第15章(4)

文字数 5,279文字

これが国家経営となれば、純資産を増やしていくものではなく、BSを超長期的に安定させ続ける取り組みになろうかと思いますが、そもそも国家は帝王学の主体とはなり得ません。

国家経営

BSを超長期間にわたって安定させ続ける取り組み

たしかに国家となれば、純資産を増やしていくゲームではないですねー。
ほう……国だけは、企業や個人とは別物と考えたほうがいいのだな?
前も言ったけど、国には通貨発行権とか徴税権とかがあるから、個人や企業とは考え方が別。
帝王学の主体になるのは、個人と企業のみ……まぁ、言われてみれば当たり前だよね、国に主体的な意思みたいなものがあるわけじゃないかもだし。それにもし国が帝王学を行使するようなことがあったら、それこそ世界征服に邁進するしかなさそう。
逆に考えれば、個人や企業が帝王学を行使すれば、世界征服も可能ということだな。そうか、つまり帝王学とは世界征服を学ぶための学問なのだ!
妄想は楽しめますか。帝王学に国家は関係ありませんが、国家のBSを考えてみる視点は重要です。なぜなら私たちが戦う信用創造の舞台、つまり私たちが立つリング上の数字であるからです。
国家のBSのなかで、私たちが活動していると考えればいいのかなぁ。そして、そのルールが信用創造。
国家は――より具体的に言えば日銀および財務省の官僚らが、その時々の経済状況に応じて、適切な資産規模を検討しています。そして、借金で創造されたマネー量が多すぎれば徴税によって回収。企業や個人などが借金を増やさず世の中のお金の量が少ない場合には、政府が借金したり、日銀が金融緩和したり、財務省が税率を引き下げたりしてマネー量を戻します。
税金って、一般の人は何だかよくわからない酷いものって意識あると思いますけど、国家的な視野で言えばマネー量をコントロールするための蛇口に過ぎないんですよね。
税金ってそういうことだったのか? 回収した税金を使って運営をするってわけじゃなくて、マネー量を調節しているだけなのか!
いちおう建前上は、税金で払ってもらったお金で色々な制度を運用するってことにはなってるけどね。だって『マネー量の調整作業です』なんて言ったら身も蓋もないし、税金を徴収される国民も納得できないでしょ。
国全体のお金の池があるとして、その池の水の量が増え過ぎないようにする手段として税金があると考えればいいのかな?
そうだね。水の量の調整弁のうちの一つかな。税金という調整弁をコントロールしているのが財務省。金利という調整弁を握るのが日銀。財政出動という調整弁を持っているのが政府。これらは意志が統一されているようでもあるし、意見対立していることもあるし、全体の確固とした意志があるわけじゃないんだけど……大筋としてこれらの統合政府が、信用創造下における水量を調整しているわけ。
水量を調整する話し合いも、陰謀の一種みたいな感じなのかなぁ?
今の水無月様のお話を受けまして、次のようにまとめ直しておきましょう――。

国家のBS

国家は常に適切な資産規模を検討し続けている。財務省は税金、日銀は金利、政府は財政出動という手段を通して、BSの資産規模をコントロールする。税金の最も重要な意味は、この調整弁にあることに留意。

