第22章(3)

文字数 1,367文字

 弁天町事務所で千景と一緒に仕事をこなし、夜もふけたころ、小春は千景と帰路についた。

 小雪と玄七郎は事務所に出社せず、丸一日マスメディアの取材・収録の連続をこなしているはずだ。ニュースプレスの事件のあとは、さすがに小雪を生放送で起用しようとする局はなかったが、スタジオ収録のうえで映像を編集する形であれば是非とも小雪を使いたいとする番組が驚くほど多くあった。ニュースプレスには嫌われただろうが、同じテレビ局の他の番組もお構いなしに小雪をブッキングしたがった。

 新聞や雑誌からも多数の取材申込が寄せられていたが、事ここに至ってはテレビが優先だった。帝王学講義においてメディアを巻き込むプレスリリースは新聞や専門誌から入ることを学んでいたものの、それはあくまでも自身が無名に近いときの取り組み方だ。いきなりテレビ局が勝手に向こうから押し寄せてくるのなら、テレビ一択でいいのだという玄七郎の判断でもあった。特に小雪のケースにおいては、新聞や専門誌から細かいことを詮索されるより、テレビの乱暴さのほうがマッチするらしい。


 千景と今日の労をねぎらいあって交差点で別れると、小春の自宅はすぐそこだ。緩やかな坂を登り自宅に近づくと、門の前に2人の人影が目に付いた。スーツ姿の年配男性と、少し小太りの中年女性だ。最初はメディアかと思ってやや警戒したものの、カメラも持っていないし、どうもそんな雰囲気ではない。危ない印象もなく、周りはそこそこ人通りもあるから、いきなり襲われるようなこともなさそうである。


 万が一に備え小春は少し距離を取って、門前の2人に声を掛ける。

えっと……こんばんは、うちに何か御用ですか?
桜丈さん……ですか?
もしかしてお姉さん? 桜丈小雪さんのお姉さんですか?
はい、そうですが……。
これは夜分遅くに失礼しました……。私は桜丈小雪さんに通って頂いている私立中学校の理事長を務めております。そしてこちらは――。
桜丈さんの担任をさせて頂いております。
ど、どうもいつも妹がお世話になっております……。
保護者の源様か、お父様とお話ししたいんです。どうにかお時間を取って頂きたく、こうして訪問させてもらっておりまして。
小雪も玄七郎も出っ放しです。それからお父さんには何かの決裁権はないので、玄七郎のほうと話してもらう必要あると思います。電話は通じるはずですし、玄七郎と直接お話しして頂きたいんですけど。
源様には何度かお電話したのですが、忙しいからとすぐに電話を切られてしまうんです。
ならば本当に忙しいんだと思いますよ。
どうか弁明の機会を頂けないかと……。お願いします、どうかお話しだけでも……。
弁明!? 妹が何かしたってことですか? 小雪はいつも学校を荒らしまくっていると公言していたので、酷いご迷惑をおかけしたんでしょうか。
桜丈さんが学校を荒らすなどとんでもないです。桜丈さんほど何事にもコツコツ取り組む生徒さんは他にいませんよ。
安易な私どもをお赦し頂きたいのです。こうなった以上、様々なことを全力で善処させてもらいますので、どうかお願いします……。

 理事長は泣きそうだった。

 だが、一体全体どうして理事長に悲壮感が漂っているのか、小春にはサッパリ事情が掴めなかった。

ちょっとここで話し込むのもご近所の目があるので、中に入ってもらえますか。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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