第23章(3)

文字数 3,540文字

 千景と連れ立って小春が訪問していたのは、サイバーゼック社長室。
いやぁお話する機会をもらえればと思ってましたよ。私のほうから訪問すべきなんですけど。ご無沙汰しておりました、水無月さん。
 社長の陣野は、大歓迎といった風だった。今や有名人になった千景を前に、興奮さえしているかもしれない。

 事前に千景からは、陣野は誰に対しても謙虚で、穏和な社長だと聞いていた。IT起業家には見えず、銀行家じみたスーツ姿の55歳。地味で目立たないものの、安心して仕事を任せられるタイプという話だ。

 人となりについての評判はかなり良いらしい。一方で、最新のIT技術についてそこまで詳しいわけではなく、IT実務について直接タッチすることはないようだ。調整能力を発揮して全体を切り盛りする、まさに見てくれ通りの経営者らしい。

こちらこそお久しぶりです、陣野社長。サイバーゼックのIPOおめでとうございます。それから公開作業のほう大変だったと思いますが、本当にお疲れ様でした。
うちのことなんていいんですよー。水無月さん最近すごくご活躍の様子ですね!
ほんの成り行きで……。
トライアスの成功は驚きました、設立したばかりの割に、うちより時価総額が大きいんじゃないですかね?
サイバーゼックはいま時価総額、どのくらいになってます?
昨日の株価からすると1000億円くらいですかね〜。トライアスがIPOとなれば数千億円は手堅いでしょう?
IPOにもっていくまでが面倒なので……。いっそM&Aって方法もあるのかなと思ってますよ。
M&Aの話題が出たところで……いきなりですが、うちがトライアスを買収なんてできませんか、まぁできませんよね、無理だと分かってて聞きましたけど……。
 無理だと自分で言っているわりに、やや前のめりな様子だった。ちょっとでもチャンスがあるのなら探ってみたいのだろう。
いくら出せます? 陣野社長がトライアスの時価総額は数千億円って言ったばかりですから、当然そのくらいは出せるんでしょうね?
いやいやうちにはとても無理……。銀行預金200億円くらいですし、銀行から無理やり引っ張ってもせいぜい500億円が関の山なんで……700億円が限界かなぁ。
それで本当に売ると思います?
ですよね、本当にすいません……。
 わずかな希望が打ち砕かれたのか、陣野はしゅんとしてしまった。
千景先生、すっごく基本的なことなんだと思うけど、ちょっと教えてもらってもいいかな。たまに出てくる会社の時価総額って、どうやって計算してるの?
ああ、簡単だよ。株価に発行株数を掛けるだけ。たとえば株価10万円で、5000株を発行しているとしたら、その会社の時価総額は5億円ということ。
時価総額 = 株価 × 発行株数
なぁるほど、言われてみれば当たり前かー。株式公開してる会社の株は、値段が市場で表示されてるから、時価総額を計算しやすいんだね。トライアスや桜丈ホールディングスだと株価って言い値だから、会社の価値がいまいち曖昧だよ。
あの、こちらの方は?
ご紹介しようと思ってました。トライアスを一緒にやってるメンバーなんですよね。
なんですって!? いや本当になんというか、トライアスって少女ばかりの集団なんですか。だってあの話題沸騰中の魔法少女、桜丈小雪――あの暴言まみれな美少女がトライアスの大株主って話ですもんね。
残念ですけど私は少女には分類されないかもです……。
小雪ちゃんは何者だと思います? 想像つきません?
想像、ですか? なんでも水無月さんが家庭教師をしていたとか。
ちなみに、こちらは桜丈小春さんです。
もしかして、あのトンデモな桜丈小雪の姉妹!? え、そういうご関係?
苗字に注目……。
苗字……桜丈だから姉妹ですよね……って……もしかして桜丈ホールディングスに何か関係が!?
灯台下暗しってやつですか。こちらの小春ちゃんが、桜丈ホールディングスの現・代表取締役社長になります。
そうだったんですか! 代表が変わったとは聞いておりましたが。
何もできない形式上の代表ですけど、今後よろしくお願いします。
いやぁ前社長には大変お世話になりました。ぼくのほうサイバーゼックをやる前は、桜丈ホールディングスの財務部の部長だったんですよ。
えっ、桜丈ホールディングスの元社員さん!?
まぁ私が入社するずっと前にサイバーゼックを創業してたから、桜丈ホールディングスで会っていたわけじゃないんだけど。そして私が今の部署で、サイバーゼックを管轄してるって関係ね。
