第7章(2)

文字数 4,342文字

 日本政策金融公庫に飛び込んだ小春は、色々と書類を書かされていた。本来ならばネットや電話でアポイントを取っての訪問が基本だそうだが、たまに小春のような飛び込みもいるという。だから予約の訪問客の合間に案内されるとのことで、待つ間に会社のさまざまな情報をまとめることになった。書類の欄に、借入希望額とあったので、小春は2000万円と書き記した。なぜなら最大額が2000万円と但書がついていたからだ。
地球連合様、地球連合様〜。

 アナウンスがなされると、広いフロアで同じように待っている訪問客たちが一斉にこちらに驚きの視線を向けてきた。それどころか、カウンター奥で作業している職員たちまでこちらを見やってくる。誰も笑うことはしなかったが、小春を見やって驚愕といった面持ちだった。


 ミーティングテーブルに案内された小春は、男性の融資担当者と向き合っていた。

よろしくお願いします!
こちらこそよろしくどうぞ。記入して頂いたシートを見たのですが、15歳ですか?
はい!
にわかには信じられませんね、私どものお客様には、そのような方がいないので。まぁともかく登記は確かですし、これから色々確認させて頂きますが――。
 そこから一通りやり取りが続いたが、東京みらい信用金庫と似たような確認作業に終始した。地球連合がすでに清掃業で売上がしっかり上がっていることを知った担当者は、かなり意表をつかれた様子だった。この辺りも東京みらい信用金庫と同じ流れである。
――借入希望額は2000万円ということですが……これは無茶ですね。創業間もない方で特段の担保もないとなれば、どんなに頑張っても700万円……ただし御社様の場合は資本が48万円しかないわけで……500万円も出せるかどうか……。
それでも可能性があるなら、できるだけ沢山の金額で審査してもらえませんか?
正直あまり借入を増やさないほうがいいですよ。会社が倒産する理由は、すべて借入が理由ですからね。視点を変えると、借入がなければ、会社は倒産しない安全な状態でいられるんです。桜丈さんはまだお若いので、できるだけ借入せずにゆっくり進んだほうがいいのではないでしょうか。
でも、BSから全体を見る発想を学んだばかりなんです。BSで考えると、借り入れた分の現金があるから、問題ないんじゃないでしょうか。
 やや担当者の顔つきが変わった様子だった。
……ですが創業なので、その現金をどこかに投入するわけでしょう? 早々簡単に、良い利回りが期待できる事業なんて見つからないです。事業というのは、失敗の可能性のほうが遥かに高いんですよ。
私も、飲食店や古着屋さんを出店するためだったら、2000万円ものお金を借り入れようなんて絶対思わないはずです。私にBSのことを教えてくれたうちの居候も、飲食店なんて10年後には9割以上が無くなっているし、コンビニとか出しても利回り期待できないうえに4割失敗って言ってましたから。
それはもうその通りですね。私どもは政府の意向を受けて創業者にできるだけお金を貸すことが義務ではありますが、実際のところ飲食店を開業するためにお金を借りるというのは狂気の沙汰であるような気がしています。それでも多くの方がお金を借りて開業されるわけですが……首が回らなくなる方が驚くほど多いんですよ。
少なくともうちの会社は、設備に多額のお金がかかるような事業をするつもりはないんです。もしお金を投入するのであれば、できるだけBS上で資産となって、その資産がお金を生み出すものを選択していきたいと思っています。もちろん飲食店の厨房設備とかも資産計上されると思いますが、そういう本当は価値がないものじゃなくて、しっかり価値がずっと残るものを選んでいきたいんです。
15歳だとは思えない受け答えで恐れ入りますね。ただ、文句をつけるつもりはないのですが、そんなゲームのように上手くいくものではないですよ。
うちの居候が、この世はゲームだと考えればいいんじゃないか、とも言っていました。それが正しいのか正しくないのか、今の私にはわからないんですけど、少なくともそういう割り切った想定をして頑張らないと、事業って分からないことだらけで不安しかないので、いつまで経っても始められないと思うんです。
ま、まぁ確かに……。
 担当者は驚きを隠せない表情だった。
借入の負担以上の利回りが期待できる仕事を、私たちは絶対に見つけます。ですからどうか、地球連合に貸せるだけ貸してください。お願いします!
個人的な感想を述べると、借入は少ないに越したことはないので、15歳の方にあんまり貸したくはないですね……。桜丈さんがしっかりしているのはわかるんですけど、経験値を積む時期なんじゃないかと。
経験値は、頑張りながら積むものだと思います!
……決意は揺るがないようですね。政府系として創業融資の役目を担う私どもとしては、どうやら御社様に貸さない理由を探すほうが難しいのかもしれません。
ありがとうございます!
ただ……先ほどお伝えしたように、貸付500万円は無理ですよ。頑張っても300万か、200万……。
そ、そんな!? 少なすぎると思います、どうかお願いします!
現状しっかり基盤ができている清掃業売上が年商1200万円といったメドですからね。そのための資金繰りとして稟議をまとめるので、せいぜい月商の2、3ヶ月分までになります。
でも事業は色々やっていきたいんです!
これから考えていくという話だと論外ですよ。どんな風に話をまとめろというのですか。
…………。
新たな事業が立ち上がって、どうしても必要になりましたら、追加融資として改めて検討することになりますので、そのときはまた相談ください。地球連合さんだと……10年間の貸付で固定金利1.7%でまとめられるんじゃないかと思いますね。実績を積んでもらえれば、もう少し大きな金額の相談もできるようになりますよ。
わ、わかりました……。

