第12章(4)

文字数 5,395文字

桜丈ホールディングスは決算書上、メチャメチャ悪い状態だから銀行融資なんて期待できるわけもない……にもかかわらず……現実としてオヤジは借りまくることができたのは、どうしてだ?
そこが世間一般の会社と、桜丈ホールディングスの隔たりが大きなところなのです。銀行から見れば、桜丈ホールディングスは絶対に切り離したくない優良クライアントであることがわかりますか。
そんなに優良かなぁ? そもそも債務超過の会社が銀行から借入れることって難しいんじゃないの?
小春お嬢様ご指摘のように、債務超過の会社が次々と銀行借入を繰り返すことが難しいのは間違いございません。ですが桜丈ホールディングスほど大規模化してしまえば、銀行としては極めて大事かつ慎重に付き合わなくてはならない相手となるのです。当然ながら銀行は、そのような取引先の決算書については、血眼になって実情を調査します。
銀行は、桜丈ホールディングスが粉飾決算などをして実態を膨らませていないかどうかを躍起になって調べるというわけですね。
それはもう銀行としては、エース級の担当者たちを何人も張り付かせ、全力で隅々までチェックします。
ですが調べてみたら……身構えていたのとは逆に、意外と含み益が多くて、まだ貸し込んでも大丈夫という判断になってしまう……。
桜丈ホールディングスの含み益、含み損を調べるのは案外簡単なのです。なぜなら単体で事業活動をしているわけではないので、在庫や売掛金をあまり抱えておりません。とすれば、手持ちの有価証券と不動産の検討になりますが、特に銀行というものは不動産のプロフェッショナルといっても過言ではないため、桜丈ホールディングスが持つ含み益を見破るのはあっという間でございましょう。
在庫を調べようとすれば、蕎麦の在り方まで調査に行って、腐ってないかどうか、捨てられていないかどうかチェックしなくてはならない。会社側が調査に協力しなければ、調べるのは難しいだろう。だが不動産なら、そこに間違いなく存在するのだから隠しようがないな。
そう言えばお父さんは、『銀行評価はだいぶ悪くなるけど、うちくらいの規模になってしまえば銀行も付き合わざるを得なくなる』って言ってこと思い出したよ! 銀行はものすごい金額を貸している相手だからこそ、ちゃんと調べてくれるんだ。
銀行は何万社、何十万社と貸付先を抱えているわけだから、普通の中小企業だったらよく調べもせずに、上辺だけで判断しちゃうでしょうね。でも桜丈ホールディングスくらいになっちゃえば、決算書だけで判断されず、ちゃんと向き合ってくれるわけですか。
通常の事業においては、含み益というのは中々出るものではございません。一方で、在庫処分や、売掛を回収できないなどの事情があるように、含み損というのは事業活動のなかでどうしても自然に出てしまうものです。ですから銀行側の姿勢として、いちいち含み益など想定せず、含み損がどこに隠れているのかを綿密にチェックするようになってしまいます。
じゃあ玄七郎がさっき『桜丈ホールディングスが優良』だって言っていたのは、含み益を持っているからなの?
違います。大量のお金を借りてくれる比較的安全な貸付先だからこそ優良だという意味です。
銀行から見れば、膨大にお金を貸せるっていうことが優良になるの?
当然です。
借金はできるだけ早く返したり、なるべく借金をしないほうが優良なんじゃないのー?
驚くべき大衆的意見で度肝を抜かれてしまいます。本当に小春お嬢様は、金に余裕があれば、銀行に即座にお金を返すことが優良の証とでも思っておられるのですか?
ど、どう考えても、借りたお金はすぐに返したほうが信頼できる人だって思うし、優良の証なんじゃないかなぁ……?
これはまた笑止千万……。地球連合が開業した蕎麦屋で、小春お嬢様はご自身が料理したクソ不味い蕎麦を、お客様に目の前で吐き出されたらどう思われるのです?
お蕎麦がどうやったらそこまで不味くなるのか逆に知りたいよ……。
銀行にとってのカケソバ――つまり主力商品とは何ですか、小春お嬢様?
銀行の主力商品……なんだろー、株を売ったりすることなのかなぁ?
なん……ですと……? ま、まさかそんな……この程度のことを答えられないとはあまりに衝撃的で予想外……。小雪お嬢様?
簡単だ、預金を集めることだろう? 銀行ではいつも民衆から預金を集める活動をしているはずだ。
は? であれば預金を集めることで、銀行はどうやって儲けるのですか?