だが徴収した税金は実際に存在するのだから、そのお金で何か運営するわけだろう?
実際に存在って言っても……信用創造のときに見たように、単なるデータに過ぎない話だからねぇ。極端な話を言えば、水の量が適正値なら、税金を徴収しなくても財政出動で政府は動くんだよ。まぁバランスを保つために徴税は続けられるだろうし、だから税金で運営されているように見えて……けど、そもそも税金だけで運営するなんて不可能に近いし……やっぱり信用創造下における建前の一つじゃないかなー。
建前が多すぎると思う……。今まで帝王学で見てきたもののほとんどは、建前の実像って感じだよ。
大学ですら、庶民の方々に建前を教える場所でございます。そこかしこで建前がまかり通っていることは、私ども帝王学の学徒にとってこの上なくありがたく、そして幸せなことなのだと知りましょう。感謝こそすれ、建前を打ち壊したりすべきものではございません。私どもにも機会が巡ってきましたならば、世間の皆さまがたが拠り所にする建前を積極的に補強して差し上げるのは望ましく、社会を安定させることにも繋がりましょうな。
なんだか建前が、民衆を煙に撒くため巧妙に仕掛けられているような気さえするな。
そもそも信用創造からして、このようなものが民衆の支持で唐突に成立するはずもないことは理解できましょう。格上の人々の策動によってこうしたシステムや政体が突如として成立することが間々あるのですが、民衆にはマスメディアや教育機関を通じて建前を渡すのです。それで上手く回るのですから――いやむしろそうしないと人間社会の成立が難しいわけでございまして、そこに我々が横からケチをつけるのは無責任というものでございます。
合理的に考えれば、建前を尊重するのは玄七郎の言う通りなんだろうなって思うよ。そしてその合理性こそが帝王学なんでしょ。だけど、成功哲学や宗教で学んだような、個人の信念が時には優先されてもいいわけだよね?
もちろん個人様がどのような信念を持っていようが構わないのではないですか。そもそも帝王学は信念ではないですから、どんな夢や目標を持っていようが、どのような宗教を信仰していようが無関係であり、ご自由にすればよろしいのでは?
私たち、きっと信念あるよね。地球を覆してみたいっていう信念なのかな、どう小雪?
フフフ、お姉の言う通りだ。私は合理に従わない。なぜなら私は帝王学の信者ではないからだ。帝王学を身につけながらも、それを端から無碍にしてしまう私がすごい。帝王学で学んでいる信用創造の舞台を根こそぎ覆すという私の信念は、小童の玄七郎などに止められるものか。
帝王学としては現実が変われば教授内容が瞬時に変わるだけ――単に次のシステムを淡々と追いかけるだけでございます。お嬢様がたがどんな信念を持って世界を変えようとも、帝王学の側は何ら気に留めることはないでしょう。
ひとまず今は、国家経営もBSをコントロールすることで成り立っていることがわかれば十分だ。私が簿記までマスターしたならば、さらなる完璧超人に進化を遂げてしまうぞ。
最近の小雪はずっと簿記の勉強してるよね。昨日なんかリビングで2級の参考書を読んでたよね。
フフフ、私は3級を完璧にマスターしてしまった。ゆえに2級にも取り組み始めているのだが、思っていたよりも簡単だぞ。資格試験を受けに行くのは1級のときでいいだろう。そのときこそ私はあらゆるBSの知識を手中に収めるのだ。
2級はともかく、簿記1級って難関らしいよ。だいぶ時間を費やすと思う。
さすがは小雪お嬢様、毎度のごとく誠に嘆かわしい勘違いぶりに驚愕するばかりでございます。
な……に……?
毎回私が簿記の勉強など不要だと申し上げておりますが、まったく聞く耳を持ってくださいませんな。小雪お嬢様が会社組織内において日々の帳簿を付ける担当者になりたいのなら、簿記を学んでおいていいでしょう。しかし経営者としてBSを理解するにあたって、簿記の勉強は不要です。知識が邪魔になるとまでは申しませんが、その知識が何かに寄与することはないと断じます。
いやそれはおかしいだろう? だいたい BSは簿記の話ではないか。
簿記は、いち担当者として帳簿を付けるための知識です。経営全般におけるBS把握のためには不要の知識でございます。むしろ簿記の知識から経営にアプローチしようとするのは全くの的外れと言わせて頂きましょう。簿記1級所有者や、税理士や会計士が経営で成功しているかといえば、まったくそんなことはございません。
的外れ、だと……?
BSを作る知識と、BSを読む知識は、まったくの別物でございます。まさかこの程度の、幼稚園児ですら理解しているようなイロハまでいちいち触れなくてはならないとは……。何もかも無残なお嬢様がたではございますが、あえて本日は基礎の基礎に立ち返る回として正解でございました。砂上の楼閣に何かを積み上げても崩れるばかりでございますので。

BS理解のために

BSを作る知識と、BSを読む知識は別物。

簿記はBSを作るための知識。簿記担当者、税理士、会計士は、あくまでBSを作成する作業者。巷で流通するビジネス本における経営判断やBS分析は、基本的にこの作成のための知識習得が中心であり、実用面では不要。

