第7章(1)

文字数 4,197文字

 目前の年配男性は、支店長の名刺を差し出してきた。おそらくこの店舗のトップなのかもしれないが、それほど人数も多くないように見えるし、支店長がこうした来客対応までやっているのかもしれない。

 銀行から冷たくあしらわれた末に、地元のここまで落ちてきた小春の話を一通り聞いた支店長がうなる。

いま法人口座を作るのは大変だからね〜。苦労される方がかなり多いみたいだよ。
ただの法人口座を作るのが、こんなに難しいなんて想像してませんでした。事業のほうばかり必死に悩んでいたんですが、まさか口座を作れないなんて完全に盲点で……。
どこの金融機関もマネーロンダリング対策を強いられててね、そこに結構な人員とコストを割いているんだよ。法人口座は色々な悪事に使いやすいものだから。であればいっそ、ちょっと面倒そうな会社さんなら、他の金融機関に行ってもらったほうがいいという判断なのかな。金融庁の指導とかが入るとまた状況変わると思うけど。
東京みらい信用金庫さんでは、うちの会社の口座を作ってくれますか?
だって本店登記地は原町なんでしょう? そりゃご近所さん、もう目の前にある会社なわけだからね。信用金庫というのはエリアがすごく大事でね、その地域内のお客様を大切に扱うことで成り立ってる金融機関なんだよ。だから、できるだけ相談に乗るよ。

 それから小春は、地球連合の設立からの話を一所懸命に伝えていった。全力だった。

 地球連合は自宅に登記したこと、ゼリスト建物管理から清掃業の仕事をもらえるようになったこと、業務用の清掃機材も中古一式を買ったこと、創業メンバーの3人で手を取り合って努力を重ねていること、仕事は高く評価してもらえていてこれからも継続されるであろうこと。ただし、請負業務を続けているだけでは将来の可能性が開けないので、独自の事業を立ち上げてみようと悩んでいること。当初は人件費をかけないために無人店舗から初めてみたいこと、そのために弁天町の店舗物件に投資して自社で活用したいこと。ただし肝心の購入資金がないので銀行から融資を受けたいこと。


 信用金庫という選択肢があることを知った小春だが、エリアが大事らしく、自宅近所にある信用金庫はここしかなかった。そのため、ここでも追い返されたら他に行くアテがなかった。どこの銀行にも相手にされない現状、ここすら追い返されたら絶望しかない。会社を設立した瞬間に敗北したようなものだ。