 実績とは、確かに東京みらい信用金庫の支店長も言っていたことだ。

200万円か300万円、ほぼ決まると考えておいていいんでしょうか?
普通の銀行ならば地球連合さんに貸すなんてあり得ないでしょうね。でも私たちは手広く創業融資を実施するほぼ唯一の公的機関といっていいので、できるだけ貸すことを求められているんですよ。先ほども申し上げましたように、貸さない理由を探すのは難しいかもしれないということです。
ありがとうございます!
あとは事務的な確認だけとなりますが……桜丈さん、他に借入はございませんね? いやまぁ桜丈さん15歳なんで借入なんてありえないと思うんですが、一応確認しなくてはならないことなんで。住宅ローンなら皆さん忘れずご報告くださるのですが、車のローンとかを申告し忘れるというのがよくありますね。
もちろん、ないですよ〜。
ですよね。承知しました。
私、貧乏性みたいで、人からお金を借りるのなんてあり得ないと思ってました。でも最近は、BSのことをいつも考えながら頑張れば大丈夫なんじゃないかって。
 担当者は頷きながら何やらメモを取っているとき、唐突に、小春は思い出したことがあった。
……あっ!? あの……えっと……も、もしかしたら……。
何です?
そ、その……他の会社……私が社長をやっている他の会社で借入があった場合、どうなってしまうんでしょうか?
……はい? 他の会社の社長? まさかそんなわけ、ないですよね。
もしかしたら本当は、4兆7500億円の借金があるのかもしれません、私……。
ど、どういう意味です……?
実は――。

 それから小春は、桜丈ホールディングスの代表取締役として登記されている経緯を、担当者に説明していった。一通り話を聞き終えた担当者は、驚愕の眼差しで聞いてくる。


桜丈……桜丈って、あの旧財閥の企業グループ……?
そ、そうなんです……。
この辺だと、たしか新宿の東口に一つ、桜丈系の大きなビルありましたよね。
新宿ゼノンマークスタワーでしょうか……。西口にも一回り小さい感じのが3つくらいあったと思います、あんまり詳しく知らないんですけど……。
お待ちになっている間に書いて頂いた、プロフィールシートに記載ないですよね?
か、隠すつもりとか全然なかったんです、すみません! ただ本当の本当に、それが自分の経歴っていう意識があんまりなくて……!
なんと言えばいいか……桜丈ホールディングスの社長って本当の話なんですか?
はい……借金がないかどうか確認されて気づいたんです、ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいっ!
困りましたね……正直こんな案件をどうしろと……。別に桜丈グループに兆単位の借金があること自体は不思議でも何でもありませんけど。
でもBS上では債務超過の会社なんです。どうやってお返しすればいいのかどうか、わからないくらいの借金です……。
申告によれば、地球連合さんの株主って、今のところ桜丈小春さんお一人で100%所有でしたよね? 桜丈ホールディングスは無関係?
絶対に絶対、無関係です!
先ほどは、お父様が無職のニートだと仰ってましたよね? それはある意味正しい説明で……でもつまり、桜丈ホールディングスの前社長?
そうです……。
15歳の方に融資検討するのも初めてですけど、とんでもない大企業の社長……ええ、お話を信じれば、確かに創業なんでしょうけどね。
信じてください!
本当に200万円とか300万円の金額が必要なんですか?
必要なんです、本当に必要なんです、どうか……どうかお願いします!

 一時は色よい感触の担当者だったが、小春が桜丈ホールディングス関係者だと聞いた直後から、あからさまに怪訝な目線に変わってしまっていた。

 それから担当者は「融資検討の土俵に乗るかは不明で、後日結果を連絡する」というニュアンスの一点張りとなってしまった。小春は何とかして融資を引き出そうと切々と訴えたが、どうやっても担当者の心象を変えることはできないようで、ミーティングは打ち切られてしまった。


 頃合いはすっかり夕方だ。こんなに頑張ったのに望んだような成果を上げられていないし、小雪と千景が懸命に取り組んでいるはずの清掃現場への手伝いにも行けなかったことが申し訳ない。ガックリ肩を落とした小春は、とぼとぼとした足取りで、自宅への帰路についた。

 ここからだと、自宅まで歩いて30分、電車だと駅ホームまでの時間や待つことを加味すれば25分。200円が掛かるかどうかの差は小春にとって大きく、徒歩以外の選択肢はなかった。


 日本政策金融公庫からの融資は無理だ――それが小春が感じた包み隠さない印象だった。桜丈の看板が足枷にしかならず、小春は忸怩たる思いに駆られていた。

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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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