されて本社から車で帰ったが、小雪は寄りたいところがあると一人で本社を出ていってしまった。目的地は図書館だったのだろう。そして会社についての本を探し出し、昨晩懸命に勉強してきたのではないか。

法人には様々ある。学校法人、宗教法人、医療法人、合同会社、一般社団法人……まだまだあるぞ。そして桜丈ホールディングスは株式会社という形態だが、株主こそが最も重要な役目を担っている。私はすでにあらゆる法人形態のメリット・デメリット、そして株式会社の全容を掌握しているッ! こんな伝説の中学生が他にいるものか、私がすごい、すごすぎる!
いやまぁ……控えめに見ても、素直にすごいとは思うよ。わざわざ自慢しまくるところは、もっとすごいけど。
やっぱりすごいなぁ小雪は! 私なんて家でリラックスしたり、だらだらイラスト描いてたりしてたのに、小雪はいつも本当に偉いよ。今日帰ったら、私にも教えてくれる?
任せろお姉。私が直々に教えてあげさえすれば、お姉もすぐに身につくに違いない。そして人に教える行為は、自分の知識を強化することにも繋がる。私の天才性は、いっそう深まることだろう。
いいんですか玄さん? 細かい知識の前に、まずは根幹を大事にって話でしたよね?
別に……。プラスマイナスどちらも一切ございませんから、正味な話、コメント無しでございます。
毒にも薬にもならない、という感じですか。別に損するわけでもないし、偉い子たちだな〜って私は思いますけどね。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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