第24章(3)

文字数 2,564文字

 時間は限られていた。

 株式交換が10日後、そして新生サイバーゼックが誕生するのは11日後である。それまでに、桜丈ホールディングス買収資金を用立ててしまわねばならない。


 記者会見のあと、一同は控え室にいったん集まり、会見成功の労を労いあった。その後すぐ、千景は陣野と合併の実務を進めるためにすぐさま渋谷のサイバーゼック本社に向かった。

 小雪と玄七郎は連れ立ってメディア周りをする予定になっていたが、やや待ち時間があったため、小春が先ほど記者会見の最中に考えていた話を持ちかける。

――ほう、なるほど……今なら500億あれば、桜丈ホールディングスをM&Aしてしまえると考えていいのか……。
ただ、新生サイバーゼックが小雪や千景先生の活躍で一気に株価が伸びてしまいそうじゃない? そうすれば、その分だけ買収費用が膨らんじゃうの。実行するなら今しかない。
そもそもの話として、桜丈ホールディングスをわざわざ買収する価値はあるだろうか? 逆から見れば、500億程度の価値しかない会社だとも言えるぞ。規模から考えれば二束三文の危険な会社だ。
小雪は反対なの?
お姉の意図は分からないではない。たしかに新生サイバーゼックの持株の40%近くを桜丈グループが持つことになるわけで、今後のことを考えれば持っていてもいい。だが別に、桜丈ホールディングスの株主はオヤジなのだから、新生サイバーゼックに横槍を入れてくるようなことは想定しなくていいだろう。だから現状を放置していても大して困らないとも言えないか。
ほら、格の話があったじゃない? BSの規模が、その人の格に直結するわけでしょう。私たちが同じだけの格を得ようとすれば10年以上かかったっておかしくない。4兆5000億円の格が500億円で手に入るのなら、これからの私たちの勝負にとって有用な武器になると思うの。
今後の戦いのために、格についても確保しておくという判断か! たしかに私たちにとって弱い部分を補うことに繋がる。それをオヤジから奪い取れるなら……。
実質的な債務超過でもないなら、そこまで危険な取引でもないよね。
まったく危険性がないと言えば嘘になりますが。総負債4兆7500億円のうち、3兆円程度は旦那様の連帯保証が入っております。日本政府や金融庁は今、経営者の連帯保証を外すよう金融機関に対して指導を強めておりますが、それでも決算書上の債務超過を抱える現状においては、連帯保証を頑強に求められましょう。
M&Aにあたって、連帯保証も引き継ぐのは当然だと思うな。だって連帯保証を引き継がないのは、どう考えても不自然だし、買う方が詐欺したみたいな話になるよね。
小春お嬢様が3兆円の連帯保証を丸ごと引き受ける覚悟なら、何も言いますまい。以前の小春お嬢様は他人から10円の借金をすることすら毛嫌いしていたハズなのに、変われば変わるものでございますな。
本当にそうだよね、自分の変化に自分が一番びっくりしてるよ。今の私は不思議なことに、BSがバランスさえするのなら幾らでも借金をしていいって思ってる。前に玄七郎が、桜丈ホールディングスを日本有数の借金大王って言ってたことあるじゃない?
事実ですからな。
今の私は世界一の借金大王になってもいいかなーって思ってるの。ううん、違うね、もし私と小雪と千景先生が世界の頂上を目指すとすれば、元々大した財産なんて持ってなかった私たちは、借金をしまくってBS拡大するしか方法がないんだって覚悟してるよ。その借金は私が引き受けて、小雪と千景先生を裏から支えなくちゃならない。人間ってここまで一変できるものなんだね。
それでこそ闇の帝王だ。お姉には帝王としての貫禄が伴ってきたのやもしれないぞ。もちろん常に少しばかり私の貫禄のほうが上回っていることも事実だが。
帝王学を学ぶ前に玄七郎が、『私が帝王になりたかった』と言ってたこと思い出した。
まぁ現実的な話として、いくら代表を交代したといっても、銀行団のほうは、実質的な経営者は旦那様だと判断するでしょう。だから旦那様の連帯保証を小春お嬢様に変えるという要望には、かなりの抵抗があろうかと。
私に一計がある。銀行が難色を示すようなら、連帯保証はオヤジのままにして、株だけお姉が確保すればいいのだ。家族だから問題なかろう。連帯保証を残すのは、会社の売買価格に影響するか?
会社の本質的な価値に無関係なので、売買価格への影響はないでしょう。ただし、道義的に連帯保証を売主に残したままというのは問題になろうかと。M&Aに関係した詐欺事件には、この連帯保証の所在がトラブルに繋がるケースが多々ございますので。
道義的な話なら問題ない。相手はオヤジなのだから何とでもなる。
そうだね、お父さんにはそのことを説明のうえで、飲み込んでもらおう。お父さんの借金も、私の借金も、まったく同じことだよ。
ただ、そもそも旦那様が桜丈ホールディングスM&Aの陰謀に協力するかどうかは不明瞭ですぞ。両お嬢様がリスクを背負ってビジネス方面に入っていくことすら旦那様は反対しています。ここで株式を寄越せなどと言った日には、さらにヘソを曲げないとも限りません。
近々また熱海へ交渉に出向かないとならないね。
よし、私も出向くぞ。万一の場合、私の手でオヤジを狙撃する必要があるからな。これは歴戦のヒットマンとしての矜持なのだ。
小雪は忙しいんじゃないの?
ここはお姉の陰謀の天王山になることくらい、私にも分かる。半日くらいマスメディアの連中を泣かせても構うまい。
お二人で勝手に盛り上がるのは構いませんが、旦那様を説得するに当たって、そもそも500億円のアテは付いているのでしょうな?
そう、そこが泣きどころだよね。お父さんのところに出向く前に、お金のメドくらいは付けておきたい。じゃないと何の説得力もないし……。銀行を当たればいいのかなぁ?
地球連合から貸してやりたいところだが、そもそも貸せるだけの現金はないぞ。今日時点の銀行預金は200万程度しかない。トライアスの株式があるが……これを担保に借入できるだろうか?
担保価値はあるやもしれませんが、すでに決まっている合併に影響がないように交渉くださいませ。尤も、私が金融機関担当者なら、このような怪しげな陰謀にお金を貸すはずもございませんが。
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登場人物紹介