……む? 儲け……? 預金を集めれば…………何!? 銀行は一体どうやって儲けている!?
私はこれほど死にたい気持ちに駆られたことを未だかつて知りません……。水無月様、こちらの未だ文明化されていない野蛮人2人に、銀行にとってのカケソバを教授してやってくださいますでしょうか……。
貸付こそが銀行の基幹商品ですよね。銀行審査が厳しいのでたまに誤解する人たちがいますが、本当は銀行は貸したくて貸したくて溜まらなくて、貸せる相手を探すために必死で駆けずり回っています。だから、たった1社で4兆7500億円もの巨額を借りてくれる桜丈ホールディングスっていうのは、銀行にとって最上級のお客様だろうと思いますね。
貸付金こそが銀行にとっての商品……。そっか、言われてみれば当たり前すぎるのに、どうして私、そんな風に思わなかったんだろう……。
信用創造の講義のときに、銀行が白紙の通帳に数字を書き込んだ瞬間にお金が創造されると学んだな。まさにそれこそが銀行の主力商品だったというわけか……な、なるほど……天才だけに灯台下暗しは仕方がないのだ……。
銀行は金を貸すことで利息収入を得られます。それが銀行の大事な食い扶持であり、金を貸さないと銀行経営が成り立ちません。ですから桜丈ホールディングスが借りてくれるなら、心の底ではいくらでも金を突っ込みたいと銀行は願っているのです。
色々銀行を周って口座開設とか借入とかをお願いして、私ほとんど追い返されたから、すっごいハードル高いのかと勝手に思い込んでたよ。だけど本音ではお金を借りてほしいと思ってるんだね。
銀行は、15歳の小春ちゃんにお金を貸すなんて想像できなくて、適当な理由をつけて追い返したというのが実情なんでしょうね。
時折り、小春お嬢様はとにかく借金を返したい気持ちに駆られることがありますな? ですがそれは、銀行に対して大変無礼な話です。小春お嬢様が作ったクソ不味いカケソバを、お客様が目の前で吐き出す――この喩えと同じようなことなのですぞ。
できるだけ借り続けてあげたほうが、銀行にとっては良い話になるんだ……。私は最初に桜丈ホールディングスの決算書上の債務超過を知ったとき、とんでもない額の借金をしていたことに驚いて、すっごく悪い状況だと思っちゃったよね。だけど、そう考えること自体が間違いだったのかな……?
BS上において、どれほど膨大に銀行借入があろうとも、それ自体で銀行評価が悪化するはずがございません。なぜなら、銀行が自社の商品を使ってもらえばもらうほど、その相手の評価が悪化するとしたら、自分たちは悪魔のような存在でしかなくなってしまいます。むしろ銀行借入ができるというのは、銀行がそれだけ評価してくれていることの証だと受け止めてください。
桜丈ホールディングスは4兆7500億円も借りている事実に対して、それが恐ろしく悪いことだとするのは一般大衆の考えであって、経営者としてはそれだけ高く評価されていると前向きに受け止めていいのだな?
当然でございます。ですから仮に資金に余裕があったとしても、金は返さなくていいのです。
借りた金は返さない――玄七郎が前に言ってたね、そういうことだったんだ。
返すことを考えている暇があるのなら、むしろそのお金を使って、銀行金利よりももっと良い運用方法を探したほうがいいということなんですかね。
銀行借入で、もし低い金利で長く借り続ける条件を勝ち取れるなら、それは一種の資本金くらいに思ってもそれほど間違いではないかと。ある程度返したら、また借りることを繰り返せば、その資金はほぼほぼ会社に留まりますので。
一種の資本金……ベンチャーキャピタルや個人投資家から出資を受けて資本金にするのと、銀行借入で済ますのは、どっちがいいんでしょうか?
ケースバイケースですから絶対的な答えはないにしても……実際のところ、ベンチャーキャピタルや個人投資家から出資を受けて会社の支配権を握られるより、利息だけ払っておけば支配権に何ら影響を及ぼさない銀行借入のほうがずっと優良な資金だと私は考えます。
……そ、そんなことを言われたって、次の地球連合の事業のために銀行借入が難しいからなぁ……。事業を急ぐんであれば、やっぱりベンチャーキャピタルとかに頼るしかないよ……。
辛いものですな。金がない苦渋というものを、私はもう二度と一生味わいたくないものでございます。
他人事みたいに言うな! 私たちが夜も眠れないほど悩んでいること、玄七郎が知らないはずがない!
実際、私には他人事ですからな。さて、本日は話が多方面に及びましたので、最後にまとめをしておきましょう。