そうだったんですか。会社をIPOまで持ってこられたというのは、陣野社長はすごい実力者だったんだと思います。
いやいや冷静に見て全然そんなことなくて。これは少しも謙遜じゃないです。サイバーゼックがIPOできたのは、紛れもなく桜丈ホールディングスのおかげですから。関連子会社のIT系の仕事をうちに集中してもらったからこそ、売上利益の基盤が作れたんですよね。
なるほど、桜丈グループで仕事を集中させたんですね。そう言えば、うちのグループ内のゼリスト建物管理とかも、桜丈グループの仕事は全部回してもらってるって言ってました。
今では桜丈系の仕事は全体の4割くらいまで減っちゃってますが、それでも桜丈系の仕事は利益率をよくしてもらってるので、なくてはならない存在なんです。うちにとって親会社サマサマですよ。
私の部署で、グループが発注する案件の利益調整はしてるんですよね。サイバーゼックには時価総額を上げてもらわなくちゃならなかったんで、黒字を大きく作ってもらう必要ありますし。
そういう話を聞くと、桜丈グループ内でマッチポンプしてるんだなって気付かされるなー。グループ内のIT関連の仕事を集中させたり、利益を出してもらうようにして会社の価値を上げたり……。
まぁ大きなグループだと大なり小なり頑張ってやってることだからね。価値を上げられそうな子会社って貴重な存在だからこそ、ひとたび可能性のある会社が出てくれば全力でバックアップして育てるんだよ。
でもサイバーゼックって、桜丈ホールディングスは持株40%くらいしか持っていないって聞きました。それってグループという扱いになるんです?
ああ、元々は桜丈ホールディングスの100%子会社だったんですよ。だけどIPOが見えてきたんで持株を分散させる必要があったんですね。だから方々に株式を散らしたんですけど……結局のところ他の関連会社に株を移したりしただけなんで、今でも80%近い株式は桜丈グループで持っている状況です。
私も元社長の当時の方針を知ってるわけじゃないんだけど、グループ間でキャッシュのやり取りをするときに、サイバーゼックの株を形式上で子会社に売却とか色々やってたみたい。だからサイバーゼックは今でも実質うちの傘下なんだよね。
そういうこと! とっても勉強になる! 創業時、陣野社長は出資されなかったんですか?
元々サイバーゼックは、元社長の『IPO用のIT企業を創ろう』っていう発想から生まれた会社なんで、桜丈ホールディングスが100%出資することは決まってたんですよ。たまたまそのとき、ぼくが財務部の部長でしたし、過去にはIPO準備作業の仕事もしてきた経歴があるので社長を引き受けることになって……。まぁ気持ちは今でも桜丈ホールディングス社員じゃないですかね。IPO前には結構なストックオプションを付けてもらったので、それで満足ですよ。
陣野社長のストックオプション、1億円くらいにはなりましたかね?
水無月さんのほうでちゃんと計算されれば分かると思いますが、それより少々上くらいですか。家のローンを一括返済して、その上で多少は残せる程度にはなりました。

 普通の人から見れば、定期的な給料以外で、1〜1.5億円の臨時収入というのは破格に違いない。しかし時価総額1000億円の会社を育てた人物にしてはずいぶん少ない利益しか得られないのだなと小春は感じた。もちろん口には出さなかったが。

 もし創業者として自らが出資し、持株比率60%だったとすれば、単純計算で600億円の資産になっていたハズである。やはりサラリーマン社長とオーナー社長では、同じ次元に立てないほどの巨大な格差があるのだろう。もちろんサイバーゼック初期の事業安定は桜丈ホールディングスに全面的に依存していたようだから、陣野の能力はそこまで問われないだろうし、大きな創業者利益を得られないのは適正なのかもしれない。

それで、今日訪問させて頂いたのは他でもありません。小春ちゃんが、陣野社長と陰謀を巡ら――あ、いや、ディスカッションさせてもらいたいそうなんです。サイバーゼックが何らかの形でトライアスに絡めないかっていうことで――。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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