一方で、実戦におけるBSの理解は、経営者の経験蓄積と勘と創造力、銀行家としての訓練(銀行内行員研修)、または帝王学において習得されるもの。

よくビジネス書ではしばしば、会計士や税理士が執筆した初心者向けの経営ノウハウ本が売れることがありますが、簿記の知識からアプローチするばかりであり、PL脳の方々にとってはいかにも勉強して賢くなった気分になれる程よい娯楽でございましょう。ですが私たちはBS作成作業者でも暇人でもないのですから、そのような娯楽は斬って棄てて下さい。
私も小雪みたいに、せめて簿記3級の勉強くらいはしておこうかなって思ってたから、聞いておいてよかった……。会社をやり始めた私なのに、こんなことも知らないって不思議だよね……。
私の友人に会計士になって監査法人でやってる子がいますけど、言われてみれば玄さんがいるような世界とは全然違う感じです。その子は別に資産形成とかBS構造とか大して考えてないですし……どっちが良い悪いの話じゃないとは思いますけど……。
毎度毎度……忌々しい自称執事め……。わ、私の懸命な勉強が……。
この機会に、さらに小雪お嬢様に追い打ちをかけさせて頂きましょうか。小雪お嬢様は何かあれば一問一答で暗記することを常としていますな。資格試験ならばいいでしょう。しかし我々の経営世界においては、そのような細々とした暗記は不要なのです。大筋として『何がポイントか』を把握しておき、『どこをチェックすれば解決するか』を知っていればいいだけです。
テストで点数を競う社会で生きてきた私たちには、その姿勢がかえって難しいものなんですよ。
小雪お嬢様はすでに戦場に立っておられるはずです。学生世界のお為ごかしではないのですから、塹壕のなかで暗記に時間を費やしている暇があるのなら、死を覚悟のうえ塹壕から頭を出して一発でも多くの弾を敵陣に撃ち込みましょう。
くっ、くううううううううう……。
もっと言えば、自分が研究対象としている専門書なら別として、たまに小雪お嬢様が図書館で借りてくるありきたりなベストセラービジネス書などもPL脳の方々の娯楽に過ぎず、我々経営人の実戦に寄与することはございません。そんな時間がございましたら、実務か専門分野研究にでも当ててください。尤も、マンガや映画のように趣味として嗜むなら自由にすればよろしいのですが、少しでも勉強とか自分を高めようとして触れるのは素っ頓狂でございますので。
くぬう……。
玄七郎、ちょっと言い過ぎだよ! いつものことだけど!
そうですよ、13歳の小雪ちゃんにそこまで苛烈に言うことないじゃないですか! 玄さんは、褒めて伸ばすっていう姿勢をゼロから勉強したほうがいいと思いますね!
……う……く……。
小雪、泣かないで……。いつもの玄七郎のイジメだから、私と千景先生で守ってあげるよ……。
何度か言い聞かせてきたつもりですが、なかなか改めてくださいませんでした。小雪お嬢様のためにも、どこかで強くお伝えしておかなくてはならないことでした。
それにしたって言い方があると思う!
勉強が足りないのは私とて同様でございます。どうも私は説明しすぎるきらいがあるようでございまして、そのような姿勢はとりわけ女子の皆様がたに常々不評でございます。おそらく私は女子力が世界で最も低い人間ではないでしょうか。どうぞ私を責めて頂きたく。
開き直りすぎー!
いや胸を張られましても……。ともかくもう小雪ちゃんを責めるのは、今日はこの辺にしてあげてください!
お辛いようでしたら、しばらく帝王学講義に出るのを控えておきますか、小雪お嬢様?
 小雪は袖で涙を拭う。
……お、愚か者め、私が辛いわけがない……。私という存在は、いついかなる場所でもつい無双してしまう漢なのだ……。このような場所で、玄七郎ごときに負けるわけがない……。
私としましては小雪お嬢様と勝ち負けを競っているわけではございませんが、よろしいでしょう。ぜひとも小雪お嬢様には、私など踏み台にして頂き、地球経済に偉大な業績を成し遂げ、支配者の一人として君臨して欲しいものでございますな。そのためにも、簿記やビジネス書などに無駄な時間を浪費している暇などないはずです。
今に見ていろ小坊主が……。玄七郎など私の捨て石にすぎないと思い知らせてやる……。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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