 小春は正直に、会社の現状と今後の方針を切々と訴えた。

――事業始めたばかりだっていうのに、もう売上24万円も立ってるってこと?
はい、でも銀行口座がなかったので、今は現金払いしてもらっているんです。ゼリストさんからも、早く法人口座を教えてくださいと言われています。
それはすごい……もうそんなに売上が立っているなんて……正直、甘く見てました、失礼しました……。
 支店長はなぜか頭を下げてきた。
まだ売上24万円です、すごく少なくてホントに恥ずかしいです……。このペースだと、1ヶ月頑張って売上100万円を越えるのがやっとです……。
いやいや実際のところ、創業当初からこんな風に堅実に売上を上げている会社さんなんてまずないですよ。あまりに立派すぎて、ちょっと信じ難いくらいです……ううむ……。
 ひとしきり資料に目を走らせていた支店長は、登記簿謄本を見やって口にする。
御社様のご住所……原町2丁目のここって毎日のように通ってるはずなんですけど……事務所やそれらしいマンションありましたっけ?
一戸建てなんです。そこで暮らしているので事務所って感じではないんですけど、業務用清掃機材とかはそこに置いています。
この番地……3階建ての、RCのお屋敷みたいな感じのやつ? 漆喰の塀があって、ちょっと周囲の雰囲気から浮いてる感じの。
あっ、漆喰の塀の家です。そこかもしれません。
ひえっ……ま、まぁこの辺りの人なら……。ちなみにご両親は何をされている方で?
お母さんはいなくて、お父さんは……えっと……その……。
少し立ち入りすぎてしまいましたね。そうした家庭の複雑な事情は誰でもあることですし、審査とは無関係なんで、言いたくなければ言わなくても。
お父さんは今、無職のニートなんです……。前は会社をやっていたんですけど……。
なるほど、まぁアレだけの家に住んでおられる方ですし、色々ご事情がおありになったんだと思います。いずれにせよ、本店所在地はそこと……。
 男性は何やらメモったあと、弁天町物件のファイリングをパラパラとめくっていく。
そして弁天町のこちら……謄本や評価証明、と……なるほど、必要な資料は全部揃ってますね。
仲介はゼノン都市開発さんにお願いしてるんです。そこが資料を揃えてくれました。
ああ、市ヶ谷のね。そして物件はうちの目と鼻の先……こいつが620万……うーん……。
……高い、んでしょうか?
……正直、わかりません。もちろん私どもの基準からいえばだいぶ高いです。こんなの、ちょっと前は500万円切ってましたからね。一体全体どうなっているのか……。
でも、新宿区内の賃貸や売買の物件は全部見て……だいぶ安いなって思えたんです。
現相場から言えばね。この相場がどうなるのか検討もつきません。私どもは下がって当然と思ってますが、その予想が外れ続けています。ええ、きっと下がると思いますよ。しかし、タイミングばかりは何とも……。
純粋な不動産投資なら、ちょっと怖いなって私も思うんです。でも自社の事業に使うものなら今を優先しなくちゃなりません。それに創業間もない会社の現状だと、不動産投資で月数万円をコツコツ稼ごうっていうつもりは全然ないんです。事業に使えなくなれば売るかもしれませんが、買ったときより下がらなければいいなって思ってます。
なるほど、確かに創業したばかりの今、不動産賃貸業をしている場合ではありませんからね。ただ、当金庫側の事情なのですが、担保評価をするにあたっては、賃貸で貸した場合の想定賃料を基にして、その利回りから検討することになります。もちろん賃貸に出さなくて構わないのですが、いちおうそういう事情があることだけ知っておいてもらえれば。
つまり、貸付を検討してもらえるということですか?
適正な担保があれば、貸付を検討しない理由はありませんね。ただし、担保評価は思っているほど出ませんよ。この物件だと、頑張って400万円じゃないかなぁ……。
もう少し貸付を増やすことはできませんか……? お願いします!
上限がそこです。初めてのお取引ですし、金利などの条件もあんまり良いもの出ませんが。変動で2%後半から3%の範囲になるとお考えください。それから不動産投資なら貸付期間20年あたりが普通なんですけど、御社様の場合はせいぜい期間10年ですね。審査によっては短期で、5年返済を求めることもあり得ますが。
そ、そんな……わかりました……。
 小春としてはもっと金額を増やしてほしかったし、金利や返済期間なども条件交渉したかった。しかし今まで足を運んだ他のすべての金融機関がまともに相手をしてくれなかったことを思い出し、交渉したい気持ちをグッと堪えた。
会社の業績が良くなり、当金庫とのお取引も増えてくれば、条件は改善されていきますよ。ひとまず当行での法人口座はすぐ用意できますが、不動産融資の結論は数日お待ちいただけませんか。
数日待って、融資がダメなことがあるんですか?
今この場で確約はできないんです、金融機関とはそういうものなんです。私個人が見る限り、担保評価の範囲内で融資しない理由はないと思えますよ? だけど確約じゃないんです、できないんです。当金庫のほうの審査が完了しましたらすぐ連絡しますので、お待ちください。
一つだけ教えてください! 今どのくらいの確度なんですか? 99%なんですか?
ですから、それは何とも。ただ、こうした場合には想定通りに進むことが多いですよ。購入予定の物件が過去にトラブルがあったとか、車庫転など法的な問題が発覚した、などの特殊事情があれば別ですが。まぁ大丈夫なんじゃないでしょうか。

 小春が何度確認しても、支店長は、絶対に確約のお墨付きを渡そうとはしなかった。ただ、それは金融機関として通常の姿勢であって、特別に小春に嫌がらせをしているわけではなさそうだった。実際この信用金庫は、こちらの事情を汲んでくれて法人口座を即日開いてくれるなどの便宜を図ってくれたし、今後も融資相談に乗ってくれることを約束してくれたからだ。

 相談の最後に支店長が聞いてくる。

そう言えば、日本政策金融公庫には行きましたか?
いえっ、行ってません。そこはどういうところなんですか? 信用創造には関係するんですか?
し、信用創造……まぁお金を貸す金融機関の一種なんで、いちおう信用創造内の仲間だと思います。ともかく、当行に設立直後から融資依頼にくるくらいです、絶対に行くべきです、というか普通は行くんですけどね。
そちらは法人口座は作ってくれるんですか? 聞いてばかりで、無知でゴメンなさい!
いや、法人口座の取り扱いはないですね。ただ、政府系の金融機関で、創業融資制度が充実していますよ。普通の銀行では絶対に無理な案件でも、そこは政府系だけに積極的に融資相談に乗ってくれますね。無担保融資、固定金利10年の金利1.3%とか、普通の金融機関では出せない非常に良い条件で、御社様なら500万円くらいは貸してくれるんじゃないでしょうか。
すぐ、行きます! 今すぐに!
ならば最寄りは新宿駅西口側の――。

 それから支店長は丁寧に場所を案内してくれた。

 小春は新宿駅方面からこちらに戻ってきたばかりだったが、急いで向こうに戻って新宿駅を越え、西口の日本政策金融公庫に飛び込むことに決めた。


 こうして地球連合は法人口座をギリギリでゲットし、想定外だった最悪の状態を回避することができていた。また、小春の感触としては、不動産融資のほうも実行される前提で動いてよいのだと感じられたから、むしろ融資分では足りない自己資金に当たる部分を急いでかき集めねばならないのだった。

 400万円の融資が出たとすれば、620万円との差額は実に220万円である。予想外に大きい。しかしそれでも初の融資の可能性が芽生えてきた以上、ここで歩みを止めるわけにはいかなかった。

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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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