桜丈 小春(15)おうじょう こはる

「今日から私が桜丈ホールディングス代表取締役社長ってホントなの!?」


イラストやマンガを描くのが好きで、ほのぼの系キャラクターデザインを得意としている。大手新聞社&大手出版社が共催の日本最大のイラストコンテストでは、中学生部門で2年連続の最優秀賞に輝いた。

中学生にしてお小遣い帳をつけるほどの貧乏性。質素倹約、モノは擦り切れるまで使い、中古品を愛用する。趣味は、癒し系イラストを描くこと、古着屋巡り、貯金箱に500円玉を貯めること。

総資産4兆5000億円の桜丈ホールディングス株式会社、代表取締役社長。企業グループとしては日本国内だと50位、グローバル視点なら1000位に入る規模感だが、ホールディングス本体も傘下企業の大半も未公開企業で構成されているのが特色のため、表面上(バランスシート上)の総資産は市場価値を正しく反映していない。

桜丈 小雪(13)おうじょう こゆき

「いずれ歌舞伎町の闇王として君臨するのが、私という存在に課せられた哀しき宿命なのだ」


生まれてこの方ペーパーテストは満点以外をほとんど取ったことがなく、剣道やギターなど幅広い素養もあり周囲からは天才と思われているが、実は隠れて大変な努力をしている。まだ幼さの残る面影ながら誰もが振り向く美貌の少女。まさに才色兼備を地でいく女子に見えるものの、重度の厨二病を患っている。好きなコンテンツは『首領(ドン)への道』。いつの日か新宿区歌舞伎町に影を潜めて暮らし、自分の組を持ちたいと夢想する。

源 玄七郎(67)みなもと げんしちろう

「強いていえば、通りすがりの執事でございます」


桜丈家にやって来て12年目の、長身の自称執事。自分に常に厳しく、他人にも恐ろしく厳しい。

日本有数の格調の高さで知られる五つ星ホテルブランド――ベイグランディアホテルズの創業者にして元代表取締役社長。かつてベイグランディアホテルズは経営に行き詰まり、巨額の負債を抱えて民事再生法を申請したことで連日経済ニュースで取り上げられた。ある意味で名士であり財界有名人。ベイグランディアホテルズは、桜丈ホールディングスの傘下に組み入れられて経営再建中。

水無月 千景(28)みなずき ちかげ

「パワハラで会社訴えてやるぅ! めちゃんこ慰謝料請求してやるんですドチクショー!」


東京大学理学部卒のアラサー。経済産業省資源エネルギー庁に在職経験のある元官僚。桜丈ホールディングスの管理部門に勤めるかたわらで、会社の意向(業務範囲として)で小春と小雪の家庭教師をしている。絶賛婚活中だが程良い相手が見つからず、念のため生涯独身にも備えて最近4500万円で東京の真ん中に中古1LDK49平米を購入した。

桜丈 陸(58)おうじょう りく

「ぼくは当てもなく荒野を彷徨う金鉱堀さ。泥に塗れた地べたで過ごし、何度かグッドラックを引き当てた、それだけのことだよ」


桜丈ホールディングス元・代表取締役社長にして、現・無職ニート。明治後期から続く旧・桜丈財閥の本家筋にあたる四代目。桜丈財閥は繊維産業を中核とした中規模な産業複合体にすぎなかったが、軍需衣料品に経営を過度に依存していたためGHQに目を付けられ、太平洋戦争後の財閥解体で主要企業のすべてを切り離され、いくつかの不動産を残すだけで有名無実化していた。だが陸の代で、手持ちの不動産を担保になりふり構わぬ賭けに出て、急激な膨張を成し遂げた。その規模感は、戦前の桜丈財閥のスケールに比肩する程度にまで戻ったとされ、日本経済界の一つの奇跡と受け止められている。

さも意味深な言い回しをするものの、大して深い意味はない。自らが創り上げたグループの代表を、ある日突然に辞任してしまった。一見自分勝手な引退のように見えて、強引に幕引きしてしまったのには、実は本人の狙いもある。

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