■決算書上のBS、実質的なBS

BSには、決算書上のBS、実質的なBSが存在する。

個人であれば、実質的なBSがすべてである。

法人においては納税の必要性から、決算書上のBSが作成され、それが公的な数字として用いられる。一方で実際の活動上では、実質的なBSで動くことを強いられる。


■含み益・含み損

決算書上のBS――簿価よりも高い価値があるものには含み益、簿価よりも低い価値しかないものは含み損がある。


■法人の銀行対策

銀行借入を引き出すために、純資産を多く見せるなど、決算書上のBSを綺麗に整えることが求められる。ただしBSを意図して良く見せようとする行為は、支払う法人税の増加に繋がることに留意する。

銀行借入が何ら心配がない場合に限って、実質的なBSを重視し、利益が表に出ない含み益を貯めることで、節税に繋げることに比重をおくべきである。桜丈ホールディングスについては、こちらの実質的BSを重視したスタイルとなっている。


■一般的な企業のBS

比較的多くの企業は、意図するかどうかは別として、BSのなかに含み損を隠しがちである。なぜなら含み益というのは狙って簡単に出るものではない反面で、含み損については在庫の問題や、売掛金相手の経営悪化によって容易に出てしまう傾向があるため。

この含み損を表に出さず、故意に隠そうとするのは粉飾決算とされる。


■含み損を見破る

主なところとして、「在庫」「売掛金」「土地・建物」「貸付金」「雑勘定」などに注意。

【在庫】在庫には売れなくなっているものが混入している傾向がある。

【売掛金】個々の相手企業によっては、回収困難になっている売掛金がある。

【土地・建物】バブル期の取得、地方の工場や、寂れた温泉街のホテルなど。

【貸付金】知人への貸付などで焦げ付いてることは多い。

【雑勘定】通常の商取引であまり見かけない項目には注目する。


■銀行にとっての商品

お金を貸し付けることこそが、銀行にとっての商品。だから銀行の本心としては、お金を貸せる相手にはとにかく貸しまくりたい。できれば限界まで借りてほしい。

もし貸すことで貸付先企業の評価が悪くなるとすれば、銀行は自らの存在を否定しているようなもの。つまりBS上にどれほど多額の負債があろうとも、それ自体では銀行評価は悪化しない。銀行評価の良し悪しは、主に次の3つ、

★蓄積された純資産の額

★BSの構造

★含み益・含み損の正確な計算

によって決まる。

お父さんの話で学んだつもりになってたけど……今日の講義を聞かなかったら、世間一般のこと誤解してたかも。
良くも悪くも桜丈ホールディングスは普通じゃないからねー。
これはオヤジが言っていたような、含み益を隠せばいいという単純な話ではないな。銀行借入を引き出す決算書作りとのバランスを図らねばならないようだ。危うく見誤るところだったぞ……だからオヤジはダメなんだ。
旦那様を責めるのは酷というもの。そもそも旦那様の立場から見たら、疑いなく正直な話だったでございましょう。しかも旦那様は帝王学講義をしたつもりではなく、単に債務超過2500億円のことでお嬢様がたに責められ、その誤解を解いておきたかったというだけに過ぎないはずです。もし誰かに問題があるとすれば、哀れな旦那様を激しく責め立てた、無慈悲で残虐なお嬢様2人でございましょうな。
……玄七郎はいつも手厳しいよね。いちいち泣きそうになるよ。
お姉を泣かせる玄七郎は最低の存在だな。少しは私の謙虚さを見習うべきだ。
私は単なる正直者でございます。お嬢様がたのかけがえのない友人として、これからもこの勤めを果たしていく所存ですぞ。
今回はだいぶ実務に寄ってきたなと感じました。これから徐々に細かいところに入っていくんでしょうか?
あと少し世界を外観しましたら、より実務に近いところの考え方を扱っていくことになりましょう。そのためにも、お嬢様がたが地球連合の経営実務で四苦八苦してくださるのは好都合というもの。しばらくの間、外野席からお嬢様がたの悲惨な経営の行き詰まりを気楽に眺めさせて頂くといたしましょう。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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